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第8話 心が、ざわつく

生ハム、ピザ、パスタ――次々に料理が運ばれてくる。 テーブルの上は、わりと本格的なイタリアンでどんどん埋まっていった。 「……あ、やっぱうまいな」 「本当に美味しいですね!」 「これ、もう一皿頼みたいです! 全然食べれる」 三上がそう言って手を挙げようとすると、吉田さんがうんうんとうなずきながら、早くも最後のひと切れにフォークを伸ばした。 「おい吉田。お前、それ全部食うなよ?俺まだ食ってねえから」 柏木さんが、苦笑まじりに少し呆れたような声を出す。 それを聞いた吉田さんが「いやいや、取っとく取っとく」と慌てたように笑いながら、ピザの端っこを自分の皿に移した。 ……今、向かいで笑ってるこの人は、口角が少し上がっていて、なんていうか、ちゃんと"楽しそう"で。 それだけのことなのに、俺はちょっとだけ得した気分になってた。 普段のクールな表情を知ってるからこそ、こういう顔を見るとなんだかこっちまで温かくなる。 俺がそんなふうに思っている間に、柏木さんはふとポケットからスマホを取り出した。 なんてことなさそうに画面をタップして、ロックを解除する。 指先が馴れた様子で何かをスクロールして、それを見ながら口元がまた少しだけ緩む。 その一瞬を、吉田さんが見逃すはずもなく、さっと身を乗り出すようにして覗き込んだ。 「お、メイちゃんか?」 「……ああ」 柏木さんは小さくうなずきながら、スマホの画面を吉田さんに傾ける。 俺の位置からは何も見えなかったけど、「メイ」という名前だけが、頭に残った。 ……メイ? 誰? 「なぁ柏木。メイちゃんと一緒に暮らしてどのくらい経つんだっけ?」 「んー……三ヶ月くらいかな」 彼女……なのか? 「一緒に暮らしてる」って言葉が出た時点で、その可能性が一気に濃くなる。 「おまえ、意外と甘やかしてそうだよな。デレデレしてんじゃねぇの?」 「……うるせ。あいつがいると、全然ちがうんだよ。すげー可愛いし。独りのときより、落ち着く」 さらりとそう言って笑う柏木さんの顔は、普段よりずっと柔らかくて―― 見てはいけないものを見たような気がした。 ……その表情、俺は知らない。 誰かと“暮らしている”柏木さん。 誰かと“日常を分け合ってる”柏木さん。 きっとその「誰か」は、柏木さんの優しさや不器用さもぜんぶ知ってるんだ。 それが、どうしようもなく胸に引っかかった。 「柏木さんって、彼女さん……いるんすか?」 ……おい三上、おまえ。なんで今、その質問。 場の空気が、ほんの一瞬だけ止まる。 柏木さんは答える前に、すっと目線を伏せた。その動作だけで、もう何かを語ってる気がした。 ……たぶん、いるんだ。 でもその瞬間、吉田さんがふっと笑いながら、場の空気をさらっていく。 「おう、柏木には超かわいい彼女がいるんだよ。ほら、毎晩一緒に寝てるらしいし」 「……余計なこと言うなって」 柏木さんはスマホを伏せながら、少し照れたように笑った。冗談みたいな雰囲気ではあったけど、否定はしなかった。 「いないよ」とは、ひと言も言っていない。 むしろ、あの反応は……本当に照れてるときのやつだ。 ……毎晩、一緒に寝てる。 ……すげー可愛い。 やっぱり、そうなんだ。 そうだよな、あれだけの人だ。モテないはずがない。 顔がよくて、仕事もできて、クールでそっけないのに、ふとした瞬間に優しい。 ……惚れない方が、おかしい。 「なぁ、樹。大丈夫? 黙ってるけど、もしかしてピザ足りなかった?」 三上が笑いながら俺の肩を軽く小突く。 その一言に我に返って、俺はなんとか笑ってみせた。 「いや、ちゃんと食べてるし。……大丈夫」 たぶん、笑えてる。平気なふりくらい、慣れてるはずだから。 スマホの画面に映った“メイ”の正体なんて、聞けるわけがない。 俺には、そこを踏み込む資格なんてない。 ただピザの残りに手を伸ばしながら、ひと口。 さっきと同じ味のはずなのに、少しも美味しく感じなかった。 それでも、何もなかったように口を動かす。 隣で楽しそうに笑う柏木さんの声を、聞き逃さないようにしながら。 ……もう少しだけ、この時間が続いてくれたらいい。 たとえ、俺ひとりが浮かれてるだけでも。

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