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第131話 事後対応は穏便に
そろそろ日付を跨ごうという頃、満足げに水を飲むクラウスが、ぐったりとベッドの上で横たわるレイに語ったのは、悶絶必至のレイの状態だった。
リミッター解除薬の副作用により、意識がないにも関わらず、調律を求めて彷徨おうとしていたレイに付き合って、どうやらとても長い間クラウスを悩ませたらしい。というのも、この男がレイの自我がなくなっているような状態で調律をしようとしなかったせいだ。調律を求めるレイの魔力がクラウスを翻弄し、それに負けずに最後まで一線を越えようとしなかった。そして、長い時間をかけレイの自我が戻ってきた時、それまでの我慢を発散するかのように行為に及んだわけだが……まさかこんな時間になるまで調律を行う羽目になるとは。非効率的にも程がある。
「私が抱きたいのは、レイの魔力でもレイの体でもない。レイ自身だからな」
意地が悪そうに笑うクラウスを見て、レイはこめかみを押さえた。この男の忍耐力には脱帽するが、それに耐えられるなら普段からもっとその忍耐力を見せて欲しいところではある。
「……まさか、強化したリミッター解除薬の副作用が、魔法麻酔薬の効果を上回るなんて、誰が想定するんだよ!」
枕に顔を埋めながらレイが叫ぶ。なされるがままに魔法で全身きれいさっぱり洗われたおかげで、体の不快感もない。強いて言うなら、流石にちょっと腰が痛いし全身乳酸漬けになっているかのように怠い。それも今から眠れば明日の朝には回復しているだろう。本来なら、体力のない自分があれだけ長時間の行為に耐えたのだ。この程度で済むはずがないのだが、調律とはまさに末恐ろしい。調律の疲れを調律で回復させる謎の循環を身をもって体験するのは、これで何度目だろうか。
クラウスがベッドサイドテーブルの上にグラスを置いて、こちらを微笑みながら見下ろしてきた。
「もう強化したリミッター解除薬は無いのだろう?」
「無いよ」
「なら、もういい」
そっけないレイの返答に、添えるように言葉を返したあと、クラウスははっと視線を上げた。すぐさまベッドに腰かけ、枕に頭を埋めるレイの顔を覗き込むように顔を近付ける。
「まさか、また作ろうという魂胆では」
「無いよ!」
反論すべく勢いよく上体を起こしたレイは、走った腰への痛みに悶絶して再び枕へ顔を沈めた。そんなレイを少し申し訳なさそうに眺め、クラウスは優しく彼の背中を撫でる。
「もう寝よう。明日は早い」
クラウスがさっさと寝間着に着替えて、レイのベッドにもぐりこんでくる。穏やかに香るクラウスの魔力が、さっきまでさんざんくっついてきたはずなのに、再びレイの体にぴったりと貼り付いた。
「ん? 早い?」
レイは訝しげに首を傾げた。
「もともと明日は学会は無い日だ……というより、継智の塔は無事だったのか?」
頭の中でスケジュールを確認しながら、レイは巨大化したリュールゥが折った継智の塔の避雷針を思い出した。学会の開催場所である継智の塔に何かあれば、学会どころの話ではない。クラウスは、そんなレイの髪を撫でながら再び枕へ頭を誘導する。
「破損状態については調査中だが、恐らく問題はないだろう。むしろ被害としてはドラゴンゾンビが出したほうが大きい」
優しく撫でられながら、静かに答えるクラウスの声は、まるで子供を寝かしつけるように優しい。自然と彼の顔に目が向く。痛々しい頬の傷痕は、彼と初めて出会った時よりは格段に色が薄くなっているように思う。レイが調合した薬を、きちんと塗ってくれているようだ。効果が確認できるのは、やはり嬉しいものだ。
「……あのドラゴンゾンビは、ちゃんと逝けただろうか」
クラウスの優しい指が気持ちよく、瞼が自然と降り始めてしまう。それに抗うように、レイは言葉を絞り出した。
「心配せずとも、きちんと還った。ザルハディア王国の大司祭が緊急召喚されて、ドラゴンゾンビの痕跡にもきちんと浄化を施したそうだ」
優しく響く声に、レイはゆっくりと瞼を閉じた。遠い記憶の中で、誰かがこうやってくれていた気がする。でもそれが誰だったのか思い出せないまま、意識は微睡の中へ落ちて行った。――おやすみ。そう聞こえた声だけは、記憶の彼方の主とは違って、愛しさが募った。
翌朝目が覚めた時の動揺は、計り知れなかった。やってしまった。そう思いながら隣で幸せそうに寝息を立てていたクラウスを叩き起こす。既に人が起き始めるような時間帯。本来なら身分を偽り入国しているクラウスを、日が昇り始める前には自分の部屋まで帰さなければいけなかったのに。明らかに寝過ごしている。
既にペリスコット公爵家で働く人々は動きだしていた。遠くから朝食用だろうスープのいい匂いはするし、庭を掃除する気配も感じる。
焦るレイを横目に時計に目をやり、再びベッドの中へ引きずり込もうとするクラウスに、レイは苛立ちを抑えながら押しのけた。
「おいっ! まずいだろう!」
今からでは遅いだろうが、クラウスなら人目が付かないように移動することもできるだろう。そう期待していたのに、本人のやる気が見えない。
「……問題ない。既に私の身分は明かしてある」
やれやれと謂わんばかりにクラウスが起き上がり、気だるそうにベッドから降りた。それをベッドの上に座ったまま、レイはぽかんと見ていた。
レイの要領を得ないという表情に、クラウスはさも当然のように言ってのける。
「昨夜、君があの薬の副作用で調律に入ることは分かっていた。だが、魔法麻酔薬の効果がいつ頃切れるかも分からない。……レイがあられもない姿で私を求めて屋敷中を練り歩くのを防ぐには、私がこの部屋にいることが必須条件になる」
椅子に掛けてあった自分の衣服に、簡単に洗浄魔法をかけてから、クラウスはてきぱきと動き始めた。その姿を視線で追いながら、レイは言われたことを眠い頭を必死に働かせながら噛み砕いていた。
言われて見れば確かにその通りだ。長時間、婚約者がいる者の部屋に居座るためには、自身が婚約者であることを明かしておくのが一番いい。とてもシンプルで分かりやすい。だが、それは非常にまずいはずだ。
「お前……身分を偽って入国したことがバレてるってことだろう!?」
レイの頭の中には、『国際問題』と『犯罪』の文字しか浮かばない。絶対露見してはいけないところのはずなのに!
しかし、焦るレイをなだめることしか考えていないクラウスは、シャツに袖を通しただけの状態でレイの元へ戻ってきた。ベッドに再び腰掛けると、レイの目を覗き込むように顔を近付けてくる。
「既に手を打ってある。ペリスコット公爵が裏で手を回して、私の名前で入国したことになっているから」
「……は? は?」
理解が追い付かないレイの頬にそっと口付けて、クラウスは更に追い打ちをかけてきた。
「ペリスコット公爵家に招かれたことにしてある。『公の立場で動くと、やれ社交だなんだと面倒になってしまうから、表向き護衛という立場を使って入国した』と屋敷の人間に明かしてある。あまり使いたくない手ではあったが、致し方ない」
平然と言ってのけるクラウスの言葉に、レイは頭を抱える。それはそうだろう。ペリスコット公爵は、大の社交嫌いで通っている。他国のクラウスを呼ぶという行為自体が、疑問を持たれるだろう。
「い、つ……明かした?」
「昨日レイを抱えて帰ってきた時に」
クラウスは、先ほど口付けた方とは逆の頬に今度は唇を寄せ始める。面倒で放置していたが、こちらの心境を考えずそんなことをし始める婚約者にレイは苛立ち始めた。
そして、そんなことを知らずにか、クラウスは最後の最後に特大の爆弾を投下した。
「故に、ペリスコット公爵も口裏合わせのために、昨夜遅くにこの邸宅に入っている」
「……それを早く言えぇッ!」
レイはクラウスを突き飛ばし、掛布団を跳ね上げると、寝間着を脱ぎ捨てながら着替えに走った。
レイは小さな肩を更に縮こませながら、応接室のソファに座って待っていた。広い応接室にはテラスが付いており、陽の光が充分に入ってきて明るく、貧乏性のレイは、家具の日焼け対策はどうしているんだろうなどと考えながら、現実から目を背けていた。いや、貴族はそんなことを考えたりはしないのかもしれない。
来客用のソファは大きく、応接室の中央を四角く囲うように配置されていた。ガラス製のローテーブルの上で湯気を上げているティーカップからは、芳醇な茶の香りが広がっている。
「……そんなに緊張しなくていい」
レイの様子を見かねて、クラウスが声をかけてきた。しかしレイは鼻の頭に皺を寄せながら黙ってクラウスを見るだけで、何も答えようとはしなかった。
もとはと言えばコイツが昨晩しつこくしてこなければ、こんな気持ちで今日を迎えなくて済んだはずなのだ。ペリスコット公爵がこのタウンハウスに到着したのは、皆が夕食を取ったあとの時間だという。時間としては確かに遅い時間だが、「クラウスは?」と聞いてきた公爵に、ケリーとコリントが気まずそうに「婚約者の状態が悪いのでそばについています」と答えたというのだから、いっそこのまま蒸発してしまいたい気持ちでいっぱいだった。
「まぁ、あらかた報告はしておいたから」
商人風の格好をしたコリントが、口を挟んできた。ケリーとコリントの前には薬草類の分厚いカタログが置かれている。便宜上、マルキオン教授から紹介された薬草業者という形でお目通りを願う立場らしい。さらに、マルキオン教授と共にオルディアス王国からやってきた、レーヴェンシュタイン公爵家の者として招かれているクラウスとも顔が通じているということにしておけば、クラウスからの推薦もある、という方向で同席できるようにこの場を設けたようだ。
しかし、そんなコリントの様子もなんだかおかしい。隣にいるケリーとの間に、普段よりもひどく間が空いている。そんなコリントをちらりと見やるケリーの表情は、どこか面白いものを見るかのようにニヤついていた。
クラウスはきっと分からなかっただろう。しかし、レイには分かった。少しばかり距離があっても、二人から聞こえる微かな魔力の共鳴音。これが意味するところは、つまり――。
そんなことを考えていたら、応接室のドアが静かに開いた。その場にいる全員が起立し、出入り口の方へと頭を垂れた。
「……またそういうかしこまったことを。私はもう、オルディアスの人間ではないんだ。楽にして」
その言葉を皮切りに、皆が顔を上げる。レイはその顔に見覚えがあった。しかし、本人であるわけがない。話し方も違えば、声の張りすら違う。だが、脳が誤認する程に、ケイデン・ペリスコット公爵の顔はオルディアス国王そのものだった。
「兄上は、息災か?」
「はい」
ペリスコット公爵がソファに腰を下ろしながら尋ねたことに、クラウスが即座に答えた。オルディアス国王よりも丁寧に対応するのを見ていると、なんだか不思議な気持ちになる。
「まぁ、兄上の事だ。そう易々とはくたばらんか。……いや、まずは皆の無事を喜ぶところだな。すまない。こういうところが、私の良くないところだ」
自問自答するペリスコット公爵に、皆が軽く頭を下げる。元オルディアス王国の王族であり、今なお諜報部の協力者でもある人だ。敬うべき人であることは確かだが、執着もないのに王位争いに担ぎ上げられることを憂いて、ザルハディア王国へ渡った心優しき人だ。こういった君主らしからぬ人柄が、自然と皆の歓心を得るのだろう。
「さて、では……話を聞こうか」
その言葉を待っていたとでも言うかのように、コリントが防音・盗聴防止の結界を張った。ケリー、コリント、クラウスの順で報告が始まり、ペリスコット公爵は終始無言で頷きながらそれに耳を傾けていた。
オルディアス国王の第二王妃フーリシュカ主導による王位簒奪計画。すべてはそこから始まった。フーリシュカがオルディアス王国に嫁ぐ原因となったのも、目の前にいる王弟ケイデンがザルハディア王国へ渡ったことにある。その本人に聞かせる話としては、なんとも皮肉な報告会だった。
先日のベイストンの捕縛からドラゴンゾンビの下りまで全て聞き終えると、ペリスコット公爵は大きくため息を吐いて、ソファに深く座り直した。こめかみに指を置きながら、肘掛けに肘を置く姿を見ると、これからのザルハディア王国の行く末を案じる立派な貴族のように見えた。
「つまり私は……」
ようやくペリスコット公爵が口を開き、出てきた言葉の人間臭さに、レイは心の中で不憫に思った。
「クラウスの不正入国の尻ぬぐいとベイストン博士の捕縛だけに留まらず、フォーリォル侯爵家とザルハディア王国の癒着、ならびにザルハディア王国が犯した罪の追及までしなければならない……ということか?」
その疑問について、誰も何も言及しなかった。おそらく、心の中で皆が一様にレイと同じことを思った瞬間だった。
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