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第18話 今日も、違う誰かの“理想”になる

昼の街を歩くなんて、いつぶりだろう。 俺にとっちゃ珍しいシフト外の仕事、店外デート。 「昼間も会いたいな」なんて甘えられて、気まぐれで頷いたのが始まり。 店の中じゃ物足りないって子には、こうして太陽の下でも夢を見せてやる。 もちろん、これはビジネス。俺にとっては、夜の続きみたいなもんだけど。 でも、こういうのを“特別”って信じてる子も多いんだよな。 笑顔を作って、歩幅を合わせて、甘い言葉を一つ添える。 ほんの数時間、恋人みたいなフリをするだけ。 それだけで満足してくれるなら、安いもんだ。 俺のこと、本気で見つめられても困るけど…… 目の前の誰かが笑うなら、俺は「最高の彼氏」でいられる。 午後の街。 ブランドショップをハシゴしながら、横でしゃべり続ける姫の声が、だんだんノイズに聞こえてくる。 「ねえ蓮くん、このピアスと、あっちのブレスレットだったらどっちが似合うと思う?」 俺はチラと視線を流すだけで、すぐに曖昧に笑って返す。 「どっちも姫の雰囲気には合ってるから選べないな」 そう言ってから、少しだけ彼女の耳元に顔を寄せる。 「……でも、今日はピアスにしよっか。俺の好み、ちょっと優先させて?」 そう言ってあげれば機嫌は保たれる。口角を上げるのなんて、もうクセになってる。 見返り前提の甘えや媚びなんて、ホストなら慣れてて当然だ。 「蓮くんってほんと優しいよね。なんか私だけ見てくれてる感じがする」 「だって姫が一番だから。今日も綺麗だったよ、全部、似合ってた」 嘘じゃない。ただ、本音でもないだけ。 俺に見られたくて、褒められたくて、媚びてくるその姿勢が、どうにも空々しく思えてしまうことがある。 彼女の手を自然に取り、重そうなバッグはさりげなく引き受ける。 歩道では迷いなく車道側。強い日差しを避けて、影を縫うようにルートを選ぶ。 靴に合わせて、少しだけ歩幅を落とすのも忘れない。 「足、痛くなっちゃったかも……」 「ちょっとだけ、頑張って。あとでご褒美あるかもよ?」 なんて甘い声で囁けば、また機嫌は戻る。 スパダリ? そう見えるなら、それでいい。 ――信号待ち。向かいの歩道にふと、目に入った男がいた。 黒髪で、長身。細身のスーツを着ていて姿勢もいい。ファッション雑誌の中のモデルのようだ。 派手じゃないのに、目が引かれる。 こちらを全く見てないから、目は合わないし表情は読めないけど、とにかく色っぽい。 彼はただ前を向いて歩いていった。 ……綺麗な顔だったな。 ま、どうでもいいけど。 ああいう“無自覚にいい男”って、女が放っとかないタイプだろうね。 「蓮く~ん? 聞いてるの?」 横から姫の声。 また、笑顔を貼りつけて振り向いた。 「……ごめんね、なに?」 「暑いからカフェ入らない? って聞いたの」 「うん、いいよ。少し涼もうか」 彼女の手をそっと取って、雑踏から外れた横道へと導く。 「早くこのデート、終わらないかな」なんて考えてしまった自分に気づいて、俺はいつもの柔らかい声で囁く。 「おいで、こっち」 さりげなく距離を詰めながら、柔らかく笑って言う。 歩いた先で、ふと視線を上げる。 「……あの店。俺のおすすめなんだ」 落ち着いた声色に、少しだけ親密さをにじませて。 今日もただ、“理想の彼氏”を演じるだけ。 *** ネオンがきらめく通りに、俺のホームがある。 扉を開けた瞬間、香水と笑い声が迎えてくれる。 「おかえりなさーい、蓮さん。姫、満足してたっすか?」 後輩ホストの軽口を流しながら、俺はゆっくりとソファに腰を沈めた。 ネクタイを緩めて、グラスの水をひと口。 鏡に映った自分は、完璧だった。 髪も、スーツも、目線も。 でも――その奥にある顔は、どこか削れて見えた。 「……はあ」 誰にも聞こえないくらい小さく、ため息を落とす。 癒しじゃなくて、消耗。満たされるどころか、少しずつ削れていく。 でも、やめるつもりなんてない。これが俺の仕事。 女を喜ばせて、夢を見せて、惚れさせるのが“蓮”。 本音なんか、いらない。 心なんか、なくていい。 鏡の中の自分に、もう一度だけ笑いかける。 完璧な笑顔で。 シャンパンの泡がグラスの中で揺れてる。 照明が反射して、姫の笑顔をキラキラと飾る。 「蓮くん、今日もかっこよすぎる……」 「ん、ありがと。そう言ってくれる姫が一番綺麗だよ」 軽く微笑んで、指先を絡めてやる。 たとえ本音を言えなくても、誰かに期待されている自分を演じるのは、嫌いじゃない。 “好き”とか”特別”とか、本音を預ける関係なんて最初から求めてない。 疲れるだけだし、嘘をつく方が楽。

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