5 / 64
第5話 いろんな一面があるんですね
今日は打ち合わせが終わったのが午後七時過ぎ。
出先からぐったりしながらオフィスに戻ったら、電気が消えている。
もう皆は帰ったらしい。
今日は残業無しの日だもんな。はあ、ちょっと寂しい。
「……ん?」
電気をつけて周りを見渡すと、柏木さんが椅子の背もたれに体を預けて、腕を組んだまま眠っていた。
パソコンの画面には資料が開いたまま、カーソルが点滅してる。
「……え、寝てる」
皆が帰った後、一人で仕事してて疲れて寝ちゃったのかな。ほんっと寝顔もイケメンだし、綺麗なんだよなぁ。
いつもはぴしっとしてるくせに、寝てるから気が緩んでるのか、額にかかった前髪が鬱陶しそうに顔をしかめて……
猫だ、やっぱり柏木さんは猫。
思わず息を呑む。
……やば。かわいい。
かわいいなんて、絶対この人には言えないけど、思った瞬間にはもう胸がぎゅっと締め付けられてた。
そのまましばらく見つめてたけど、ふと、かかってきた前髪を直してあげたくなった。
でも、手を伸ばしたら――たぶん、終わる。
それならば。せめてこの姿、おさめておきたい。
スマホをそっと取り出して、カメラを構えて……。
カシャ、と音が鳴ったと同時に、
「……おい、撮んな」
低い声が不意に落ちてきて、心臓が飛び跳ねた。
「わっ! えっ、起きてたんですか!?」
「……ああ。近づいてくるから何するかと思えば、寝顔撮るとか……意味わかんねえ」
柏木さんはゆっくりと目を開けて、顔も動かさずに俺をじっと見る。その視線が、からかいとか怒りじゃなくて、どこか探るようで。
「……ってことは、俺が戻って来た時からずっと起きてたんですか?」
「半分寝てた。けど……うっすら目開けたらお前が黙って見てるから、眠気がどっか行ったわ」
「いや、見てたっていうか……ちょっと、可愛いなって……」
言いかけて、我ながら“やってしまった”と思った。
「は?」
一拍置いて、柏木さんが眉を上げた。
「いや、違います違います。今のナシで……!あの、なんかこう、猫っぽいな~ってだけで……」
「猫?」
「その……前髪で顔しかめるとことか。なんかちょっと、撫でたくなるっていうか……」
柏木さんは口の端で小さく息を吐いて、ゆっくりと立ち上がった。
俺の前に立って、かるく肩を叩く。
「あーはいはい。で、撮った写真どうすんだよ?」
「え、あ……削除しますよ、当然」
「……はあ。まぁいい。お前を待ってたから。帰んぞ」
「え?俺を……?」
「ああ、後輩が外で頑張ってんのに先に帰れるかよ」
やっぱり優しいんだよな、柏木さん。
机の上の資料を片付けて、パソコンの電源を落とす。
俺は柏木さんの横顔をずっと見てて、気づかれないかハラハラしてた。
「なに見てんの?」
「……やっぱり気づいてた」
「当たり前だろ。視線って感じるもんだしな」
柏木さんはジャケットを羽織りながら、困ったような顔で俺を見る。
「お前、今日どうした?なんか変やな」
「変って……普通ですよ」
「普通? 普通はな、先輩の寝顔を隠し撮りしようなんて思わねーよ」
正論すぎて返す言葉がない。
「……すみません」
「別に」
そう言って、柏木さんは俺の肩に手を置いた。軽く、ほんの数秒だけ。でも、その温度が妙に印象に残る。
二人で会社を出て駅までの道を歩く。
いつも通り。何かを話すでもなく、気まずくもない。
この静けさは嫌いじゃない。
今日は、柏木さんとの距離が近く感じる。さっき肩に置かれた手の感触が、まだ残ってるような気がして。
手持ち無沙汰になって、なんとなくスマホをポケットから出したら、通知が目に入った。
「……ん。ちょっと電話します」
柏木さんはうなずいただけで、少し歩調を落とした。
「もしもし、俺。いま帰り。うん、うん……あー、それで起きてたの? 珍しいな」
電話の相手は、双子の弟・蓮。
たまに夜の仕事が休みの日は、俺が帰るのを待ってくれてたりする。
「大丈夫、コンビニでなんか適当に買ってくから。……あ?それ、お前の方だろ」
思わず笑いながら話してると、隣を歩く柏木さんの視線を感じた気がして、そっとスマホを耳から外す。
電話を終えて画面を落とすと、柏木さんがポツリと呟いた。
「彼女?」
「え?」
「……今の。電話の相手」
まったく悪びれる様子もなく、普通の会話みたいに聞いてくるから、逆に返事に困った。
「……いや、違いますけど」
「ふーん。楽しそうやったから」
なんでもなさそうに言って、また視線を前に戻す柏木さん。
そこに特別な感情が含まれてるわけじゃないことは、ちゃんとわかる。それでも、胸の奥がざわっとした。
彼女って……。
こっちがこんなに振り回されてるのに、
柏木さんは、あんな声で普通に聞いてくる。
それが少し、悔しい。
わざとちょっと距離を詰めてみても、柏木さんは避けないし、拒まない。
……俺、ブレーキかけるのに必死なんですけど。
ともだちにシェアしよう!

