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第135話 とても面倒くさい
極度の緊張から解放され、気疲れのあまりソファの上でぐったりとしていたレイは、眼鏡を外してローテーブルの上に置いた。ハンカチを魔法で簡単に冷やして目に置き、首を背もたれの上に置いて休憩していた。だが、それでも気が休まるわけではない。
「――で? さっきのは一体なんだ? 本当はなんて言われたんだよ?」
ケリーからの追及は止まらなかった。まぁクラウスから追及されるよりはマシかもしれない。いっそそれらしいことを伝えておいて、クラウスの耳に入った方が後が楽にも思えてきた。
ハンカチをずらして一度ケリーを見るが、その顔は真剣そのものだった。心配されているのがよく分かる。今から誤魔化そうとしている罪悪感から目を逸らすために、レイは再びハンカチを目に被せた。
「あの防音と遮音性能がおかしい結界については分からん。結界の無い防音機構装置 の進化版でも持ってるのかもな。ただ、構成式が覗けないぐらい複雑なものだったのは確かだ。ペリスコット公爵に、それなりの伝手があるってことなんだろう。そういえば、このタウンハウスの結界に、エルフの技術が入っていそうだったからな。そういうことなのかもしれん。……あぁ、ここの結界については、中身を弄り倒したクラウスの方が分かると思う」
ため息と一緒に事実と嘘を織り交ぜて伝える。レイは吐いた分の空気を吸い込みながら続きを考えた。時間を置けば置くほど、こういうのは真実味がなくなる。
「内容については、言えない。俺の本職に関わる話だ。詳しいことは伝えられない」
「……ほーん?」
ケリーがレイの目に被せたハンカチに手を載せた。より密着するハンカチに、少し冷気が足される。ケリーの掌から出ている冷気の魔法は、構成式は基礎中の基礎だったが、出力されている魔力量で絶妙に調整されている。難しい構成式の魔法を組み立てて行使するだけが魔術師ではない、というのがよく分かるお手本のような魔法だった。
「……ってぇことは、ペリスコット公爵はどこか悪いのか?」
「いや、魔法薬士の仕事は治療に関わることだけじゃない。魔法薬を使用する商品研究とかもある……これ以上は言えない。聞かないでくれ」
相手は諜報部の人間だ。下手なことを言ってボロが出るのは避けたい。守秘義務を盾に黙秘するに限る。
レイがそのまま黙ると、ケリーはそっとハンカチを冷やしてくれていた手をどかした。
「なぁレイ。俺は確かに諜報部 の人間だし、ペリスコット公爵は協力しちゃぁくれてるが、もう既にザルハディア王国の人間だ。オルディアスに牙を剥くとは考えてねぇが、自国 の安寧と発展を考えなきゃならん立場でもある。……だから、俺はオルディアスに属する人間として、これだけはハッキリさせとかなきゃなんねぇ」
柄にもなく真面目なトーンのケリーの声が降ってくる。話しながらケリーがソファから腰を上げた気配を感じ、ケリーの声が横から上に移動していく。最終的にはレイの肩の上にケリーの大きく分厚い手が乗った。
ハンカチが剥ぎ取られ、ケリーの顔が目の前に現れる。吐息が軽く当たりそうな程の距離で、ケリーの真剣な瞳がこちらを覗き込んでいた。
「……『あの注射薬』に関係しているか?」
その言葉にレイははっとした。確かに、ケリーとコリントの前でリミッター解除薬を強化し、しかもそれをケリーに運ばれている間に目の前で使用した。その後、レイは行使できないはずの身体能力強化魔法を行使し、ドラゴンゾンビを倒すだけの魔法薬を調合した。諜報部として、あの薬を危険視するだけのことは、充分にやらかしている。
「ち、違――」
言いかけたところで、ベランダのガラス扉の鍵がカチャリと開いた音がした。次の瞬間には、冷えた外気が部屋に入り、ケリーの体が首根っこを掴まれたように宙に舞い上がった。投げ飛ばされたケリーの体は壁にぶつかる前に綺麗に受け身をとったが、非常に慌てたように見えない人物に向かって両手を上げた。
「タンマ! 誤解! レイ説明!」
「尋問されてました!」
「おいそれ逆効果!」
保身に走ろうとするケリーを差し置いて、レイは自身の保身に走った。レイのすぐ後ろに、怒りに震えた魔力の香りが漂っている。その怒りの矛先がレイに向いていないとしても、レイにしてみれば後ろめたい隠し事から逃げたかったのだ。
クラウスの魔力がケリーの方へ移動していく。すぅっと足先の方からクラウスの体が空気から溶け出すように現れたが、ちょうどケリーの前に立った時には、クラウスの手にナックルグローブをきゅっと嵌め終わった時だった。
「分かった! 最悪殴るのは話を聞いてからにしてくれ! レイが公爵と――ッ!」
光の速さでクラウスの拳がケリーの鼻先に突き付けられた。ケリーがレイとペリスコット公爵の事を話していなければ、恐らくめり込んでいたと思われる。
時が止まった。ごきゅっとケリーの喉が鳴ったのが聞こえるほどに静まり返った部屋の中で、レイは一呼吸おいて、音を立てずに立ち上がった。
「……公爵と?」
クラウスがケリーにそう促すが、拳はそのまま鼻先に突き付けられたままであった。
「レイが公爵と防音結界の中で密会してた! 何を話していたのかをさっきは聞こうとしていただけ!」
「……だとしても、あの距離である必要は?」
クラウスにとって怒り心頭なポイントはただそこのみだった。明らかに迫っているようにしか見えないほどの距離で話す必要性を感じない。
「逃げられないようにするため! レイがはぐらかしたから、確認する必要があったんだよ! あの『毒のような注射薬』に関することだったら、まずいだろうが!」
――あ、まずい。レイはそっと足音を殺して歩き始めた。部屋の出入り口までは距離がある。広い客室の悪いところだ。
「……“毒のような”だと?」
クラウスの視線はケリーに向けられたままだったが、彼の魔力は不穏に揺らいだ。明らかに「聞いていない」という事実に不安と苛立ちを覚えている。非常にまずい。
ケリーも呆気にとられたような表情を浮かべている。
「聞いていないのか……? 確かに教授先生がそう言ってたぞ」
「言ってたね」
ベランダのガラス扉を閉めながら、いつの間にか隠密魔法を解除していたコリントもケリーの言葉に同調する。
部屋の出入り口まであと数歩。駆け出したくなる気持ちを抑えて、レイは慎重に歩みを進めた。
「マルキオン教授がそう言ったんだな?」
「あぁ」
「そうだね」
確認するようにクラウスが聞いた言葉に、ケリーとコリントが同時に頷く。
――間に合った。レイがドアノブに手をかけようとした瞬間だった。寸でのところで、綺麗な細工が施された如何にも高級そうなドアノブに、クラウスの魔力が巻き付いた。全身の汗腺が悲鳴を上げるかの如く、じわりと汗を噴き出す。ゆっくりとクラウスの方に視線をやるが、クラウスはこちらを見ずに、指先だけをこちらの方に向けて、器用にドアノブに魔力を飛ばしていた。
終わった。レイは観念した。いや、分かっていたことではないか。どうせこの部屋から人知れず出られたところで、逃げおおせるわけなどないのだということを。
「レイ」
名を呼ばれる。抑圧された静かな感情を込めて。
「どういうことか、説明を」
この男が感情的になる瞬間は、いつだってレイに関わることだった。自身が知らされていない副作用があるような危険な薬を、レイはクラウスを助けるために使っている可能性に、自責の念を感じている可能性すらあった。あぁもう、この男は本当に困った奴だ。
「……薬については、二人きりで話したい」
マルキオン教授がわざわざ“毒のような注射薬”と表現したのは、様々な思惑があってのことだろう。リミッター解除薬に対する抵抗性が上がっているのも、体がそれを外敵と判断していることにも他ならないし、そういう意味でも毒という表現はあながち間違っていないと言える。だが恐らく、マルキオン教授がリミッター解除薬をそう表現したのは、ケリーとコリントの目があったからだ。リミッター解除薬がどういったものなのかを知れば、軍事利用される危険性もある。だから、敢えて毒と表現することで、使用リスクが強いことを前面に押し出したのだろう。あの瞬間にそこまで考えつくのだから、あの人の頭は本当にどうなっているのだろうか。
さて、困った。アルマンの語った話を抜きにして、わざわざあんな結界を張った上で話すだけの話を、この場ででっち上げなければならない。諜報部三人相手に。
……どうしろっていうんだよ、ちくしょう。
ケイデン・ペリスコットは、人払いをして自室に引っ込んだ。理由は簡単だ。上機嫌に鼻歌を歌う姿の見えない護衛に一言文句を言ってやろうと思ったからだ。
「何故レイにバレた? 元世界最強の名が泣くぞ」
「元だからいいのでは? それに、私にそんな矜持があるとでも?」
見えないのに飄々とした態度でそう言っているのが容易に想像できて、何を言っても無駄かとケイデンは早々に諦めた。滲んだ首元の汗を手の甲で拭いながら、壁に掛けてある姿見を覗き込む。そこには、もう何年も見ていないが、恐らく兄・ケイジンと同じだろう顔が映っている。
公式的には、ケイジンとケイデンは一歳差の兄弟だ。だが、本当は同い年。ケイデンは、ケイジンの双子の弟だった。
古い迷信だ。双子は忌み子。国に災いをもたらす。そう言い伝えられていたために、ケイデンは生まれてすぐ、信頼できる家臣に預けられた。一年の時を経て産まれたことを公表されたが、体が弱いと偽り、お披露目は用意周到に延期された。もちろん健康面に問題の無いケイデンは、そのまますくすくと育っていき、王位継承争いに巻き込まれていくことになる。
そして、ここザルハディア王国にも、忌み子と言われた娘がいた。名を、イェヴァ・ペリスコット。白髪に、透き通るほど白い肌。ひと際目を惹く深紅の瞳をした、病弱な娘だった。
毒を持って毒を制すという言葉があるように、忌み子には忌み子を当てがうことで、世界に安寧をもたらそうと考える者がいた。そんなことを言い出したのは他でもない、ケイデンとケイジン、そして現レーヴェンシュタイン公爵の父親、前オルディアス国王であった。
もちろんそれに反対したのはケイジンだった。だが、王位を継ぐつもりもない王族が、外交手段に使われるのは当たり前の時代でもあった。王太子の言葉でも、国王の言葉には届かない。そんな折、既に王の秘術官を辞していたアルマンを頼ったのもまた、ケイジンだった。
正直、アルマンが共にザルハディアに来ていなければ、ケイデンの命はとっくに無かっただろう。そんな瞬間があり過ぎて、ケイデンはケイジンに頭が上がらない。結局ケイデンは、命を狙われることに辟易して、領地に引きこもるようになっていくわけだが、それはそれで幸せに暮らしている。今回のようにケイジンから舞い込んでくるような厄介ごとさえなければ、もっと幸せだっただろうが。
「それにしても、レイ・ヴェルノットか。ルミアの孫だが、魔術師でもない。面白そうな奴だった」
「そうですね。ああいう子が甥っ子の隣にいるのは、叔父としては嬉しいですか?」
自分よりもウン十年は先を生きているアルマンが、茶目っ気たっぷりにそんなことを言ってくるものだから、ケイデンは再び疲労感に襲われることになった。
「私は、ザルハディア王国に残ってくれることを望んでいるが?」
「まーたそんなこと言って。本当、素直じゃないんですから」
まるで子供に言うような口ぶりで話すアルマンを、鏡に映る自分越しに探してみるが、もちろんそんな姿は見つからない。
素直になるには、どうにも自分は年を取り過ぎた。兄上なら、どう答えていただろうか。いやきっと、あの兄上の事だ。なんだかんだ意地の悪いことを言って、クラウスとレイを困らせて遊ぶに違いない。昔からそうだ。身内にめっぽう甘いが、身内で遊ぶのも好きな人だから。そんな人が、素直に「そうだな」などと答えるだろうか。
鏡の中の自分が、ニヤリと笑う。そう、結局似た者兄弟なのだ。この顔と同じように。
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