16 / 64

第16話 恋を演じる夜、恋をする昼

休みの日。 今日は珍しく、何の予定も入れてなかった。 昼近くまで寝て、ゆっくりコーヒー淹れて、音楽を聴いたりしていた。 午後はひさしぶりに料理でもしようかと思って、冷蔵庫の前でしばらく悩んだ。 なんとかメニューを決めて、さっき下ごしらえも済ませたとこ。 今はスマホ片手に、ソファーでぼーっと一息。 こうして、誰にも邪魔されない静かな空気のなかにいるの、俺はけっこう好きだ。 ――と、カチャッと玄関の鍵の音。 「ただいま……」 少し気の抜けたような声と、リビングに入り込む外気の温度差。それだけで、なんとなく空気が変わる。 「おかえり、樹」 そう声をかけたら、俺に気づいた樹がピタリと足を止める。 「……あれ? 蓮、なんでいるの?」 「なんでって。俺の家でもあるけど?」 スマホから顔を上げると、樹の表情がやたらと面白い。 目の奥、口元、歩き方――全部が“浮かれてます”って主張してる。 「蓮、今日は休み?」 「ん、たまには。……ていうか、樹さ、何その顔。にやけすぎじゃない?」 「……べつに」 即答。それに目、逸らしてる。わかりやすいな、ほんと。 「ふーん。何かいいことでもあった?」 「ちがうっつの……」 「嬉しそうな顔してんのに?」 ちょっとだけ引っかけるようなトーンで返す。 目が泳いだ。やっぱり当たり。 「……樹」 少し低く名前を呼ぶと、こっちを見た。 「好きな人ができた、とか?」 その一言で、動きが止まった。 目に、一瞬だけ走った迷い。息を飲むような仕草。 ――やっぱりね。 「……は? ちがうし」 「じゃあさ。"好きな人"って言葉に動揺したの、なんで?」 「まあ、ちょっと気になるってくらいだから」 「ふぅん?"ちょっと気になる"ってだけで、さっきみたいな顔になる?」 黙ったな。これは、確定。 「やっぱ図星?」 「……っうるさいな」 「俺にバレてる時点で、大して隠せてないけどね」 からかったら、「ちょっと黙って」と言われた。 「お前、恋したらわかりやすすぎるんだって。昔からそう。ちょっと好きな子できたら、すぐ無駄に機嫌よくなって、やたら丁寧に皿洗ったりさ」 「小学生の頃の話やめろ」 樹は小さい頃から、好きな子できるとすぐ顔に出るくせに、絶対自分からは認めない。 「その"気になる相手"ってさ……職場の人?」 「……まあ」 「可愛い系?綺麗系?」 「……見た目は綺麗。クールで……かわいい」 まるで、思い出すように、かすかに笑いながら呟いたその声。 なんだか聞いてるこっちの胸がどきっとする。 「なに、じゃあ今日デートでもしてたの?」 「いや別に、何もないよ。たまたま街で会って。ちょっと話しただけ」 “話しただけ”で、あの顔。 ああ……これは、完全にやられてるな。 「軽く好きになった、って顔じゃなかったよ。たぶん本気」 なんとなく、確信めいたものがあった。 双子って、こういう感覚だけは当たる。 「そうだ、俺が"会ったら困る人"だったら、先に言っとけよ?」 「……え?」 「俺ら、見た目ほぼ同じだからな?もし偶然会って、間違ってときめかせたら悪いし。あ、俺が奪っちゃうかもしんないし」 「は? お前マジで調子乗んな」 にやっと笑ってみせたら、クッションが飛んできた。軽く受け止めて、流す。 「あはは、冗談だって」 「お前が言うと冗談に聞こえないんだよ」 クッションを脇に置いて、深くソファにもたれかかる。 「……樹が恋、ねぇ」 ぼそっと呟いた言葉は、空気に溶けて消えた。 「なんか、懐かしいなぁ」 「何が懐かしいって?」 「俺が最初に恋したときも、樹がそんな顔してた」 「俺が?」 「そ。お前も気づいてたから」 その頃の記憶がぼんやりと浮かんで、目が自然と遠くなる。 「双子だからかな。お互いの変化って、やっぱ敏感なんだと思う」 顔色も、声のトーンも、言葉の間も。本人以上にわかってしまう瞬間があるんだよ。 そう言う代わりに、樹の頭をぽん、と軽く叩いた。 「その人のこと、今度詳しく話してよ」 「え、なんで?」 「だって、俺の双子が好きになった人がどんな人か、やっぱ気になるじゃん」 「……めんどくさいな」 「そう言うなよ。もしかしたら、俺がいいアドバイスできるかもしれないし」 そう言いながら、立ち上がってキッチンへ向かう。 「今日のご飯、俺が作ったから」 「えっ、マジで?」 「ん、たまにはね」 冷蔵庫の中を開けて、鼻歌まじりに準備を始める。 たぶん、ほんとは聞きたい。樹が好きなのはどんな人なのか、どんな話をしたのか、何を想ってるのか。 でも俺が聞いたら、こいつは黙る。無駄に頑固で必要以上に隠そうとする。 「樹、ご飯できたよ」 「あっ、うん」 呼びかけると、少し間をおいて返事が返ってきた。 「なに考えてたの?」 「べつに……」 「またその人のこと?」 「……うるさい」 テーブルに料理を並べながら、俺はこっそり樹の横顔を盗み見た。 頬が少しだけ赤い。顔に出すの下手なくせに、バレバレなんだよな、ああいうの。 ――樹と俺は、ほんと真反対だ。 「樹、」 「……なに」 「お前さ、顔に全部出てんのはいいとして、バレたくないなら、もうちょい演技の練習した方がいいよ」 「……うるさい」 ぷいっとそっぽ向く樹に、俺は小さく笑った。

ともだちにシェアしよう!