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番外編2 アダルトたちの回顧録3

 長針が天を示したと同時に、部屋の明かりは独りでに消えた。二人の視線が天井を向いたとき、そこら中から結界が行使される気配がし始め、神経を尖らせる。  右斜め前の部屋、左隣、左端……部屋の主を思い出しながら、僕は指先にぽっと灯りを灯して、隣に座るサルベルトの表情を観察した。  緊張した面持ちで、僕と同じように行使された結界の気配を探りながらも、視線が彷徨っていた。頭では違うことを考えているのだろう。そして、結界の気配が周りの部屋からしているにもかかわらず、異常事態と判断して自らを守るために結界を張ろうともしないところからして、サルベルトがこのサークルの裏の顔を知っていることが確定した瞬間だった。  あぁ、まずい。悪戯心が疼いてくる。 「……サルベルト」  口元がにやけるのを必死に抑えながら、僕はサルベルトに話しかけた。サルベルトがこちらを見る。指先ぐらいの明かりでは、彼の綺麗な夜空を宿す瞳は、覗き見ることはできなかった。  ファーレン・サルベルトの瞳には、期待と、戸惑いと、迷いがあった。その瞳と、緊張で強張った頬を見た瞬間、僕の理性は好奇心に大敗した。 「君は何故、このサークルに参加したの?」  渋々だったのか、怖いもの見たさか、はたまたここに来るまでは裏事情を知らなかったか。彼に配慮するように見せかけて、頭の中では彼の逃げ道を塞ぐにはどうするのがいいのかしか考えていない発言に、そんなことを知らないサルベルトは視線を落として答えた。 「コルフスト教授から『君には必要な経験だ』と」 「コルフスト・ゼミなんだね。……ということは、最初からこの時間があることを知った上で?」  小さく頷くサルベルトに、僕は一瞬言葉を詰まらせた。正直、この答えには驚いた。コルフスト教授は、このサークルのメンバーである魔法外科医だ。確か、サルベルトの父親と同期だったように思う。サルベルトの父であるスウェイン・サルベルトは残念ながらゼミを持っていない。そもそも魔法外科医として高名なため、ゼミを見るだけの時間がないのだろう。確か今年は国立魔法大学病院の医局長も兼任していたはずだ。  ともあれ、サルベルトの父親と知り合いなら、普通はこんなサークルに誘うなどとは思えない。何故ならこのサークルは、魔術師たちの秘密の発散場なのだ。貴族はどうしたって恋愛感情や調律の相性で結婚相手を選ぶことができない。否応なしに結婚を余儀なくされた相手と相性が悪かった場合、魔法使いは魔力のコンディションに多大な影響が出てしまう。かといって魔力の相性がいい相手を囲うなんてやり方は、家庭内不和を生む原因となる。そんな中で生まれた、秘密の不倫会場(ヤリサー)なのだ。知り合いの血縁者を入れるなんて、バレた時に厄介だろう。もしかしてコルフスト教授とサルベルト教授は、実は仲が悪くて嫌がらせに息子を巻き込んでいるとか? いや、そんな話は一切聞いたことが無いし、その線は薄いだろう。逆に、父親であるサルベルト教授がコルフスト教授にお願いをした、なんてことは……まさか、ないない。  ありえない想像から僕を現実に引き戻したのは、サルベルトだった。自分のものよりもしっかりとした掌が、僕の顔の横にあるシーツに皺を寄せるように置かれた。しっかりとした骨格のサルベルトが、僕の上を跨ぐように覆い被さってくる。  あぁ、もう。ニヤつきが止まらない。理性と戦っている真っ最中なくせに、そんなぎらついた目で僕を見下ろして来る。面白くってたまらない。  指先に灯した照明魔法の構成を組み替えて、ふっと天井に飛ばす。部屋の照明の魔法機構に干渉し、薄ぼんやりとした灯りに調整すると、サルベルトの顔がグッと近付いてきた。その唇にそっと人差し指を押し付けると、鼻先まで降りてきていた顔がぴたりと下降を止めた。  触れたい。触れて欲しい。湧き上がる欲望を我慢する過程すらも心が躍る。この男の戸惑う顔も、熱い視線も、もっと欲しいと思ってしまう。――この感情は一体何なのだろうか。 「一応聞くよ。僕を選んだ理由は? あぶれちゃったから?」  ただ困らせるような言葉を吐いてしまう。婚約者がいるだろう頭の固いこの男が、倫理的違反甚だしいこのサークルの活動を知っていながらもやってきた理由なんて、調律以外の何物でもないだろう。最後の一線を越えていいか迷いながら、それでもこの部屋にやってきた。もちろん謝罪もあっただろう。だが、そんなこと別に明日だってかまわなかったはずだ。  柔らかな感触の唇から僅かに人差し指を離すと、サルベルトは苦し気に、そして忌々しそうに声を絞り出した。 「君を見ていると、なんだかイライラする」 「……はい?」  突然何を言い出すのかと思い、怪訝な顔で見上げると、サルベルトは先ほどまで彼の唇の上にあった僕の人差し指を歯を立てた。甘噛みとはいえ、それでも硬い前歯が指に食い込む。一瞬顔を顰めると、サルベルトはすぐに口を離した。 「落ち着かない。何故か分からないのに心がざわつく。視界に入るたびに気になり、所作を目で追い、君が紙をめくる音さえも際立って聞こえてしまう。親し気に話しかける教授たちに向かって、君が微笑むたびに怒りが湧く」  真面目な顔でそんなことを言われ、口を挟むこともできずに瞬きを繰り返す。なんだかすごいことを言われたような気がするが、もしかしてサルベルトも僕と同じように、なんだか平常心でいられないということだろうか。恋を知らないような年齢でもあるまいし、そうかそうじゃないかぐらいわかるだろうから。  サルベルトが噛みついた手を取って、そのままベッドへ押し付けてくる。指を絡めようとしたのだろうがうまくいかず、縺れた状態で体重をかけてきた。 「君に触れれば、この湧き上がる苛立ちの正体が、つかめる気がする」  その一言に、僕は思わず噴き出した。なんて素晴らしい誘い文句だ。聞いたことが無い。実に真面目で、実に魔術師らしい。真剣に答えたにも関わらず、僕が笑ったものだから、サルベルトは不機嫌そうに眉を寄せ始めた。 「いいね。好きだよ、そういうの」  掴まれた手と反対の手を、そっとサルベルトの頬に添える。そのままするりとなでおろして、彼の広い肩に置くと、僕はサルベルトの体に足を絡めた。ベッドのスプリングを利用してくるりと反転すると、そのままサルベルトを押し倒す。  呆気にとられたような顔をするサルベルトの目は丸く、悪いが非常に心をそそる。 「でも、名前も呼んでくれない奴に、僕は抱かれる趣味はないからね」  抑え込んでいた笑みを深くして、僕はサルベルトを見下ろした。薄暗い視界の中でも、はっきりとサルベルトがどんな表情をしているのかが分かる。  下から見る雄のような顔も好きだけど、僕の下に居る時も、結構いい顔するんだね。そんなこと言ったら、きっと君は憤慨するんだろうけれど。  慌てたように口を開いたサルベルトの唇を塞ぎながら、僕は文字通り有無を言わさず防音結界を張った。 「……教授?」  話しかけられて、僕はぱっと声の方に顔を向けた。こちらを向いている淡い青緑色の瞳が、怪訝な顔でこちらの顔色を窺っている。……危なかった。昔のことを思い出して教え子の前で勃―― 「ごほん……ごめん、ぼーっとしてた。何の話だっけ」  はたはたと顔を手で扇ぎながら、僕はレイに聞き返した。 「いや、大したことではないですよ。眠いんですか? なら、確か膝掛けが座面の下に……」  レイはそう言って揺れる馬車の中で立ちあがった。それをすかさずフォローするように支えながらクラウスが腰を上げる。だが、僕への思いやりで動いている婚約者を見る眉目秀麗な白金髪の彼が、一瞬こちらを見た眼光の鋭さには確かな圧があった。自分の恋人が僕に気を遣っているのが気に食わないようだ。  それもそのはずだ。ザルハディア王国で、僕はレイに多大な"ご迷惑を"お掛けしてしまっている。いや、必要な処置であったのは明白だったし、それはレイ自身もクラウスも分かってる。分かってても、腹に据えかねるのは致し方ない。ただ、問題なのはレイだ。嫌いな相手でも平等に接することができてしまう彼は、おそらく僕を許していないにもかかわらず、こうやって優しく接してしまうのだから。……困ったな。僕から一線を引く必要があるのは分かってるんだけど、優秀すぎるんだよなぁ、彼は。無茶振りにも「いい経験になりそう」と嬉々として乗ってくれるところとか、一緒に仕事する上で楽しいし、必要だと思ったと先回りして動いてくれるところとか非常に楽だ。  座面を上げて中から膝掛けを二枚取り出すと、わざわざ広げて膝と上半身が隠れるか確認してくるレイに、僕は呆れながら「ありがとう」と伝えた。  レイは、面倒見が良くて、責任感が強くて、一定の正義感と倫理観と……似てるんだろうなぁ。自分にも、サルベルトにも。決定的に違うのは、自分にはあまり価値がないと思っているところだろうか。そのせいで、自分よりも他者を優先しがちなところは、見ていてハラハラする場面もある。助けを求められたわけでもないのに、婚約者から暴力を振るわれていたカーレンを助けて、相手から殴られたりしたところとか。  ひざ掛けをぴったりと纏うようにして体に巻き付けると、そのまま馬車のシートに深く座り込んだ。 「じゃ、お言葉に甘えまして……大学に着いたら起こしてくれる?」 「おやすみなさい、教授」 「僕が寝たからって、イチャこくんじゃないよ」 「しませんよ!」  キッ! と目を吊り上げ鼻の頭に皺を寄せるレイを一瞥した後、僕はにやつきそうになりながらも静かに目を閉じ、再び記憶の海へと意識を沈ませることにした。  まさに夢だったのではないだろうかと思うような濃厚な一晩は、もう二週間も前の出来事だ。あれからというもの、あのサークルで行われた表向きの検討会の報告書作りに励んでいたが、どうにも心がその晩の甘く楽しい秘め事へ引っ張られてしまう。その度に気合を入れ直し、時折ため息を吐きながらも、僕は大学の図書館の机の上に並べた資料と格闘していた。  “魔法医よりも広く病気に詳しくあれ”というのが魔法薬学部のスターロン講師が口酸っぱく言っていることだった。魔法薬士は、魔法医からの処方だけを扱うわけではない。自分で患者を診て、あった調合を行うことが必要となる。中には持病の治療を主治医にお願いしながらも、別の不調については魔法薬士へ相談してくる患者もいる。禁忌薬だけ気を付ければいいという訳ではない。病識を深めることこそが肝心なのだ、という教えだ。スターロン講師が魔術師であったならば、きっと教授職に就いていたことだろう。それだけの熱意と誇りが、講師にはあった。  ただ、スターロン講師は僕があのサークルに参加することに、どうやら複雑な思いがあるようだった。もちろん、スターロン講師はあのサークルの裏事情など知らない。単純に、魔法医に関わるということ自体が気分が良くないようだった。それはおそらく、スターロン講師がこれまで飲み込まざるを得なかった苦汁の日々のためだろう。それだけ魔法薬士と魔法医の間にある溝は深い。 「……よし、とりあえずこんなものかな」  綴った書類と文献の写しの束を簡単に揃えて留め具(クリップ)で固定すると、僕は立ち上がった。あとはこの何とか形にしたレポートをスターロン講師に添削してもらって――。そう思った時、今日スターロン講師は休みであることを思い出した。夏の長期休暇の間、スターロン講師は秋に開催する学会準備で大学のゼミ室で研究資料を広げていることが多かったために失念していた。  鞄からスターロン講師の予定表を取り出して確認する。……まずい。明日からスターロン講師は隣の領にある自身が運営している薬草園へ行くことになっているし、戻ってくる時にはサークルの魔法医たちが学会に出発してしまう!  僕は慌てて図書館を後にした。走ったことで司書にじろりと睨まれたがそんなことを気にしている場合ではない。外で通信魔法機器を起動し、かつかつと文字を入力する。――当時の通信魔法機器は、今のものより大きくて重くてとことん使いづらかった。でも、当時はとても画期的なアイテムだったんだから、今の技術革新には恐れ入る。むしろ大学はさっさと調合記録の入力補助機を新しいものに入れ替えて欲しいところだ。  突然の呼び出しにスターロン講師からは二つ返事で快諾の連絡が届いた。ただ、明日から帰省することもあり、家の中がバタついているからと、大学とスターロン講師の家からほどほどの距離にあるカフェで待ち合わせることになった。これはせめてコーヒーにケーキを二つぐらいつけないといけないか。そんなことを考えながらカフェに急ぐ。馬車なんて呼んでいる暇はない。山の上にある大学からカフェまでは下り坂だし、どうせスターロン講師も徒歩だ。貴族とはいえ学生である身分の自分が馬車で横付けするのは気が引ける。  だけどこの時の僕は、その選択を非常に後悔することになる。カフェが建ち並ぶその区域は、貴族たちの短い逢瀬に使われるような店もある。  ゴシップを探すほどの興味が湧かない僕は、そんな店を覗くことはない。普段なら。  その時の自分に何が起こったのかは分からない。唐突に、何の気なしに、ふと小洒落た貴族御用達のカフェに目を向けた。もちろん、忍ぶ恋愛向けのものではなく、「私たち、仲がいいんですのよ」と見せびらかすための建築様式のものだったから、簡単に中を覗くことができる。  窓際に座る姿勢が伸びた黒い短髪姿は、二週間前に自分の下で甘い声を上げていた張本人だった。あの時の崩れていた表情、潤んだ瞳に濡れた目元がなんともかわいらしかったのに、今は綺麗なデート用の服装に身を包み、向かいに座っている人物へその凛々しい視線を注いでいる。  深い赤色の口紅が印象的な女性が、目を穏やかに細めながら真向かいに座るサルベルトをまっすぐに見つめていた。手入れのされた髪が光を跳ね返すように艶を帯び、長い睫毛が誘惑するように瞬きを強調する。  ――なんだ。ちゃんと婚約者と仲良くやってるんじゃないか。  汗が滲む額を手の甲で拭って、僕はそのまま目的のカフェへと歩を進めた。何とも言えない息苦しさを夏の暑さのせいにして、じゃあなんであのサークルに来ることを拒まなかったんだ? なんていう疑問からも目を背けた。

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