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第134話 エルフ

 結局、クラウスはその晩帰ってこなかった。レイの小型通信魔法機器は音を発することもなく、クラウスの代わりにペリスコット公爵邸に残ったケリーは、自分だけが通信できる状態を申し訳なさそうにしていた。  確かに、レイはただの協力者であって、諜報部員ではない。協力できる部分が終わったのなら、一線を引くべきであるのは確かだった。全てを明かされるべきだ、などという主張が通るはずもない。歯痒くもあるが、レイがその一線を越えるならば、あちらも越えてくるのは目に見えていた。リミッター解除薬について問われたときに、レイは答えられない。ならば、レイがその引かれた線を越えるわけにもいかなかった。だとしても、今日帰るか帰らないかぐらいは、流石に教えてほしかった。  帰国に向けて準備をするレイの部屋にノックが響いたのは、お昼を過ぎたあたりだった。なんだか嫌な予感がして、捲り上げていた袖を戻してから、「どうぞ」と返事をした。  ドアを開けたのは家令だった。そして、その後ろから入ってきたのは背筋がピンと伸びた、オルディアス国王そっくりのペリスコット公爵だった。  恭しく頭を下げてから執事が退出し、ドアが音もなく閉められる。それを見計らったように、ペリスコット公爵が話し始めた。 「もう帰り支度か」 「はい。学会がなくなってしまいましたので……大変お世話になりました」  レイがお礼を口にすると、ハハッと笑いながらペリスコット公爵はソファへ腰を下ろした。無言の「座れ」という圧力に、レイの胃は縮みあがった。どうして誰もいない時に限ってこんな大物と二人きりで話さねばならないのか。内心冷や汗をかきながら、レイも促されるままにソファへ座った。 「率直に聞く。レイ・ヴェルノット子爵。君はどこまで知っている?」  オルディアス王国貴族位込みのフルネーム呼び。何に対してなのかも限定しない問いかけ。レイの胃はきりりと痛んだ。昼に食べた川魚の香草煮込みが出てきそうだった。  何も知らないと言えば、何を聞かれたと思ったのかとくるだろう。察しが悪い振りをすれば、貴族として将来のクラウスの伴侶が務まらないと思われるかもしれない。最善は、ペリスコット公爵の意図を汲んだ上で、正しく答えを返すこと。 「……国王陛下から聞いたことをおっしゃっているのであれば、少しだけ」  レイは早々に背伸びするのを諦めた。どうせクラウスの地位に見合った人間ではないのだ。まったく違う事柄だったとしても、恥をかくだけだ。ペリスコット公爵が「こんな奴を婚約者に選ぶクラウスがどうかしている」と言わないことだけを祈るばかりだ。 「少し、か。……なるほど」  噛み締めるようにそう呟いたペリスコット公爵を見て、レイはほっと胸をなでおろした。わざわざオルディアス王国の貴族位を伝えてくることで、オルディアス王国に関係する話題というのは、遠回しに示唆されていた。だが、それが国王とクラウスの関係の話なのか、諜報部関連の話なのかが分からなかった。むしろぼかした答え方をしてしまっている関係上、今度はペリスコット公爵を悩ませてしまったかもしれない。  返答を吟味するペリスコット公爵を見ながら、レイは公爵が纏う魔力を見ていた。魔法使いではないため、魔力量はそこまでではない。だが、何かがおかしい。オルディアス国王と似ているが、本人のもののようで、本人のものではないような、よく分からない印象を受ける。 「内情もある程度開示されているということは、兄上の懐に入ったのだろう? それなのに何故兄上は君を諜報部に入れなかった? クラウスと魔力の相性も良い。今回も大きく貢献をしてくれている。ケリーが呪われたことも突き止めたと聞いている」  何故だか持ち上げられているが、実際レイは諜報部に入る試験に落ちている。今回は、ただレイの能力が上手く活用できるような場面が多かっただけの話であり、結局試験に落ちたということが、求められる能力が足りていないという事実でしかない。  困ったように笑顔を浮かべると、ペリスコット公爵は少しだけ身を乗り出した。 「クラウスと婚約していることは承知の上で問う。……ザルハディア王国に残るつもりは?」 「……は?」  思わず不敬な言葉が漏れる。だが、ペリスコット公爵は気に留めてはいないようだった。 「先日、君はドラゴンゾンビを一撃で屠る程の力を見せた。結局のところ、今回ザルハディア王国がこのような暴挙に出た理由は、タールマンをオルディアスに取られ、他国に誇示できるような戦力が自国にないことにある。“伝説の魔法薬士”という肩書は、ザルハディア王国でこそ輝くと思わないか?」  レイは呆気に取られていた。正直、話の半分ぐらいは聞き流してしまっていたと思う。そんなことよりも、レイは“タールマン”という単語に反応するように揺らぎ、ジッという聞いたことのない音を上げたペリスコット公爵の魔力を見ていた。すぐに潜んでしまった微かなズレのような気配に、レイはその正体を見ていた。 「……本当に、いないんですか?」  レイの言葉に、沈黙するペリスコット公爵。じっとこちらを見つめてくる瞳に、レイは確信を得た。 「公爵を守るために、微弱に纏っているその魔力……他人の魔力に擬態させるなんて芸当をやってのけるほどの術者が、貴方のそばにいる。……ですよね?」  指摘しても尚、表情一つ変えず動揺を見せることもない。ただじっとこちらの真意を読もうと見つめてくるペリスコット公爵を、レイは見つめ返すことしかできなかった。  そして、不意を突くように張られた防音結界に、レイはすぐに身構えた。反射的に脳内で整えた初級結界魔法の構成を行使する直前、ペリスコット公爵と自分を包み込むように張られた結界が、自分たちを守るように強固であることが分かり、害意はないと判断してやめた。だがやはり、強い魔法の気配にすぐさま隣の部屋にいたケリーが部屋に飛び込んできた。  明らかに警戒している顔のケリーを見て、レイはこの防音結界を張った人物が分からず、ぎゅっと強張る体を鼓舞して、そっと腰を上げた。ケリーが何か声を発しているが、レイの耳には届かない。外の音さえも遮音する構成式の結界を、ペリスコット公爵が行使するとは思えない。 「――すみませんケイデン。まさかバレるとは思っていませんでした」  ペリスコット公爵のすぐ後ろから涼やかな男性の声が聞こえる。しかし、そこには誰もいない。 「良い。まさか私もこんなことになるとは思っても見なかった。なるほど、これは面白い」  顎に手をやりながら、ペリスコット公爵は平然と言ってのけた。しかし、声の主は姿を現さない。あまりの不気味さに、レイは頭の片隅でどうやって逃げるか算段をしていたが、どうにもできそうになかった。 「このような形での挨拶となってしまい、大変申し訳ありません。諸事情で姿を見せることはできませんが、貴方を害するつもりは毛頭ありませんので、どうぞお掛けください」  凛とした声が結界の中に響く。レイは上げた腰をそっとソファの上に降ろしながら、結界の外のケリーを見た。ケリーもこちらを見ている。そのままレイはペリスコット公爵の方へ視線を素早く移動させた後、小さく頷いて見せた。ケリーも緊張した面持ちで、小さく頷き返してくる。ペリスコット公爵の仕業であることは伝わったようで、ケリーもただこちらを見守り始めた。 「残念ながら、そこにいるケリーにも知らせるわけにいかない話なので、ただ頷くぐらいで反応してくださいね。そして、他言無用でお願いします。ケイデン、貴方は不自然じゃないように口元を隠しておいてください」  姿を現さない誰かに釘を刺され、レイはそのまま黙って頷いた。そうでないと、命の保証をしてもらえないことは、実力の差で痛感していた。 「私はアルマン。タールマン・ギースの師にして、育ての親です」  レイは背中を冷や汗が流れていくのを感じながら、驚きのあまり視線を下げた。アルマンという名でこれほどの実力者と言えば、心当たりは一人しかいなかった。――タールマンが台頭する前の最強の魔術師にして、オルディアス国王の先代の秘術官。だが、彼はもう死んだはずの人物だ。 「驚くのは無理もありませんが、仕方のない措置だったんですよ。私は、“長命”ですから……タールマンよりもね」  淡々と明かされていく事実に、レイはめまいがしそうだった。ハーフエルフであるタールマンよりも長命などと言われたら、もうそれはエルフしかいない。もちろんドワーフも長命種ではあるが、ドワーフは残念ながら魔法に秀でた種族ではなかった。 「私が長いこと表舞台で活躍していたら、それはオルディアスにエルフがいることを伝えてしまうことになる。当時は人間から最強の魔術師が出て来るなんて思っても見ませんでしたからね。各国がエルフを味方に付けようと必死だった時代です。そういう点では、ザルハディアはエルフが棲む土地ですが、残念ながら彼らは、商人ピトル没後、国防関係には協力しない声明を出してしまいましたから……あぁ、私はザルハディア出身のエルフではないですよ。どこかは秘密です」  こちらが反応することを禁じたために、すらすらと先回りして話をしてくれるアルマン。だが、レイはその話を聞きながら、長く抱いていた疑問の答えを得たように思えた。タールマンが日常的に姿を見せないようにしていた理由が、こんなところにあったとは。 「表舞台から消えなければならなくなった私が、悠々自適なスローライフを送ることも許されず、ケイデンと共にザルハディア王国へ来ることになった理由……何故だか分かります?」  反応するなと言う癖に、こちらに問いかけてくるのだから、レイは正直困った。苦笑しながら首を横に振って見せると、アルマンは楽しげな声を上げた。 「ケイジンに頼まれたんですよ。まったく、弟のことが大好きなんだから」 「やめろキモチワルイ」  ペリスコット公爵が心底うんざりするかのように天井を見上げてそう呟いた。それを見てか、面白そうに笑うアルマンの声を聞くと、彼がタールマンの師というのはあまりにもピンとこなかった。 「さて、先ほども伝えましたが、他言無用でお願いしますね。……さぁ、ケイデン。どうせ振られることは分かってるんです。私たちもお暇しますよ」  そう捲し立てるように言いながら、ペリスコット公爵に纏わせた魔力が上に持ち上がる。それに引っ張り上げられるようにペリスコット公爵が立ち上がったのを見て、なるほど、確かにこの方はクラウスの師を鍛えた張本人だ、とレイは思った。 「……あ、そうそう。クラウスにうまいこと伝えておいて欲しいんですが」  ペリスコット公爵を急かした割には、付け加えるようにアルマンは言った。 「ここの結界、ちゃんと戻しておいてくださいね。ついでに修繕もよろしく、とね」  言い終わった瞬間、レイが頷くよりも早く、パチンと指を鳴らす音と共に防音結界は解除された。ケリーがすぐさま周囲に視線を走らせるが、もちろん完璧な隠密魔法の行使者を見つけることはできなかった。 「レイ、心変わりしたら、すぐに連絡してくれ」  楽しそうに不穏な一言を残して、ペリスコット公爵は部屋を出て行った。 「……何があった?」  冷や汗をかいたままソファから動けないレイに近寄ってきたケリーが、神妙な面持ちで素早く聞いてくるが、レイは大きく息を吐いた。まったく、こんな堂々した内緒話を、どう取り繕えばいいというのだ。  額の汗を拭いながら、深くソファに体を沈み込ませて、レイはもうどうにでもなれと口を開いた。 「ペリスコット公爵に口説かれた」  その一言に固まるケリーを、レイは呆れたように見上げた。 「冗談だ。クラウスに言うなよ」 「言わねぇよ……おっかねぇ」  引き攣った笑みを浮かべるケリーに、レイもまた乾いた笑みを浮かべた。もっとおっかないやつが、ペリスコット公爵の守護をしているなどと、口が裂けても言えない。だが、ケリーはコリントとクラウスに先ほどの内緒話のことは伝えてしまうだろう。そうなった時、レイはクラウスの追及を逃れることができるだろうか。そう考えると、ただただ憂鬱でしかなかった。

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