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第133話 心の支えを弔う日
ベイストンの家の周りは、草花が多かった。だが、手入れが行き届いているわけでもなく、草花と雑草が共生しているような場所だった。おそらく、ナスチャという女性は、庭いじりが好きな人だったのだろう。呪いを受けたことで、管理するのが難しくなり、魔法機構で水やりだけは継続されていたために、このような結果になったまま保存されてしまったのだと思われた。
レイとケリーは、庭の一角にあるベンチに腰を掛けて、ベイストンが出てくるのを待っていた。ペリスコット公爵の私兵が付いている上、ベイストンの両手には魔法使い用の拘束具が嵌っている。逃走や後追いなどというような、もしものことは起こらないだろう。
「ベイストンには子はいない。すでに他界している」
ケリーは、淡々とベイストンについて調べたことを話し始めた。レイと初めて出会った時にはベイストンの名前を把握していたという時点でも、ある程度黒い人物として調べていたのは間違いないだろう。
「妻とは政略結婚。ベイストンはほぼ研究に勤しんでいたために、妻との時間はほぼ取っていなかった。研究で得た金だけを浪費されるだけの日々に愛想が尽き……いや、そもそも愛想なんてなかったんだろうがな。早々に別居状態になっていた。……妻が死んだ理由は事故ってことになってたが、ベイストンの恋人を呪ってたのなら、おそらく――」
濁された言葉を聞きながら、レイは玄関の方へ目を向けた。ペリスコット公爵の私兵がドアを開け放ち、白いシーツをすっぽりと被せた担架が運び出された。
レイとケリーは立ち上がり、黙して見送った。その後ろを、呆けて歩くことすらままならないベイストンが、ペリスコット公爵の私兵に両脇を抱えられ、引きずられるように護送車へと乗り込んでいった。
彼を支えていたのは、膨大な自身の魔力ではなく、愛する者がいるという事実だったのかもしれない。
「ベイストン先生は、今後どうなる?」
「……先生ねぇ」
レイの言葉に、ケリーはため息交じりにそう呟いたが、敢えてそれ以上言及することもなく肩をすくめた。
「さてなぁ。ベイストンを裁くはずの国がそもそもの元凶だ。その辺はペリスコット公爵の手腕にかかってるだろうが、今までの功績を考慮したとしても……まぁ、ただではすまんだろうな」
ケリーの返答に頷きながら、レイは走り去っていく護送車を見送った。もう二度と、会うことはないだろう。レイにとってザルハディア王国に来る理由が一つなくなった瞬間だった。
「……俺たちも帰るか。クラウスたちはもう戻っている頃か?」
レイが留まっている馬車に向かって歩き始めた時、ケリーはばつが悪そうな表情でただ黙っていた。これこそ何でもない問いだったはずなのに、ケリーが答えなかったことが不思議で、レイは思わず立ち止まった。
ケリーの表情は暗かった。それだけが、レイの心をざわつかせた。
「……クラウスとコリントは……いや、クラウスは何を指示された?」
そもそも、ペリスコット公爵は諜報部に協力している立場の人間であって、諜報部に命令を下せるような人物ではないはずだった。それが、ペリスコット公爵からの指示だといってクラウスに話を通したのはコリントだ。疑問に思うのが遅かった。これは、おそらく今回の任務の指揮をとっているコリントが、クラウスへ何らかの命令を下したと考えるのが妥当だ。
「まぁ、バレるわな」
ケリーは小さく息を吐いて、レイにクラウスの居場所を伝えた。
乾いた秋風がレイの頬を撫で、伸びた草花が擦れて音を立てた。レイは少しだけ目を見開いたが、ただ「そうか」と呟いて、そのまま馬車に乗り込んだ。それでも、ケリーが馬車に乗り込む直前で、八つ当たりをするようにドアは閉めた。
クラウスは、やることもなく、ただぼんやりと眠るリュールゥを眺めていた。冷たく固い土の上にいるのは酷だろうと、枯れ落ち、乾いていそうな草や葉を集めて山を作り、その上に寝かせていた。そして自身もまた、その山の上に座っている。
リュールゥとその父であるアースドラゴンの里がどこにあるのかは知らないが、この二体はエルフが管理する森の中にいた。まるで鳥かごのような結界にリュールゥとその父親を別々に閉じ込めていたのを見た時は、心底レイがここに来なくてよかったと思った程だった。
アースドラゴンとしてもエルフとしても、このリュールゥの今後について判断を下せずにいるのは、人間側と大して変わらなかったようだ。
人間を取り込んだ代償は、未来への信頼に直結する問題だった。竜の森との境を守護するエルフが場所を貸し与えてくれたのは有難い話だが、いつ牙を剥くとも限らない存在を近くに置いておくのは、やはり神経を尖らせるらしい。ただでさえ、先日のドラゴンゾンビの一件で、エルフはとんでもない尻ぬぐいをさせられていたのだ。
予想通り、モンスター・スタンピードは発生していた。ただ、今回については脅威となるドラゴンゾンビが人間の生活圏から発生したために、魔物たちが逃げた先はエルフの生活圏だった。しかし、魔物の対処に慣れているエルフたちは、魔物を惑わせたり罠に掛けたりすることで、大した被害を出さずに済んだらしい。ただ、逃げていった魔物たちが次にどこでどのような影響を与えるかは分からない。
クラウスは、そっと眠るリュールゥの背を撫でた。まだ鱗が生えそろっておらず、ところどころ皮膚が見えている背は、柔らかくざらざらとした触感だった。リュールゥの瞼が一度持ち上がったが、そのままクラウスの手に鼻先をツンとつけたあと、再び眠りについた。
「……よくもまぁ、そんな近くにいられるね……」
コリントがため息をつきながら、呆れたように声をかけてきた。乾燥させた樹皮を編んで作られた椅子の上で頬杖をつき、じっとこちらを見張っていたコリントにしてみれば、何を呑気にしているんだと思っているのかもしれない。
クラウスとコリントは、いわば人柱役だった。一度体内に取り込んだ人間と、それ以外の人間。両方が魔術師で、魔力の質としても申し分ない。人の味を知る衰弱したアースドラゴンにとっては、よだれが出るほどの好物が、目の前で腹を出しているようにも見えるだろう。敢えて外敵を排除する空間に閉じ込め、餌をぶら下げた状態をどれだけ維持できるのか。この鳥かごのような結界は、それを見るために誂えられた場所だった。
本来なら、クラウス一人でくる予定だった。しかし、クラウスはコリントの信頼をどうやら失ったらしい。リュールゥを逃がしたり、嘘を吐く可能性を考慮して、見張りとして共に檻の中へ入ると言ったのだ。
「……言っただろう。大丈夫だと」
そう返しながらも、クラウスにとっては一種の賭けでもあった。今、クラウスの周りにはリュールゥにとって天敵とも言えるレイの魔力は無い。先日、リュールゥが「クラウスの魔力はうまそうだが、レイに見られているから手が出せない」と言っていたのも事実だった。もし、レイがそばにいない状態でクラウスがリュールゥに近付き、この仔が襲いかかってきたならば、その時は……その嫌な考えが杞憂で済んだことを、心から安堵したのは、他でもないクラウス自身だった。
「そう考えるのは、時期尚早だよ。まだ、鳴りを潜めているだけかもしれないからね」
コリントは緊張した面持ちでこちらを睨みつけてきていた。
「クラウスに手を出さない理由が、“今の状態だったらクラウスに負けるから”だったらどうするのさ」
そう言いながらも、サイドテーブルの上に置かれた林檎を一個掴み上げ、コリントはクラウスに投げて寄こした。林檎からは甘酸っぱい香りが漂い、充分に熟していることが分かる。
クラウスはその林檎をそのままリュールゥに与えることも考えたが、どう考えても大きい。切るか。そう思った時、以前、レイがハーブティーを作っていた時のことを思い出した。器用に魔法で林檎の皮を剥き、細かく切りながら芯と種を分け、乾燥させているのを見て、クラウスはレイを生活魔法のプロだと称賛した。その時もレイは、「え、本当に皆やらないのか?」と驚きながらも、自身の常識のズレを恥ずかしがっていた。
レイが行使していた魔法の構成式を頭の中で組み上げながら、自然と頬が緩む。今回は乾燥まではさせないため、そういった部分の構成を省いて行使した。こういった生活魔法は、構成式を順に、かつ緩やかに行使していかないとうまく発動しない。幼少の頃から、魔力回路の欠陥を抱えながらも創意工夫で乗り切ってきたレイの努力が見てとれる。
手の中に納まる細切れの林檎をリュールゥの鼻先に持っていくと、リュールゥは目を開けて頭を持ち上げた。クラウスの手を噛まないようにしながら、器用に林檎をガツガツと食べ始めるリュールゥを見て、コリントは呆れたように椅子の背もたれに体を預けた。
「なんか……うん、難しく考えてた僕が馬鹿みたいだ」
右手で目を覆いながら天を仰ぐコリントにちらりと視線を送ってから、クラウスは再びリュールゥに視線を戻した。
「……楽観視しているわけではない」
掌の果汁すらもリュールゥはペロリと舐め上げ、クラウスの足の上に体を預けるようにして眠り始めてしまった。クラウスはそれを穏やかに見下ろしながらも、そう呟いた。
「この仔が人の味を覚えてしまったのはおそらく事実だろう。だが、それ以上にきっとこの仔は、人を喰うことで嫌われることを恐れている」
「……嫌われる?」
コリントが理解できないとでも言うかのように聞き返してきた。それに対して顔色一つ変えずに、クラウスは頷く。しかし、それ以上言葉を続けようとしないクラウスに、コリントはめんどくさそうに視線をぐるりと回した。
「……もしかしてだけど、レイに嫌われたくないから人を喰わない……って言いたいワケ?」
わざわざ聞いてくるコリントに、クラウスはそれ以上の言葉は不要だと思っていた。何を当然のことを聞いてくるのだろうか。
リュールゥの中で、クラウスは確かに聞いた。リュールゥは、レイに会いたがっていた。噛んだことを謝りたかったのもあるだろうが、噛んだことで嫌われたと思ったのだろう。それがどうにも悲しかったのだ。レイはリュールゥのことを嫌いになってなどいないと伝えた時の、あのあどけない反応を、クラウスは信じていた。――今思えば、レイとクラウスを取り込んだあの行動は、嫌われてしまった相手を離したくないという、独占欲の表れだったのだろう。それが理解できるのは、クラウスだけだったかもしれない。
――悪いが、レイは渡せない。そんな思いで、クラウスがレイをリュールゥの中から弾き出したのも、また事実だったのだから。
「なら、レイが生きている限りこの仔は人間を喰わない、とでも? 馬鹿げてる」
コリントが再び頬杖をついてクラウスの方を見て来た。クラウスは再びリュールゥの背を撫でながら、心の中でコリントの言葉を否定していた。
おそらくレイが言えば、リュールゥは死ぬまで人を喰うことはないだろう。むしろ、時を経て記憶が風化し、そんなこともあったなと思い出した時の記憶が、どうか輝かしくあることを願っていた。
「……私たちが生きているうちに、元気な姿を見せに来い。オルディアスにて、私たちは待っている」
小さく寝息を立てているリュールゥに、クラウスは囁くようにそう伝えた。聞こえたかどうかは分からないが、リュールゥの耳がぴくりと動いたのを、クラウスは確かに見ていた。
レイはふて寝していた。明日からの学会は、中止になったようだ。継智の塔の修繕に時間がかかるという話らしいが、ケリーの調べによると、ザルハディア王国がリュールゥを捕縛しようとしていた痕跡を消すのに時間がかかっており、国お抱えの魔法使いたちが火消に奔走しているためらしい。結局、こんなに大変な思いをしてまで乗り切ったのは、全て学会に参加するためだったのに、その学会がなくなってしまった。これがふて寝せずにいられるだろうか。
枕を抱え、ころりと転がっても端まで届かない程広いベッドの上で、煮え切らない気持ちのままクラウスを待っていた。ベッドの上から見える分厚いカーテンの向こうは、もうとっくに陽が落ちてしまっている。
眼鏡のつるが当たるのが気になり始め、レイは渋々体を起こした。眼鏡を外して横になったら、本当に寝てしまいそうだった。――そう。学会がなくなったことなど、二の次だった。レイは単純にクラウスの帰りを待っていただけだった。心配なんてしていない。ただ、少しばかり……気になっていただけだった。
レイはそのまま、ローテーブルに目を向けた。昼過ぎにカーレンとサマンサが持ってきた手紙が、そのままの状態でローテーブルの上に置かれている。
カーレンが、リーンの妹である自身の母親から借りてきた手紙である。発展途上だったとはいえ、当時から通信魔法機器は主流の連絡手段だっただろう。それでも手紙という媒体で連絡を取っていたのだから、何かしらの理由があるはずだ。ともあれ、リーンからの手紙が大事に保管されていたのは、こちらとしては行幸だった。
内容をすぐに検(あらた)めようとしたサマンサに、それはクラウスが戻ってからにしようと声をかけたのは、他でもないケリーだった。もちろん、サマンサはすぐにでも見るべきだと主張した。そもそもケリーたちに下された命令は、リーンがレーヴェンシュタイン公爵家で何を探り、公爵を害そうとしたのかを知ることだったはずだ。その手がかりとなるものを、理由はどうあれ後から来たクラウスのためにすぐに確認しないのはどういうことだ、と。
「……その前に、話さなきゃならんことがある」
そう前置いて、ケリーは重い胸の内をサマンサに打ち明けようとした。サマンサの掌に、そっとステンレスピアスを置きながら。
手の中にある兄がつけていたピアスを見て、サマンサは全てを察したようだった。実の兄の殉死。その事実に、キッと吊り上がっていた目が、茫然とただ開かれていた。
何かを言おうとしたのだろう。唇が僅かに開き、サマンサはそのまま俯いた。涙さえも、彼女の目から溢れることはなかった。ただ何も言わずに部屋を出て行ったサマンサの後を追いかけたのは、カーレンだけだった。
「……煙草、あるか?」
サマンサの背を見送りながら聞いてきたケリーの表情に、レイはただ「持ち合わせていない」としか答えられなかった。
レイは再びベッドに倒れ込んだ。ここに来てから一週間程経ち、見慣れてしまった天蓋も、学会がなくなったのなら見納めとなるだろう。
オルディアス王国に帰れる。それ自体は喜ばしいことだった。ただ、今朝の新聞のことは、オルディアスにも伝わっていることだろう。帰ったあとのことを考えると気が重い。
「……ばあちゃん、元気かな」
いっそこのまま自分も、ほとぼりが冷めるまで霊峰ヘイムディンズに行ってしまおうか。そんなことを考えてしまうほどに、レイの心は憂鬱だった。
それもこれも、早く帰ってこないクラウスが悪い。そういうことにして、レイは眼鏡を外した。
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