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第19話 嘘と本音のあいだで

午前1時半。 ホストの仕事が終わり、静まり返った部屋に帰ってくる。 薄暗いリビング、電気は消えたまま。玄関に並んでるのは俺の靴だけ。 「……あれ、いないんだ」 珍しいな、と思う。樹は基本、夜は家にいるタイプだ。 出かけるときは一言言うし、帰りが遅くなるならメッセージくらいはよこす。 でも今日は、何もなかった。 まあ……偶然ってのもあるか。 そう思って、特に気にせずシャワーを浴びて、そのまま眠った。 * 朝。 カーテンの隙間から差す光で目が覚めたのは、8時すぎ。 キッチンのあたりで、カチャッと音がする。 寝ぼけ眼でリビングを覗くと―― ……ああ、帰ってたんだ。 樹が水を飲んでいた。 髪はぐしゃっとしてて、服装はおそらく昨日のまま。 それよりも――顔に出てる、疲労と……妙な、充足感。 「……樹、帰ってきたの、今?」 「……うん」 「ふぅん。昨日どこ行ってた?」 「ちょっと……飲んでただけ」 「へぇ?」 あの顔で「飲んでただけ」は、さすがに無理あるだろ。素直に答えるところが、むしろ怪しい。 「昨日、樹がなにも言わずにいなかったからさ。ちょっと気になってた」 「悪い。連絡するの、忘れてた」 樹はそっけなく言いながらコップを置く。 「……で?この前言ってた“気になる人”と一緒にいたの?」 「……なんでそうなる」 「前もさ、“偶然会ってちょっと話しただけ”って言ってたわりに顔ゆるゆるだったし。で、今日は朝帰り?」 「……」 黙るってさ、もうそれ、“図星です”のサインでしかない。 「で?進展あったわけ?」 「ない」 「嘘つけ」 「ほんとだって」 そう言いながら、明らかにテンション低めだし。 むしろ、ちょっと気まずそうな雰囲気すらある。 まるで……“やっちゃったけど、言えない”って顔。 「……あー」 ふっと、喉の奥で笑いが漏れる。 「なるほどね」 「何がだよ」 「いや、もう全部顔に書いてある。別に何があったかは聞かないけど、なーんか、“してきた顔”だなって」 「してないし」 「はいはい、わかったよ」 軽く手をひらひらさせて、黙ってやるフリ。 背中向けて冷蔵庫開けたその肩越しに、こっそりため息をついた姿が見えた気がした。 「ほんと、隠すの下手だよな。子供の頃から……」 「それ、まだ言う?」 「事実だから」 ソファーに腰を下ろして、ゆっくり息を吐く。 「で、その“気になる相手”、職場の人なんだろ?」 「……ああ」 その言い方。 思い出すように、笑みを浮かべながら呟いたその声。 「……可愛いやつ」 独り言みたいに呟いたら、樹が軽く眉をひそめた。 「なに?」 「いや。なんでもない」 わざと何も言わずに、じっと目を細めて観察する。 眠そうな目だけど、奥に何か熱が残ってる。 「……ま、言いたくなったら話せば?」 ぽつりと呟いて、俺はスマホを手に取る。 こっちは詮索する気なんてない。ただ、少しだけ気になっただけ。 「……なあ、蓮ってさ、犬派?猫派?」 唐突すぎる質問に、一瞬だけ視線を向ける。 ソファで足を投げ出してる樹が、やけに真剣な顔してこっちを見てた。 「猫」 「即答だな」 「まあな」 スマホをいじりながら適当に答える。べつに悩むまでもない。俺はずっと猫派だ。 「気まぐれで、こっちから寄ると逃げるくせに……たまにふいっと寄ってきて、何事もなかったみたいな顔で膝に乗るじゃん」 「……うん」 「ああいうの、可愛くて、ちょっとズルいよな」 そう言うと、樹は黙ったまま天井を見てた。 沈黙が少し続いてから、はあ、とため息が落ちる。 「……やっぱ猫って罪な生き物だな」 言い方が妙に刺さる。俺はスマホから目を離して、樹の横顔をちらっと見た。 「……なに思い出した?」 「べつに。なんも」 即答だけど、目はぜんぜん笑ってない。 ふうん、とだけ言ってそれ以上は聞かなかった。 俺はもう一度スマホを画面オフにして、ソファの背もたれに体を預けた。 樹は昔からそうだ。余計なことは言わないし、言わせてもくれない。 俺にだけは隠し事しないでほしい――なんて、そんなガキみたいなこと思う年でもないし。 けど、最近やけにわかりやすい。 「ま、猫って、そういうとこあるよな」 ……気まぐれで、爪を隠して、ふいに甘えて、でも決して飼われはしない。 ああ、樹はきっと、「猫に惚れた犬」なんだろうな。

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