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第136話 明かされる過去
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他国の公爵家に嫁ぐという誉れは、家長としては非常に鼻が高かっただろう。ましてや、魔術師である長女などという負債を引き取ってもらえるなんて、一挙両得以外の何物でもなかった。恋人と別れることにもなったが、もともと結ばれることはないと分かっていた関係だ。互いに泣いて、最後には笑顔で別れを言い合った。このザルハディア王国で相手の健康と幸せを願い合えるような、そんな人と出会えたことで、この国を少し好きになれた気がした。
出発の日には、妹は目を腫らしていた。本当なら私が行くべきだったのに、と語る妹を固く抱擁し、こうなってよかったのだと慰めた。婿を迎えなければならないフォーリォル家としては、長女が魔術師であることが足を引っ張っていた。みんなが幸せになるために、これは必要なことだった。家を出たいと思っていた私には、渡りに船だったのだと、そう言い聞かせた。妹にも、自分にも。
転移港からオルディアス王国に降り立ち、馬車に揺られて向かった先は、王都フィルドンにあるレーヴェンシュタイン公爵邸だ。敷地内をドーム状に包む綺麗な結界の下、広い庭が目に入った。……あぁ、手が行き届いている。この庭も、庭師がきちんと管理をしているのだろう。ここにも、私が好きな花は咲いているのだろうか。彼が私のために植えてくれていた、綿毛が綺麗な白金の――。
馬車が邸宅前のロータリーに差し掛かり、公爵家の前に立っている人物が目に入った。陽光に照らされて眩しい白金の髪が、記憶の中の花と重なる。
馬車が止まる。昇降階段が置かれ、ドアが開かれる。白金髪の容姿端麗な男性は、藍色の瞳を柔らかく細めながら、こちらに手を差し伸べていた。
あぁ、この人が私の旦那様だ。実家に送られてきた肖像画よりも、綺麗な色の髪に戸惑いながらも、その手をとって馬車を降りる。
私はあの時、目の前の誠実そうな男性から、確かに春の香りを感じたのだ。あぁ、大丈夫だ。ここに私を脅かそうとするものはない。確かな安心感があった。
あったはずだった。
西の大国との戦争が佳境を迎えた時、しばらく止んでいたフォーリォル家から催促が、頻繁に届くようになった。フォーリォル家は、スパイ一家だ。この家に嫁がせたのも、フォーリォル家としては「他国の中枢にねずみを忍ばせる」という意味も孕んでいた。もちろん、従わなかった。関係を断絶するつもりでいた。だが、フォーリォル家は、強硬手段を取り始めた。
元恋人の命惜しくば。その一言で、心が揺らいだ。家族を守るためには、切り捨てるべきだということは分かっていた。今私が愛しているのは、夫と子供たちだ。だが、あの妄執に囚われた実父のことだ。元恋人でダメなら、次に白羽の矢が立つのは誰だ? その時によぎったのは、私の幸せを誰よりも望み慕ってくれた、妹の存在だった。
最初は当たり障りのない程度の情報で時間を稼いだ。使えない駒だと思ってもらえれば上々。だが、業を煮やした父親は、次の情報を指定してくるようになった。オルディアスの兵力は? レーヴェンシュタイン公爵家からは誰が出兵する? というように。どうやら西の大国がお客様のようだった。偽の情報を流すことも考えた。だが、それによって大切な人の命を危険に晒すわけにもいかなかった。そして、夫に相談することもできなかった。スパイだなんて知られたら、離縁されてしまう。あの優しい眼差しを向けてもらえなくなる恐怖が、何よりも勝った。
そしてある日、停戦を迎えた。予断を許さない状況であることは変わらなくとも、オルディアス王国の国民たちは、英雄の死の裏で大いに喜んだ。自分たちの家族が、これ以上、死に怯えることはなくなったのだ。
死して英雄となったのは、レーヴェンシュタイン公爵家の後継者。夫の前妻の長男。彼が出兵すると実家に伝えてから、そう時間を置かずに迎えた死だった。
気丈に振る舞いながらも、夫は憔悴していった。夜にうなされることも多くなった。夫の不調は、妻にも伝播する。魔法使いなら、いや魔術師ならば殊更に、当然の結果だった。まともな思考ではいられなかった。それほどに、彼の悲しみや苦しみは深かったのだ。
うなされる夫の額の汗を拭っていた時だった。彼が、苦しげにつぶやいた名に、私の中の何かが壊れた。
「あぁ、フィー……すまない。愛しているんだ……フィー」
涙を流しながら夢うつつに夫が口にしたのは、私の名前ではなかった。自分が虚ろになったようだった。前妻との婚姻期間を越えて育んでいた絆は、どうやら愛という形ではなかったのだ。
そして、悪魔のような囁きがやってくる。――夫を殺し、レーヴェンシュタイン公爵家を乗っ取れ。
なけなしの理性が、それを拒んだ。しかし、それはたやすく崩壊する。お前がやれないなら、庭師の男に呪わせようじゃないか。お前が手助けすれば、元恋人は助かるだろうに。
庭師の男は、魔法使いでもない。国を越えて人を呪うなど、一瞬にして術者側の命を燃やし尽くす行為だ。それを可能にするためには、誰かが中継地点として呪いを媒介するしかない。
苦しい戦いが続いた。何年も、寝たきりになった。だが、この呪いを途絶えさせるわけにはいかない。自分が呪いに負ければ庭師 が死ぬ。だが、夫が呪いに負けたら、夫が死ぬ。だが、流石はレーヴェンシュタイン公爵だ。弱った体で、ずっと呪いに耐え続けていた。
でも、嬉しかった。代わり映えしない視界、息をするのも辛い。だが、この苦しみを今、彼と共有しているのは私だ。……愛しのフィーではない。
浄化薬を服用し、ベッドに横になった時だった。誰かがノックもなく部屋に入ってきた。呪いのせいで、既に視界はぼんやりとしか映らない。そのため夜でも、部屋の明かりはつけたままだった。だから、はっきりとは言わなくても、入って来たのが誰なのかは察しがついた。
綺麗な白金髪。自分を見つめる藍色。あぁ、彼だ。彼がきた。
感覚のない腕に何とか力を入れて、起き上がる。枕の下に忍ばせていた果物ナイフを手に取って。それは、自死用の心算だった。呪いの媒介をしているため、術者である元恋人の負荷は大したことはないはずだが、もし元恋人が先に死ねば、この呪いはもう終わってしまう。そうすれば、夫の呪いは消えるが、呪いの媒介者である自分は呪われたままだ。そんな姿を、彼に見られたくはなかった。
もう何年も立っていない身体で、ふらつきながらも気持ちを奮い立たせた。彼の腕に抱かれたい。死ぬなら彼と共に死にたい。殺したい。生きたい。死にたくない。感情と思考が絡まった。
ベッドから降り立ち、足を前に出そうとしても前に出ず、そのままつんのめって倒れ込んだ。
いや、倒れるはずだった。寸でのところで、彼の逞しい腕が支えてくれた。
「……?」
なんだろう。記憶の中の彼の腕と、少し違う気がする。微かな違和感。だけど、そんなことに構っている暇はなかった。
お腹に、ズンと重い衝撃が走る。ゆるゆると視線を下ろすと、なんだか赤く染まりつつある自分の寝間着が見える。欠けた視界で捉えたのは、自身に深々と刺さっている刃だった。
痛みは感じなかった。もう、呪いのせいで痛覚が麻痺していた。だが、体から一気に力が抜けていった。立っていることもできず、膝から崩れ落ちる。しかし彼は、私の体を支えようとした。まさに今、私を手にかけたその手で。
あぁ……フィーのために、私を殺すのね。
そんな感情がよぎって、最期に彼の顔を拝んでやろうと思った。欠けた視界を広げようと、目一杯瞼を抉じ開けた。
照らされる白金髪。悲痛に歪んだ同じ色の眉。細められた藍色の瞳。全てが彼と同じだった。――そう、彼と“瓜二つ”だった。
絶望した。彼じゃなかった。そして、私は愛する子の腕の中で死ぬのだ。どこかで私が働いた悪事がバレたのだろう。あぁ情けない。親殺しの罪を、子供に背負わせてしまうなんて。
――でも、酷いじゃない。アナタ。最期の最期まで、私に会いに来てはくれなかったのね。ほんのちょっとの情も、私にはなかったのかしら。
視界が歪む。涙が溢れて、綺麗な白金髪の色が滲む。震える手で、我が子の頬に手を伸ばした。手の中にある果物ナイフの存在も忘れて。
大切なあの人の子、クラウス。ごめんね。こんな母親で。
「……ただ、憎い」
何もかもが憎い。その中で一番、自分自身が、憎い――。
女は子の腕 に抱かれながら、息絶えた。何を最期の言葉として遺したかも、分からないままに。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
クラウスからの突き刺さるような視線を受けながら、レイはローテーブルの上に積まれた手紙を読んでいた。部外者である自分が読んでもいいのかと聞くと、ケリーが慌てたように「当事者の婚約者が何言ってんだ」と答えた。もちろん、クラウスの視線が強くなったせいだろう。むしろそのレイの不用意な発言を、ケリーがフォローしてくれたと言っても過言ではない。
結局レイは、あの防音結界が張られる前にペリスコット公爵と話していたことを、少し大げさに伝えた。婚約していることを承知で、ザルハディア王国に残る選択を望まれたこと、その理由は、レイがドラゴンゾンビを屠った人物であるからというものだった。付け加えたのはその討伐手段についての聞き取りがあったというところだ。もちろん答えなかったと伝えたところで、ケリーが「おい! やっぱり口説かれてんじゃねぇか!」と余計な言葉を漏らしたせいで、クラウスの機嫌が悪くなったのは言うまでもない。――本当に面倒なことをしてくれた。
リーンが実妹に送った手紙は、悲痛なものばかりだった。古いものだとリーンがオルディアス王国に嫁いだあたりのものもあった。最初は幸せに満ちていた内容でも、フォーリォル家からの圧力が増してきた辺りから、文字自体が歪み始めていた。戦時中は通信魔法機器が使えない時期もあったためか、手紙でのやり取りが主流だったために、こうやって形に残ってくれていたのは、不幸中の幸いだった。……いや、事実を突きつけられるという不幸でもあったのかもしれない。
「……呪いの媒介により、魔力が汚染されていたことを考えると……ペンを握るのも辛かっただろうな」
レイがぽつりと呟いた言葉に、クラウスの視線の強さが弱まるのを感じた。内容が内容なだけに、代筆を頼むこともできない。ましてや、魔法薬により加工された特殊インクを使用し、内容を普通の文章に擬態させるためには、筆者がインクへ微量ながらも魔力を通す必要がある。
「予想通り、と言っちゃなんだけどよ。結局リーンは、元恋人も妹も切り捨てられなかったってことか」
「だからと言って、反逆行為であることに変わりはない」
ケリーとコリントがそれぞれ言葉を発した後に、はっとしてクラウスの方を見た。それが分かってか、クラウスは小さく息を吐いて、ただ黙って手紙をローテーブルの上に置いた。
「……」
口を開きかけ、ちらりとレイを見る。そのクラウスの行動を、ただじっと受け止めるようにレイは見ていた。交差する視線の先に、こちらを慮る淡い青緑色の瞳がある。その事実が、クラウスの背を押した。
「母がしでかしてしまったことは、レーヴェンシュタインにとって、汚点として残っていくだろう」
婚約者の前で辛辣な言葉を吐くクラウスに、ケリーとコリントがぎょっと肩を震わせた。レイだけはクラウスがそう言い放った言葉の真意を汲み取ろうとしていた。ただ皆が、クラウスが紡ぐ言葉の先を待っていた。
「……」
長い沈黙。いつまでたっても語られない言葉。ケリーとコリントが「え?」と顔を見合わせた後、もう一度クラウスを見る。その視線に気付いて、クラウスもまたケリーとコリントの方を見た。しかし、ただそれだけだった。
「…………って、それだけかいッ!」
ケリーがしびれを切らして上げた声に、レイは思わず笑い声をあげた。
それ以上を語る必要性を感じていない。それが、クラウスの答えだった。
クラウスは、ずっとレイに言っていた。大丈夫だ、と。もちろんショックは大きいだろう。それでも、ただ事実として受け止め、きちんとクラウスは前を向いている。――言葉無き態度は、レイを笑顔にするのに充分な答えだった。
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