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第137話 それぞれの明日へ

 ペリスコット公爵が本格的にザルハディア王国の糾弾に動き出したことで、フォーリォル家の悪行も白日の下へ晒された。カーレンは内部通告者としてお目こぼしをもらう手筈となっているが、それでも市民からの視線は厳しいものとなるだろう。カーレン自身の名声があったならば、その勇気を賞賛されたかもしれないが、現実はそう甘くはない。それを分かった上で協力してくれたカーレンに、レイは一生頭が上がらないと思っていた。  ザルハディア王国は、虚偽のテロ予告をベイストンの仕業とでっち上げた。あのドラゴンゾンビによる西エリアの破壊行動は、確かにテロと言っても過言ではなかったために、人々の理解を得られやすいものではあった。本来なら正すべきところではあるが、“テロの首謀者が捕まった”ことにしてしまえば、国外へ渡るための転移港も解放される。情勢が悪化するザルハディア王国から逃げ出す人々に紛れて、諜報部の面々がオルディアス王国へ逃げる算段を立てやすく、こちらとしても非常に都合がよかった。加えて言うならば、テロの首謀者でないと言ったところで、ベイストンの罪が軽くなるわけでもない。ザルハディア王国は、既に露見してしまった事態を収拾するのに精いっぱいで、探りを入れていた者たちへの報復にまで手は回らないし、正式な手続きを取って国外へ逃亡する金持ち一人ひとりを検分すれば、余計な火種を生みかねない。  レイたちは、転移港へ入港していた。荷物と許可証(パスポート)の点検を受け、転移の順番を待合室で待つつもりだった。人々から突き刺さる好奇の視線に、レイ小さい背を更に縮こまらせていた。張り込んでいた記者や、レイに気付いた者は、全員がクラウスの鋭い眼光で逃げていった。 「有名人は大変だねぇ」 「何を呑気に言ってるんですか。教授のせいですよ。貴方はもともと有名人なんですから、そのそばにいたら俺だってバレるに決まってるでしょう」  軽口をたたくマルキオン教授に、レイは帽子のつばを下げながら反論した。しかし、悪びれもせずに綺麗な薄紫色の髪をかき上げながら「それほどでも?」と言ってのけるマルキオン教授に、クラウスは平民街で買った前つばの長いワークキャップを問答無用で被せた。「似合わないから被りたくない!」と駄々をこねるマルキオン教授を尻目に、レイはクラウスの背に隠れるようにして立った。もうとにかく目立ちたくない。  まず、新聞ではレイの名前は出ていない。しかし、週刊誌がこぞって『正体不明のヒーロー(伝説の魔法薬士)探し』を行った結果、名前こそ出ていないものの、この人物ではないかと、学会風景の写真に偶然写り込んだレイの後ろ姿を掲載したのだ。名前こそ伏せられているものの、一緒にいたマルキオン教授の顔はとても綺麗に映っている上、銀灰色の髪の人物を「やんごとなき生まれの人物」として紹介している。なにがやんごとなきだ。全部祖母ルミアの功績だ。領地もないようなただのおこぼれ子爵だぞ!  やれやれとクラウスの影から辺りを見回すと、こちらに近付いてくる人物がいた。クラウスも気付いているだろうが、それでもあの威嚇するような視線を向けていないようで、その人物は小走りにこちらに向かってきている。  レイは帽子のつばを上げて、その人物をきちんと視界に入れた。おそらく変装の心算なのだろう。膝下丈のスカートに、平民がよく着るような衿の無いブラウスの上からショールを羽織り、縁の太い眼鏡をかけた姿は、まったくその本人には似つかわしくなかった。目に惹く深紅の髪を揺らしながら、カーレンがこちらの方へとやって来ていた。 「間に……あった……ッ!」  息をきらしながら、カーレンがレイのそばまでやってくる。 「カーレン? こんなところにいて、大丈夫なのか?」  フォーリォル家のことは、大々的に報道されている。カーレンは関わっていないと分かっていたところで、フォーリォル家の被害者が皆、理性的にカーレンを扱うかと言われたらそうではない。  心配で声をかけるレイに、カーレンは弾む息を整えようとしながらも、笑顔を浮かべた。 「大丈夫……ペリスコット公爵が、保護してくれることになったから。その道すがら、寄ってもらったの」  そう説明するカーレン越しに、距離はあるが平民を装った騎士らしき男の姿が二つ見えた。護衛付きなら、大きな問題は起こらないかもしれないが、人の目に触れるようなことをするのはあまり感心出来ることではない。 「だとしても――」 「だとしても、見送りにきたかったの」  カーレンの表情は、晴れ晴れとしている。彼女を縛っていた(しがらみ)は全て無くなった。まさに、晴れて自由の身だ。 「……ありがとう。数年前も、今回も……貴方には助けてもらってばかりで……ほんと、不甲斐ないわ」  視線を落とすカーレンは、自嘲気味に微笑む。カーレンはそう言うが、彼女が頑張ってくれなければフォーリォル家の悪事を暴くのに相当時間がかかったはずだ。むしろ、学会シーズンの二週間で片が付く話でもなく、真実は闇に葬られたまま、レイたちはオルディアス王国に帰国することになっていただろう。いや、もしかしたら、レイは呼び出されたベイストンの手に落ち、そのままクラウスも失っていたかもしれない。  卑下する必要はない。そう言おうとした時だった。もう一人、こちらに向かってくる人物が目に入った。慌てて騎士たちがその人物を引き留めようと駆け出したところを、レイが大丈夫だと分かるように手を上げて制した。一歩前へ出ようとしていたクラウスを押しのけるように前に出て、カーレンを背に隠す。 「……やぁ。その、久し……いや、このまえ……ぶり、だね」  どう声をかければいいかと迷いながらも、被っていた深い赤色の帽子をとり、紳士的に挨拶をしてきた人物に、一同呆気にとられた。その人物こそ、カーレンの元婚約者にして短小男、ゲーヴナー伯爵令息だった。 「本当に来るとは思わなかったよ」  苦笑しながらもゲーヴナー伯爵令息へと歩み寄ろうとするレイを、クラウスは後ろから腕を掴んで引き留めた。 「まさか、呼んだのか!?」 「あぁ」  それが何か? と謂わんばかりにあっけらかんと返すレイの顔を、クラウスは呆れたような顔で見つめた。 「接近禁止令を出す寸前までいった相手だぞ!?」 「まだ出てない」 「分かったすぐに手続きを取る」 「本人の了承を得ずにやるなバカタレ」  腕を振りほどいて、レイはゲーヴナー伯爵令息に近付いた。おずおずとしながらも自分を見下ろしてくる長身の相手を、レイは半眼で見据えた。 「……ちょっと耳を貸せ」  ちょいちょいと指で顔を近付けるように合図を送る。決して貴族らしいふるまいではないし、貴族に対してする行為ではない。ゲーヴナー伯爵令息も一瞬怪訝な顔をしたものの、素直に応じて身を屈めてくる。その隙をついて、レイはゲーヴナー伯爵令息の首の後ろから腕をひっかけるようにして身を寄せた。  背中にクラウスの鋭い視線を浴びながらも、レイは声を潜めた。 「悪いが防音結界など張れないからな。窮屈だろうから手短に話すぞ」 「……本当に教えてくれるんだろうね? その……メッセージの件」  不安げにこちらへ視線を向けるゲーヴナー伯爵令息に、レイはにんまりと笑って見せた。  ドラゴンゾンビの話が大々的に報道された日、レイはゲーヴナー伯爵令息へ、とあるメッセージを送った。数年前の学会で起きた暴行事件の際に、示談のために交換した連絡先へ送るには、些か突飛な内容だったかもしれない。  ――君の研究について、耳よりの情報がある。幾度となく調律を試みたにもかかわらず、一度も調律ができなかった男の話だ。興味があれば話をしようじゃないか。だが、俺は三日後の昼過ぎに、国へ帰る。 「もちろん。そのために呼んだんだからな」  レイはそう言ったが、やはりゲーヴナー伯爵令息の表情は晴れない。 「疑うわけではないが……“調律不全”なんて、聞いたことが無い」 「だろうな。だが、間違いなく事実だ。俺がその張本人なんだからな」  喧騒響く転移港の広い待合室で、肩を組みながら見つめ合う男たちの間に、沈黙が訪れた。ゲーヴナー伯爵令息の目に、驚きと疑いと好奇心が宿っている。 「……まさか。君は現に婚約を――」 「そう。まさに、調律不全男の救世主だ。現に、俺が調律出来たのは過去アイツだけだよ」  視線で後ろにいる眼光で人を殺せそうな男を見やる。つられて視線を追ったゲーヴナー伯爵令息は、はっと息を呑んだ。そうか。ゲーヴナー伯爵令息は、自分が雇った破落戸(ゴロツキ)たちを鮮やかに倒してみせた用心棒が、クラウスだということを知らなかったか。  殺気立っているクラウスを見るや、ゲーヴナー伯爵令息が慌ててレイの腕を解き、距離を取った。向けられている殺気の意味をきちんと理解したのだろう。 「スーディヲ・ゲーヴナー伯爵令息」  レイは初めて、彼の名を呼んだ。 「疑わしいのは重々承知だ。それでも信じてもらえるならば、俺の所感をまとめて君に送るよ。ただし、それによって知り得た情報を発表することは同意しかねる。……どうだ?」  ニッと笑って見せながら、レイはゲーヴナー伯爵令息の目をまっすぐに見つめた。だが、答えは聞かずとも分かった。彼の目には、光が宿っていたから。  ゲーヴナー伯爵令息は、自尊心を守りたいだけのちっぽけな男だった。だが、男として抱えているコンプレックスからくる卑屈さは、本人の努力により克服するほかない。だが、もし声を上げられていないだけの調律不全者がいたのなら、彼の研究がそんな彼らを救う一助になるかもしれない。むしろ、その研究でぜひ、ゲーヴナー伯爵令息自身を救ってほしいものだ。 「……何年かかるか分からないぞ。魔法薬士としての資格は剥奪される」  自身のしでかしたことを悔やんでか、ゲーヴナー伯爵令息は目を伏せた。だが、それをレイは笑い飛ばした。 「過去の難関試験を突破した我々が、今の魔法薬士試験に落ちるなら……さすがに怠慢が過ぎるぞ」  鼻を鳴らす勢いでそう言うレイに、魔法薬士であるマルキオン教授とカーレンも同調するように笑みを浮かべた。苦笑するゲーヴナー伯爵令息に、レイは「また連絡する」と声をかけ、踵を返した。 「お元気で」  カーレンがレイの背にそう声をかけると、レイはぴたりと足を止めた。一度振り返ってカーレンを見た後、レイはそっとマルキオン教授に近付いた。一瞬驚いた表情を向けるマルキオン教授に、レイはそっと耳打ちすると、今度は教授の目が光り輝き始めた。  マルキオン教授は爛々と輝く目でカーレンに詰め寄る。 「オルディアスにおいでよ! まさか君の研究が“古代魔法薬”分野だったなんて!」 「教授! 声がでかいです!」  諫めるレイの言葉を聞かず、カーレンの手をひっ掴んで上下に振り始めるマルキオン教授に、本人は呆気にとられた。どういうことなのかと目が右往左往するカーレンに、見かねてレイが二人の間に割って入る。 「カーレン。実は今、オルディアス王国では『失われた古代魔法薬』プロジェクトが水面下で動いてるんだ。発起人はマルキオン教授」 「この数年間、主要な関係部署に顔と恩を売り続けた甲斐があったよ、ほんとに」  今までの苦労を思い出したのか、とても疲れましたと大げさに首を振るマルキオン教授を横目に、レイは小さくため息を吐いた。むしろ、その苦労を下支えしたのは、マルキオン・ゼミの院生である、レイとフォルトンである。世界中を飛び回らねばならないマルキオン教授に代わり、課題と称して突然投げられる試薬のデータ検証とフィールドワーク。文献検索や他国への論文取り寄せ等。助手がいないマルキオン教授が売った“恩”の中に、レイとフォルトンの見えない功績がどれほどなのか。もちろん、その分レイは自分の研究のためにゼミの備品を使わせてもらっていたり、頻繁に仮眠室を使用させてもらえていたりと、色々なところで融通を利かせてもらっていたわけだが。 「と、いう訳で……フォーリォル嬢。君にやる気があるなら、オルディアス国立魔法大学へ。まずは助手として僕の下で働いてみない? ちょうど仕事を手伝ってくれていた院生がみんないなくなっちゃうから、どうしようかと思ってたんだよね」 「カーレン。君にとっても悪い話じゃないのは確かだ。この人の下で学べることは非常に多い。……だが安請け合いも禁物だ。超が付くほどの激務(ブラック)だぞ」 「えー? 僕、優しいけどねぇ?」  白々しくも、マルキオン教授はレイの言葉を受け流しながら、名刺入れを取り出した。 「興味があったら連絡を。でも、僕はそんなに気が長い方じゃないからね?」  流れるように自身の名刺をカーレンに渡しながら、マルキオン教授はウインクを投げた。自分の顔が秀でていることを分かっていて、それを厭らしくなく武器にするのだから、この麗しき魔術師(ナイス・ミドル)は手に負えない。  広い待合室に、ポワーンッという音が響く。人の声や雑音の音域とぶつからない効果音と共に、高い天井に魔法機構により映し出された映像に、レイたちの転移番号が表示された。 「時間だ」  苦々しくそう呟くクラウスに苦笑しつつ、レイは自身の荷物を持ち上げた。 「……じゃあ」  一度振り返り、残るカーレンとゲーヴナー伯爵令息にそう告げる。「また」とも「さようなら」とも言わないレイに、カーレンはもらった名刺を握りしめながら微笑んで見送った。  重い寂しさと、その両極のような暖かさを胸に抱いたカーレンは、レイたちが入って行った扉をしばらく何も言わずに見つめていた。扉の上で光っていた転移番号が消えるのをじっと見ていたって、彼らは戻ってきたりなどしない。自分の心に区切りをつけて、来た道を戻ろうとした。 「カー……いや、フォーリォル侯爵令嬢」  突然呼び止められて、カーレンは振り返った。正直、過去目の前の男にされた仕打ちを考えると、目を合わせることすら気分が悪くなる。だが、レイは彼を許した。むしろ、許す以上の未来をこの男に示した。そして、以前では考えられないほど殊勝な態度の元婚約者に、くれてやるチャンスはこれが最後だと言い聞かせて、カーレンはゲーヴナー伯爵令息の顔を見た。  長く呪われていたこともあるだろうが、あの喫茶店(フォレ・ジヴォワ)での一件で、恐らく伯爵(父親)からこってり絞られたのだろう。頬が少しこけているゲーヴナー伯爵令息の顔からは、以前のような威圧的な印象は無かった。 「許しを乞える立場でないのは承知の上で――」 「承知しているなら、謝ったりなどしないでしょう?」  ゲーヴナー伯爵令息の言葉を遮って、カーレンは冷ややかに答えた。カーレン自身も、この男の前で委縮していた以前の自分ではない。小心者であることは変わらないが、レイに何度も背を押してもらった。現にその事実が、カーレンをゲーヴナー伯爵令息の前に立たせている。  ぐっと震える唇を引き結んだ後、ゲーヴナー伯爵令息は勇気を振り絞るように大きく息を吸い込んだ。 「…………ありがとう、ございました」  胸に手を当て、首を垂れるゲーヴナー伯爵令息に、今度はカーレンが黙する番となった。その言葉が、何に向けられているのかは分からない。彼の研究の手伝いをしていたことだろうか。それとも、傍若無人に振る舞い続けた彼に付き合っていたことだろうか。疑問だけが募り、胸をざわつかせる。 「……本当、最後まで狡い人」  カーレンはそう呟いて、今度こそ踵を返した。  彼が追ってくる気配はない。縋りつかれたって困るが、こちらの溜飲が下がるぐらいに報復する機会は、これで永遠に失われるだろう。これで(ようや)く、終わるのだ。  あの男の最後の言葉のせいで、カーレンの心の中はしばらく怒りが燻るだろう。だが、そうやって最後まで“悪役でいること”を買って出てくれたのだ。許さなくても良い免罪符を得たと思っておこう。  距離を置いてくれていたペリスコット公爵家の騎士と合流し、馬車に乗り込む。軽快な音を立てながら走る馬車の中で、カーレンはもう一度、手の中の名刺に視線を落とした。 「さて、忙しくなるわね。まったく」  まるで愚痴のように零れた言葉は、同乗した騎士の耳にもしっかりと届いた。だがその言葉は、からりと晴れた秋空のような清々しさを彷彿とさせるのに、充分な響きを宿していた。

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