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第4話 関西弁の柏木さん
朝のオフィスは、いつもより少しだけまぶしく感じた。
昨日の夜、蓮にあれこれ探られたせいか、自分でも気づかないうちに顔がゆるんでるかもしれない。
机に着くと目に入ったのは、いつも通り無表情な柏木さん。
PCに向かって、淡々と事務処理をしてる。
柏木さんに書類を渡しに行くついでに声をかける。
「柏木さん、おはようございます」
「……おはよう」
「この書類に目を通してもらってもいいですか?」
「ああ」
こちらに向きを変えて、書類を受け取る柏木さん。
「昨日は、ありがとうございました」
「……ん?」
「あの猫のマグカップ、使ってます?」
「やめろって。職場で猫グッズの話すんな……」
「誰も聞いてないですよ」
「……お前なぁ、」
ちょっとため息まじりで目を逸らされた。
「慣れてください。俺、こんな感じなんで」
そう言ったら、柏木さんはついに顔をしかめて「……はぁ、めんどくさ」ってつぶやいたけど……
その口元は、ほんの少しだけ笑ってるように見えた。
朝からこのくらいの距離で話せるの、たぶん前よりちょっと進展してるよな。
そんな気がして、俺のテンションはまた少しだけ上がる。
「樹、お前さっきからニヤけすぎじゃね?」
自分のデスクに戻ると、隣の席の三上に突っ込まれて思わず肩を跳ねさせる。
「え、そうか? 普通だけど」
「いや絶対なんかいいことあっただろ」
「ないってば」
でも視界の端で、柏木さんが静かに書類をまとめてるのが見える。
そのあと、ふと目が合って、
「……うるさいぞ」
「すみません、柏木さんにはうるさくしないんで」
「……意味わからん」
そう言いつつも、機嫌はそんなに悪くなさそう。
前よりちょっと近づけた気がして、俺は机の下で拳を軽く握った。
*
そして午後、会社の休憩室に入ろうとした時のこと。
誰かの電話の声が聞こえてきた。
「――ああ、知ってる。また近々そっちには帰るし」
……あれ? 柏木さんの声……?
ドア越しに立ち止まってると、気づかないまま柏木さんは話を続けてた。
「いや俺、忙しいねん。そう言うとるやん、うん。ほな、またな」
……ん?
関西弁? 今の、完全に関西弁だったよな。
普段の柏木さんって、どっちかっていうと無口でぶっきらぼう。話すときもほとんど標準語だし、あんな口調は初めて聞いたかも。
少しして、電話を切った柏木さんに声をかける。
「柏木さん、お疲れさまです」
「ああ、瀬川か」
「……あの、」
「ん?」
「もしかして……柏木さんって、関西出身なんですか?」
そう聞くと、ちょっと間があってから、
「……うん、大阪な」
ぽつんとそう言って、目を逸らされた。
「マジですか。全然そんな風に見えなかったんで、びっくりしました」
「……ああ、こっち来てから、なるべく関西弁が出ないようにしてんだよ」
「え、なんでですか?」
「……しゃべると、馴れ馴れしいとか軽そうって思われんの。だから気をつけてる」
その声はどこか照れたような、でもほんのり寂しそうな響きがあった。
……柏木さんって、そういうのちゃんと気にする人なんだな。
「でも俺は柏木さんの関西弁、けっこう好きですけどね」
そう言うと、柏木さんはちょっとだけこっちを見て――またすぐに視線を逸らした。
「……なに言うてんねん」
「ほら、それ。あ、関西弁でまた猫トークしてくださいよ」
「……それはちょっと考える」
その後、休憩室でコーヒーを飲みながら、柏木さんがもう少し話してくれた。
「東京に出てきたのは3年前やな。最初のころは、関西弁で話してたんやけど……」
「で、何か言われたんですか?」
「直接言われたわけやないけど。なんか、浮いてるなって感じることが多くて」
柏木さんは手に持ったコーヒーカップを見つめながら、静かに続けた。
「それで、だんだん標準語で話すようになって。でも、家族とか昔の友達と話す時はやっぱり関西弁になってしまうよな」
「そうなんですね。でも、無理に隠さなくてもいいのに」
「……そうかな」
「俺は、柏木さんの関西弁の方がなんか親しみやすくて好きです」
そう言うと、柏木さんはちょっとだけ驚いたような顔をして、
「……ほんまに?」
「ほんまに」
俺が真似して言ったら、柏木さんはくすっと笑った。
「なんか変やな。関西弁って苦手な人多いと思うけど」
「俺は全然。むしろ、柏木さんの色んな面が見れて嬉しいです」
「……色んな面って?」
「猫好きで、関西弁で……もしかして他にも隠してることあるんじゃないですか?」
そう聞くと、柏木さんはちょっと考えるような顔をして、
「……あっても教えるわけねーだろ」
「えー……教えてくださいよ」
「知るか。ほら、仕事戻るぞ」
「あ、はい」
柏木さんが出て行った後、俺は一人でニヤけてしまった。
今日はまた柏木さんの新しい一面を知れて、そして少しだけ距離が縮まった気がする。
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