151 / 155

番外編2 アダルトたちの回顧録2

 テゥンクト教授の別荘は広く、十二人の参加者一人ひとりに個室を提供してもまだ余るほどに部屋があった。それだけ広い別荘でも、このサークル活動中だけは世話をしてくれるような使用人はいないし、給仕してくれる者もいない。つまり、上位貴族の集まりといっても過言ではないサークルメンバーが、自ら食事を用意し、皿を運び、食事が終わったら片付けをするわけだ。といっても一からではない。食事は事前に調理されたものが、夏の暑さにも負けない魔法機構が施された保管庫で冷やされているし、それを引き出して温め直すぐらいのものである。このサークルの前身である夜営サークルの名残というが、メンバーを増やすにあたり、夜営に興味がない人でも参加しやすいように、今の形になったらしい。 「……どうだっていいけど、物好きというか、金持ちの道楽というか」  僕は自分に与えられた個室のベッドに倒れ込み、飾り気のない天井を見上げながらそう呟いた。部屋数はあっても、貴族らしからぬこぢんまりとした部屋は、煌びやかな装飾が施されているわけではない。どちらかと言えば、ちょっと質のいい学生寮のような印象を受ける。ただし、置かれているベッドだけは非常に広い。寝そべって端からころりと転がれば、二回転ぐらいは余裕でできる。なんというか、こういったところが合理的なテゥンクト教授らしいといえばらしいところである。  肉体的な疲労というよりは、精神的な疲れを感じて、僕はゆっくりと目を閉じた。大人のサークル活動には珍しいが、消灯時間までもう少しだ。だが、この交流サークルの本番はここから始まる。……まぁ、今回に限っては、僕の出番はなさそうだ。ゆっくり眠らせてもらおうじゃないか。  昼間の討論会は、毎度のことながら白熱した。表向きに用意された議題でも、やはり本業に関わるものだ。基礎疾患のある患者が重い病気を併発したパターンや、重度の怪我をしたパターン、感染症治療に対する治療方針について、患者の意向と効率と医療安全をベースに討論が繰り広げられた。  学生であるサルベルトは、意見を促されない限り口を開くことはなかったが、それでも討論に食いついていけるだけの地力があった。僕の役目は、出てきた案を空中に映し出し、まとめあげることだ。ここにいる意義はそれほどないかもしれないが、出てきた治療法の後続治療に使用されやすい魔法薬について、後日大学の魔法薬学講師と検討してレポートを提出し、表向きの活動を下支えする立場にある。あとは、単純な人数合わせだ。――消灯後に行われる裏事情を隠すための、用意周到さには呆れ果てる。  不意に聞こえた控えめなノック音に、慌てて身を起こす。いや、まさか。そんなはずはない。だって、今日“その気がある”人数は、自分とアイツを除けばぴったり偶数になったはずだ。あの大人げない挨拶の瞬間に! それとも何か、アイツを相手するのは面白そうだと攻略に行った奇特な勇者がサークルメンバーにいたというのだろうか。  ありえない考えが脳裏を過(よぎ)る。しかし、もしかしたらノックの音は向かいの部屋だったのかもしれないと思い直し、再びシーツの上に転がろうとした時だった。今度は、しっかりとした音で部屋のドアがノックされた。 「……どなたですか?」  気おくれしながらも、僕はノックした相手に問いかけた。このサークルでは部屋主に選択の権利がある。だからこそ、ノックの相手を確認できる。だが、今日ほどノックの相手を確認したくない日は無かった。 「………………私だ」  長い沈黙の後、はっきりとドアの向こうから聞こえる低い声に、思わずため息が出た。予想通りとはいえ、せめて名乗れよ。ちゃんと。  非常に開けたくない気持ちでいっぱいになりながら、僕は魔法でドアの鍵を開けた。かちゃんっという軽い開錠音が鳴ると同時に、ドアが開かれる。扉の影から出てきたのは、ばつの悪そうな表情のファーレン・サルベルト本人だった。  丁寧にドアを閉めた長身は、ドアの前から動こうとはしない。僕はそれをベッドに腰かけながらじっと見ていた。 「ご用向きは何でしょう?」  厭味を込めて、丁寧に本題を促す。寝間着に着替え、寝る支度がすっかり済んでいるこちらを一瞥すると、サルベルトは再び視線を逸らした。再び黙りこくった相手にしびれを切らす。もうすぐ消灯時間だ。それまでにこの男をこの部屋から出さないといけないのに。 「あー……もし謝ろうとしているなら不要ですよ。このサークル内であったことは基本的に不問なのは知っていますよね? それに、こちらとしても心の無い謝罪に価値はないと思って――」 「違う!」  こちらの言葉に突然声を荒げたサルベルトは、焦ったようにこちらを見た。だが、ハッとしたように再び顔を背けてしまう。訳が分からない。ならどうしてここに来たというのか。  埒が明かない。もうお引き取り願おう。消灯時間を超えて居座られたら、勘違いされるかもしれない。そう思ってベッドから腰を上げた。  視線が合う。だが、その視線も少しうろついてこちらを直視しようとしない。本当に腹が立つ。自分よりも背の高い男が部屋から出るドアの前を陣取っているせいで、ドアを開けてやることもできやしない。面倒だな。魔法で開けるか。  そう思った瞬間だった。魔力をほんの少し練るだけで発動できるような些細な魔法。それが発動する前に、サルベルトが重い口を開いた。 「悪かった。きちんと……謝罪しに来た」  耳から入って鼓膜を震わせた音を、脳が処理するのに時間がかかった。目の前の、あの完全無欠のファーレン・サルベルトが放った一言に、戸惑いを隠せない。ぽっかりと口を開いてしまう。揺れる夜空を宿した瞳が、しっかりと閉じられた。 「だから、その……」  謝りに来たというのに、もごもごと話を進めようとしない男の眉も寄っている。もじもじと口ごもってしまう目の前の男は、本当にあのファーレン・サルベルトだろうか。俄かに信じがたくなってきた。  サルベルトが片手を自身の顔に当て始め、大きくため息をついた。 「頼む。その……“服を”着てくれ……」  頑なにこちらを見ないようにしていた男の懇願に、ぱちくりと瞬きを繰り返した。自身の姿を改めて確認するが、一般的なシルクのナイトガウンだ。確かに先ほどまで寝転がっていたために、少し胸元は緩かったかもしれないが。  もう一度サルベルトの方へ視線を上げる。ほんのり色付いた頬に、絶対に見ないという強い意志を持って閉ざされる目。  あぁ、なるほど。この男、このサークルの裏事情を“知っているのか”。なんだか面白いことになっているじゃないか。悪戯心に火が付きそうだ。だめだだめ、悪い癖だ。  僕はほんの少しだけ魔力を練り、ドアに鍵をかけた。かちゃりと錠前が音を立てると、サルベルトははっと振り返ってドアを見やるが、その隙をつくように僕はそっとサルベルトの手を取った。驚いたようにこちらに顔を向けるサルベルトは、それでもこちらの手を振り払うことはなかった。 「……少し、話そうよ」  口角を上げる程度の微笑みを浮かべて彼を見る。そのままベッドの方へと手を引いて歩いて行っても、彼は少し戸惑う様子を見せるだけで拒否しようとはしなかった。  ベッドの端に腰かけると、少し間をあけて隣にサルベルトも腰を下ろした。緩く添える程度にしか触れていない手から、サルベルトの手は離れていかない。きっとシャワーをたくさん浴びたのだろう彼の手は少しふやけて温かかった。 「フェルスロン砦に、よく行っているんだってね」  僕の呟きに、サルベルトの視線が少し鋭くなった。何故知っている? と彼の目が問いかけてくる。 「魔法外科医のダンクト教授が、昼間のことを見かねて僕に話してくれたんだよ」  胸元のガウンを寄せながらそう答えると、サルベルトはそこでやっと手を離し、顔に手をやって俯いてしまった。  フェルスロン砦。それは、西の大国との国境にある。オルディアス王国は長きにわたり、西の大国と戦争を続けていた。派手な争いはここ数年ないものの、細々と小競り合いが続いている状態だ。加えて西の大国との境にあるトゥーォン山脈に巣食う魔物たちの対処もある。つまり、年中ケガ人や魔物の毒に侵される者が続出する。そして、一般兵の治療には通常魔法医が派遣されることはない。しかしながら、非魔法医と医薬品では、魔物による魔法回路のダメージへの対処は不可能だ。ましてや四肢切断などの大けがの場合、早急な対処と魔法医による治療がなければ、重度の後遺症が残ってしまう。  だからこそ、そういった一般兵の治療にあたるのは、まだ魔法医免許を持たないボランティアの魔法医学生だ。もちろん、その治療を受ける受けないは、その兵士の希望を先に聴取してからになる。魔法医学生にとっては、貴重な経験になるだろう。しかしながら、そのボランティアに志願する者はほぼいない。 「……魔法医は、いつだって貴族への治療が優先される」  目を押さえるように、顔にやっていた指に力を入れながらサルベルトは愚痴をこぼすように呟いた。 「重症度ではない。それが、貴族の特権だからだ。特権たるのは、魔法医が希少な存在故だ。魔法医の数が増えれば、あの凄惨で、血と死の臭いが充満した密室が、祖国へ帰るための希望の場所になるはずなんだ」  重いため息。僅かに震える肩。それを僕はただ黙ってじっと見ていた。持ち前の真面目さと頭の固さと、広い両肩で支える責任感が、彼をフェルスロン砦へと向かわせてしまうのだろう。経験に勝る勉強などないと、自分を騙しながら。 「医療に携わる魔術師が、魔法医になるのは当然だと……傲慢にも思ってしまったのは、私の落ち度だ」 「思うのは自由だ」 「だからと言って、それを君にぶつけるのは間違っている」  彼の主張を否定して逃げ道を用意しても、誠実に自分の非を認め、反省し謝る姿を見ると、彼のどこが上官(Sir)なのかと思ってしまう。  サルベルトはそのまま膝を寄せるようにこちらへ体を向かせた。 「すまなかった」  面と向かって謝られ、僕はにっこりと微笑んだ。だが、許すのはまだ早い。 「……魔法薬学部にも、フェルスロン砦のボランティア活動はあるんだ」  そう言うと、サルベルトの眉が僅かに上がった。その仕草を見るに、おそらく初耳なのだろう。 「ただ、魔法薬を調合し処方できるのは魔法薬士免許を持たない者はできない。どこで横流しが発生するか分からないからね。そういった意味で、僕たちが前線まで行くことはほぼないんだよ。でも、調合する前の準備は、学生でもできる。攻撃用魔法薬に使われる鉱石類を砕いたり、薬草の加工とか、色々ね」  僕の話を小さく頷きながら傾聴するサルベルトは、夜空を宿す目の奥に、知識に対して貪欲な星を持っていた。 「魔法薬の使用期限は、物にもよるけど概ね三か月が多い。その分、大きな衝突があったりした時に消費されない限り、僕たちには確かに仕事はやってこないかもしれない。……そして、戦場を見てきた君なら知ってるかもしれないけど……戦場で死ぬのは、けがと病気だけじゃない」  視線を切るようにして、僕は自分の鞄を魔法で引っ張って手元に持ってきた。中から取り出したのは、薄い魔法薬の図鑑だ。それを手に取り、表紙をサルベルトにも見えるように翳す。 「呪いだよ」  図鑑の表紙にある『呪いへの対処~浄化薬~』と書かれた場所を指で弾くと、パンッと乾いた音が小さく響いた。  魔力が呪われると、呪われた術者の魔力は汚染される。汚染された魔力を使用し魔法を行使すると、魔法が上手く発動しなかったり、発動時に魔力回路に痛みが走ったり、最悪死に至る。もちろん呪いの行使者もタダで済むものではない。これを戦争の攻撃手段として使うのはもちろん倫理的にもアウトな方法だが、人間どこで恨みを買っているのかなど、分かったものではない。 「人間、死ぬ寸前に自分を殺す相手の顔が見えなかったら、誰を呪うと思う? 死ななかったとしたら、誰を恨むと思う? 相手の指揮官や、有名な騎士や、場合によっては国王である場合もある。それがさ、戦争が起これば何人分の怨念が宿ると思う?」  僕の問いかけに、サルベルトは厳しい顔つきですぐさま答えを出してきた。 「……非魔法使いだって、魔力はある。それが、戦争による強い怨嗟(えんさ)から、自身が呪っているということすらも自覚しない『集団略式禁忌魔法』が発動する、ということか」 「その通り。人数が多ければ多いほど、発動の確率は上がる。しかも、術者を固定しないために呪印らしい呪印も生じない。もっとも、正式な手順を踏まない略式なせいで、加害側も被害側も強い魔力汚染にはならないし、ちょっと体調が悪くなる程度。……だとしても、戦場において魔法使いには致命的だ」  図鑑をベッドの上に置いて、裏表紙を捲る。そこに書いてある初版の日付をサルベルトへと突き付けた。 「呪いの浄化薬は、古の魔法薬の研究から生まれた。だけど、そのレシピは初回発表から今日に至るまで、一度も変わってないんだ」 「……なんだって?」  魔法医にしてみれば、魔法薬の歴史や改変履歴などを知識として詰め込む余裕などないだろう。この話題を振ると、魔法医の先生も知らなかったという人もいるほどだ。通常、一度発表された魔法薬は、皆が研究に着手し、より安全な製法、より効率的な手順、より安価になるような加工が成されていくものなのだから。 「研究する人がいないんだよ。難しい分野で、研究の芽が出にくくて、その強さと危険性から携わることすら異端扱いされることが多い。最初の発表者だって、ザルハディア王国のエルフだよ?」  図鑑を手に取り、サルベルトは僕の言葉の裏付けを探すように奥付を指でなぞり始めた。重版され、日付の羅列で真っ黒なページを見た後に、それでも信じられないと言いたげにサルベルトは視線を上げた。 「……つまり、君はその研究をしようと――」 「いつかは、ね」  サルベルトの言葉に、僕は脱力してベッドの上に横たわった。サルベルトの視線が僕を追いかけてきたのは分かったが、僕は煌々と部屋を照らす魔法照明を見つめた。 「魔法薬士だって、皆頑張ってる。だからさ、『囲われるために魔法薬士になる』なんて偏見やめてよ。そりゃきっとそういう人もいるだろうさ。奨学金をもらう平民魔法使いが目指しやすい職種だしね」  仰向けの状態からサルベルトの方へ体を転がすと、サルベルトは自身が出会い頭に僕に言い放った言葉を思い出したのか、ばつの悪い顔をこちらに向けていた。 「オルディアス王国では、魔法医は魔術師しかなれないために尊崇されやすい。でも、それが間違っているとも思っていない。医療魔法とひとくくりにされても、内容は千差万別。専門性が上がれば上がるほど、魔法を行使するためのハードルはどんどん上がっていく。それに対応することを考えたら、魔術師である方が絶対にいい。でも、魔法薬士が“劣化魔法医”みたいな扱いを受けるのは腹立たしい。どっちも必要な存在であるはずなのにさ」  ここでもしサルベルトが魔法薬士なんていらないなんて主張をしようものなら、勝ち目がなくてももう一度殴ってやるつもりだった。だが、隣にいる完全無欠のファーレン・サルベルトからは、今や普通の、同い年の真面目な青年に見えてしまう。 「僕がその研究に入るためには、もうちょっと足元を固めて賛同してくれる同志を集めないといけない。なんとも貴族という体面を気にしなきゃいけない家は、不自由で仕方ないよ。でもそれをこの国でするなら、『魔術師』っていう看板は大いに役立つ」 「……それが、君が魔法薬士になる理由か」  サルベルトの反応に、自嘲気味に笑みが零れた。心外だったのか眉を寄せるサルベルトに、僕は笑いながら首を横に振る。 「そんな立派な志を、僕が最初から持ち合わせていたと思うかい? 魔法医家系の君には分からないかもしれないけど、医療家系のマルキオン家は、魔法医が家を継ぐことになっている。長男が魔法薬士、次男が魔法医。……ここまで言えばわかるだろう?」  側臥位のまま頭を支えるようにベッドに肘をついて、サルベルトを見上げる。しかし、得心がいったのか、彼の目は伏せられてしまった。  お貴族様にあるあると言ってしまえばそこまでの話だ。動機は不純。僕は後継者争いなんてしたくなかっただけの話である。ただ、生来飽き性の僕が渋々進んだ魔法薬士の世界が、入ってしまえば結構面白そうで、ひどく卑屈で、歪んでいた。ただそれだけの話だった。  沈黙が下りる。自然と二人の視線は壁に掛けられ、じりじりと音を立てながら秒針を動かす質素な時計に向けられた。話すことが尽きてしまったのだろう。それでも彼は、ベッドに腰かけたまま、動こうとしない。  期待してしまってもいいのだろうか。この、生真面目なせいで視野が狭くなっていただけの、ただ真っ直ぐな青年が、今夜一晩、僕と共に過ごすためにやってきたのだ、と。

ともだちにシェアしよう!