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番外編2 アダルトたちの回顧録6
気持ちが悪い。目の前に並ぶご馳走と、とにかくうまそうなワイン。いつもだったらどれから飲み干してやろうかと思うぐらいなのに、今日はどうにも手が伸びなかった。
皇室によるパーティは、社交界シーズンに於いて花形イベントだ。スターロン講師と僕を含めるゼミの何人かは、魔法薬学会に参加して、つい先日帰国したばかりだが、貴族としては社交界に顔を出さない訳にもいかず、疲れも癒えないままにこうしてドレスコードに身を包んでいるわけだ。
「やぁマルキオン君。探したよ」
馴染み深い声が聞こえて、僕はそのまま振り返った。やっと知り合いに会えたと謂わんばかりに、こめかみから流れる汗を拭いながらスターロン講師が足早に近付いてくる。
「ご機嫌いかがですか、スターロン男爵」
「あっ! ……お、おかげさまで至極健やかで……えっと」
狼狽え始めるスターロン講師に、僕は思わず笑みを噛み締めた。スターロン講師は元々準男爵だったが、今年の春に魔法薬士としての功績を称えて男爵へ昇爵となった。もとは平民だったことを考えると、その手腕は敢えて説明する必要もないだろう。だが、やはり社交界におけるマナー等を身につける時間を割けるほど、暇な人ではないのだ。
こらえきれずに噴き出した僕を見て、気張らなくてもよかったことに気付いたのか、スターロン講師はほっと胸をなでおろした。
「いや……頼むよほんと。こういう場が苦手なことは、君も知ってるでしょう?」
「そうですね、先生。すみませんでした。あと、先生。僕は伯爵家でも三男ですから……そんなへりくだった言葉遣いしなくてもいいんですよ」
「ん? あぁ、そうか……どうにもこちらから挨拶することしか練習してなかったものだから。つい、ね」
へらりと笑うスターロン講師につられて、僕もにっこりと笑った。どうやらスターロン講師は心細かったらしい。安心して息が吸えるところを探して僕のところまで来てくれたのに、なんだか悪いことをしてしまった。
給仕からグラスを受け取り、二人で口を付ける。豊かな香りと味が口に広がるが、どうにも気分が乗らない。美味しいのに。
「一通り僕が関わる人には挨拶はしたから、もう後はゆっくりできるよ。マルキオン君は?」
煩わしいことから解放されたと謂わんばかりに冷製料理 を摘まみ始めるスターロン講師を見ながら、僕は小さく頷いた。
「そうですね。といっても学生の僕が挨拶するのは学校関係者が多いですかね。大体固まっててくれますし、一気に挨拶できて有難い限りです」
「ははは! 君らしい」
笑い終わった後に、口の中に料理を頬張るスターロン講師。にこにこと笑顔を浮かべながらも、内心で挨拶していない教授の顔がちらついていた。
例のサークル活動日から、およそ二か月がたった。あの晩に出会った夜の化身のような男と瓜二つな男性、サルベルト教授。彼には挨拶ができないでいた。あの男が、あの晩にあったことを他の誰かに言うことはおそらくないだろう。だから、別段僕が何食わぬ顔で挨拶に行ってしまっても何も問題はない。むしろ教授の息子に手を上げたのだから、本来なら謝りに行くべきだ。だが、あのサークル内で起こったことは基本的に外に持ち出さないのが暗黙の了解なので、「貴方の息子に失礼なことを言われたので、一発殴ろうとしてすみませんでした」なんて口が裂けても言えないのは事実だった。だが気まずいことには変わりない。
ただ問題なのは、そのサルベルト教授とぴったりくっついて離れないコルフスト教授にも挨拶ができていない点だ。同期で仲が良い二人は、こういう場ではよく連れ立って歩いている。昨年の社交界シーズンでは、挨拶するときに一緒にご挨拶させてもらったのに、今回だけサルベルト教授がいないタイミングを狙っていくのも、また話が違う。
不意に楽しそうな談笑が幽かに聞こえ、視界の端に長身の黒髪が映り込む。自然と目がそれを追って、想像した姿とは違う人に心が勝手に落胆する。長身の黒髪姿の人物はサルベルト教授で、コルフスト教授とサークルのメンバーである他科の教授たちと合流し、話し始めているのが見えた。
いや、何考えてるんだ。どうせアイツも婚約者と一緒に来ているはずだ。そんな姿見てどうするって言うんだよ。
「君も聞いたの? あの噂」
スターロン講師が静かに声をかけてきた。突然何の話だろうと思い、スターロン講師の方に視線を向けるが、本人はくいっと手の中にあるグラスの中身を飲み干してテーブルに置き、給仕に軽く手を上げて新しいものを持ってきてもらっていた。
「噂……ですか?」
「ん? サルベルト教授を見てたからさ。てっきり」
大皿に貼り付いたテリーヌが綺麗に取れなくて苦戦しながらも、スターロン講師は話し始める。
「サルベルト教授の長男さん、婚約破棄されたそうだね」
「はい!?」
全く予想だにしなかったことを言われ、思わず声が大きく出た。慌てて口を押えるが、こちらのことなどいざ知らず、スターロン講師はやっと苦闘の末に手に入れたテリーヌを美味しそうに頬張った。
サルベルトとその婚約者がカフェでデートしているところを見た時は、あんなに仲睦まじそうだったのに? この短期間にいったい何があったんだ?
「り、理由はご存じで?」
「長男さんの浮気って聞いたけど」
「うわ……き…………え?」
まさに目が点になるとは、こういうことだろうか。浮気と言われると、身に覚えがある自分としては気が気ではない。まさかあの真面目馬鹿、馬鹿正直に婚約者へ白状したとかじゃないだろうな!?
僕が頭の中でぐるぐると思考を巡らせている中、スターロン講師は次の獲物であるローストチキンのスライスへとフォークを向ける。
「貴族の魔法使い……いや、教授の長男さんは魔術師か。特に魔法外科医なんて職業はさ、手術とかもあるんだから調律の良し悪しがその成功を左右したりもするし、ばれないように外で囲ってたり遊び歩いてる人なんてごまんといるって聞くけどね」
「先生」
スターロン講師の声はもちろん先ほどよりもトーンダウンしていたが、それでも人の目もある。社交界で滅多なことを言うものではない。こういうところも貴族としての意識の低さが見える。
だが、確かにスターロン講師の言うこともあながち間違ってはいない。今回のケースからは外れてしまうが、「魔法薬士は囲うもの」なんていう最低な考え方がはびこってしまう理由と通じるところがある。魔力相性の良い医療者を囲い込んでおきたいと考える貴族が多いのは、相手が自分にもたらすメリットが大きいためだ。一つ魔法や魔法薬で治療するにしても、相性が良ければ効果はおのずと高くなる。本当なら魔法医を囲いたいが、魔術師である魔法医を囲えるケースなどほぼない。その次点で選ばれるのが“魔法薬士”という訳だ。囲う相手が医療に関わる者ならば、「家専属の治療士」としての面目が立つ。貴族としての名前に傷もつけない、何とも打算的で醜悪な考え方だ。
だが、魔法医は魔法薬士を囲えない。“劣化魔法医”をそばに置く意味を問われてしまうからだ。だから、結局魔法医は隠れてなんとかするしかなくなってしまう。あのサークルの存在も、そういう背景があるからこそ非難されず黙認されている現状がある。
あのストイックな堅物ファーレン・サルベルトが婚約者以外の者と肌を重ねたというのも、もしかしたら将来的なことを見据えて、上手い遊び方を教えようとした大人の要らぬ世話だったのかもしれない。――それで本人が良心の呵責により婚約者に暴露したのであれば、なんともまぁ辻褄が合ってしまう。
婚約破棄がサルベルト側の理由というのが広く知れ渡ってしまっているのであれば、本人としては針の筵だろう。むしろ、父親であるサルベルト教授の周りに人が多いところを見ると、サルベルト教授を守ろうとする男の友情なのかもしれない。
……なら、サルベルト本人を守る人は?
「先生、ちょっと失礼します」
「え……行っちゃうの?」
むぐむぐと口の中のチキンを咀嚼しながら、挙動不審に周りに目を向け始めるスターロン講師に一礼して、その場 を去る。あの長身だ、舞踏会場 に居ればすぐに見つけられるはずだ。
広い舞踏会場は、今が冬に向かう季節であることを忘れるほどの熱気に包まれていた。煌びやかで疲れを見せない優雅なダンスを披露する男女と、それを眺める者たちの視線とおしゃべりでにぎわっている。
晩餐室 へ行こうとする人の裾に注意しながら、視線は人の顔の高さを維持する。つんと鼻につく香水と汗と酒の臭いに少し酔いそうだった。いつもだったらこんなもの特に気にすることもないのに。
気分の悪さを面に出すことは許されない。貴族らしい笑みを浮かべながら、僕はそのまま彼を探し続けた。
「――婚約破棄、なさったんでしょう?」
そんな女性の高い声が耳に入る。ぱっとそちらの方に視線を向けると、壁際にある簡易的なバーカウンターのすぐそばに、目的の人物が立っていた。顔は少々疲れているようだったが、背筋を伸ばし、微笑を浮かべながら五人の女性たちに囲まれていた。
「へぇ……ふぅーん?」
遠巻きにしばらく見ていると、ファーレン・サルベルトを囲んでいる女性の一人がぽっと顔を赤らめ、周りの女性がキャアと黄色い声を上げた。――なるほど、なるほど。お独り様をご満喫中でございましたか。
心配して損した。そう思った時、あの光る星を宿す夜の目と視線が合った。一瞬、はっとした顔をするサルベルトを見て、僕は思わず目を逸らす。なんだか心底気分が悪い!
足早に舞踏会場の外へと向かう。サルベルトへ背を向けた瞬間、ぶわりと冷や汗が首から出た。
――マルキオン!
遠くで小さく、僕を呼ぶ声が聞こえた気がした。なんだよ、今更名前を呼んだって、抱かせてなんてやんないんだからな。
会場の外は、乾いた夜の空気で満ちていた。寒がりの自分が温かい会場がすぐ後ろにあるのにもかかわらず、その場から離れたい一心で闇雲に歩を進め始めた。
心が落ち着かない。夜の空気が撫で上げる肌は凍えているのに、胸の奥は干からびているように暑かった。呼吸するたびに風が喉を乾かし、肺が引きつるような感覚を覚える。身体的な不快感よりも、精神的な気持ち悪さの正体が分からなくて困惑する。
自分は何に怒りを覚えている? 高々一回寝ただけで、特別にでもなったつもりか? お門違いにも程があるぞ僕 !
荒い呼吸を整えようと、回廊の柱に手を着いて汗を拭った。なんだろう。走ったわけでもないし、ここまで移動することなんて大した運動量でもない。いや、これは普通の汗じゃない。いつからこんな汗をかいている?
あぁ、気持ちが悪い。そう言えば最近食欲も落ちてきているし、寝ていても夜中に何度も目が覚める。学会から帰ってきたばかりだから、疲れが取れていないだけだろうか。
「う、ぇ……」
ずるずると回廊の柱で支えていた手が滑る。吐きたくても吐けない。それもそうか。今日は昼からほぼ何も口にしていないのだから、吐く物もない。
「――大丈夫か?」
背後からかけられた聞き覚えのある声に、身の毛がよだった。慌てて口元を拭って振り返る。回廊の柱の影で、その人物の顔はよく見えなかったが、回廊のすぐ横に設置されていた魔法照明が、男の燕尾服 の袖口に入っていた薄紫色の刺繍を照らし出していた。
社交界では男性の装いにパートナーの色を取り入れる風習がある。今でこそ小物に相手の髪や瞳の色を入れるぐらいに収まりつつある装いも、当時は特にパートナー意識が強い傾向があり、刺繍などに入れて誇示するものが流行っていた。――そして、薄紫色を有している貴族は少なく、マルキオン伯爵家は医療家系の中では唯一薄紫色を有している貴族だった。
「……だい、じょうぶ……です」
声が震えた。体調が悪い上に気温も寒いが、何よりもわざわざこんな人気 のないところでコイツに出会ってしまった自分の不運に震えてしまった。
相手が一歩柱の影から出てくると、僕は自然と一歩引いた。互いの姿が柱の影から魔法照明の光に照らし出される。
「こんなところで会うなんて……奇遇ですね、トトゥオン先生。お元気でしたか? 今回ばかりは、帰国しないと思っていました」
精いっぱいの皮肉を込めて、震える唇で挨拶をする。
「もちろん、社交界シーズンが終わったら北へとんぼ返りだよ。でも、どうしても君に逢いたくってね」
こげ茶色の髪をかき上げながらそう宣うトトゥオンの台詞に、奥歯を噛み締めた。
このトトゥオンという男は、元・交流サークルメンバーだ。何が彼の心に刺さったのかは知らないが、サークル内だけで収めておけばいいのに、どこからか入手してきた僕の連絡先へしょっちゅう気持ちの悪い恋文 を送り続け、しつこく付きまとってきた男だ。以前開催されたサークル活動日に、僕が違う相手と交流を深めようとしたことに逆上し、サークル活動が終わった後に無理やり行為 を迫ってきたことで、サークルメンバーから除名され、北の地に飛ばされたはずだった。
「……それは光栄デス。では、北へお帰りの際は道中お気をつけて。どうぞお体にはお気を付けください。それでは失礼し……――ッ!」
逃げるが勝ち。そう思ってつらつらと別れの挨拶を並べて踵を返し逃げようとした。二歩ほど踏み出したところで、呆気なく手を取られ、回廊の柱に押し付けられる。煌びやかな装飾が施された太い柱の感触が伝わり、顔を顰めた瞬間、今度は肩を掴まれた。
「ッ!?」
無理やり押し付けられる唇に、剃り残した髭の感触。気持ちの悪い呼気と唾液の味。こんなにも不快なのに、何故かさっきまであった吐き気が少しだけ軽くなる。ロマンの欠片もない強引で最悪な行為に虫唾が走るのに、身体的不調が快方に向かう理由の方に意識が飛んだ。いや受け入れている場合じゃない。身を捩って抜け出そうとするが、それでも強引な行為は終わらない。
いい加減殴るか。いや、それでスターロン講師に迷惑が掛かったら……そう思った時だった。
「――何をしているッ!?」
必死そうな声が、回廊に響いた。
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