21 / 64
第21話 俺と猫と後輩の夜事情
「柏木さん、おじゃましまーす……あ、メイちゃん!」
2日後からの出張を控えてるせいか、今日の樹はやけにテンションが高い。
「メイちゃん……今日もちょっと機嫌悪め?」
白い影がぴょんと廊下に顔を出した。
メイ――うちの猫。
見た目こそ可愛いが、人見知りで俺以外には基本懐かない。警戒心の強い気まぐれ姫。
「メイ、樹やぞ」
そう呼んでも、メイはじっと樹を見つめたまま、耳だけぴくぴく動かす。当然のように寄ってはいかない。
樹がしゃがんで手を差し出すと、メイは目を細めて一歩引いた。
「……ちぇ。やっぱ、ダメか……。飼い主みたいにツンツンしてる……」
「は?」
「……でも俺は懲りませんよ。気長にいきますから。絶対に懐かせます、柏木さんみたいに。ほら、メイちゃん、こっちおいで?」
「……おい、」
「柏木さんだって、最初警戒心剥き出しでしたもん。でも、ちゃんと懐きましたよね」
そう言ってニコッと笑う顔は、ほんと悪気がない。
「は? 何言ってんねん」
「あはは、照れてる」
からかうような声に、思わず目を逸らす。
夜の静かな部屋で、そうやってまっすぐ懐かれると……なんか、いろいろ誤魔化せなくなる。
「でもまさか、柏木さんが『帰りに寄るか? 』って言ってくれると思ってなかったです」
「……いや、お前が出張前に会いたいって言うからやろ」
「でも、お誘い嬉しかったですよ。俺、明後日からしばらく地方で缶詰ですし……今のうちにゆっくり会っておきたくて。やっぱり職場とは違いますし」
軽く笑いながらも、視線だけはまっすぐに向けてくる。
からかってるわけじゃない。本当にそう思ってる顔だ。だから余計に、こっちは気まずくなる。
俺はため息をつきながらも、台所に飲み物を取りに行った。
こういう時、わざとツレない態度をとってしまうのは照れ隠しだ。
それでも、やっぱり今日も思う。
……こいつは、ズルい。
*
静けさの中、隣でくっついてくるのは、人懐っこい犬みたいな男――いや、樹だ。
……メイはじっと樹を睨んだまま動かない。
「相変わらず塩対応?」
樹が声を掛けると、メイはピクリと尻尾だけ動かしてふいっと顔を背けた。
「やっぱり……完全に嫌われてる」
「おまえ、そんな事ばっか言ってるやん」
「だって毎回、叶わぬ想いなんですよ。切ないでしょ?」
そう言いながら、樹は俺の座ってたソファに腰を下ろし、クッションを抱きしめた。
「そろそろ慣れてくれても良くない? メイちゃん」
「……お前が勝手に距離詰めすぎなんやろ」
「そんなことないですって」
悔しいのか、樹がメイに視線をやって、「ちょっとだけでいいから撫でさせて」と低く囁いた。
けど、メイはすたっと立ち上がると、ソファの背に飛び乗り――そのまま俺の膝の上に乗ってきた。
「おっと……」
「うわ、嫉妬されてる!? 絶対これ、嫉妬ですよね」
「猫にまで張り合うな」
俺の膝を占拠して動かないメイを横目に、樹が不貞腐れた顔で背もたれに沈み込む。
その目が少しだけ、じっと俺を見上げるように向けられていて。
「ねぇ、柏木さん」
「……ん」
「今日、帰りたくないです。ダメですか?」
*
「ソファーで寝ますよ、俺」
「何言うてんねん、お前客やろうが」
「じゃあ一緒にベッド使いましょう」
「は?」
振り返ると、樹が少し上目遣いに笑ってた。
完全に子犬だ。しっぽがあったら、今ブンブン振ってるに違いない。
「二人で寝るってことで」
「いや、お前……」
「あ、メイちゃんは寝るとき、柏木さんのベッドで一緒なんですか?」
「……まあ。いつも、ってわけやないけど」
「じゃあ俺も混ぜてもらえるように、ちょっとずつ信頼度上げていこうかな……まずはベッドのふちから攻めてみる」
「は?」
「……ほら、こうやって」
冗談めかして言いながら、樹がベッドの端に腰掛ける。
「……おまえ、猫と同じ扱いかよ」
「だって、柏木さんの“許可”がないと入れなさそうなんですもん、ここ」
その“許可”って言葉に、なんだか妙にドキッとする。
別にやましいことがあるわけじゃないのに、こいつはたまに、するりと距離を詰めてくる。
「……好きにすれば」
「じゃあ、“足元”だけ失礼します」
そう言って、樹はまるでメイの真似でもするように、そっと足元に座り直した。
思わず視線を落とすと、こっちを見上げて、にこっと笑う。
「……かわいがってくれなくていいけど、追い出さないでくださいね、柏木さん」
「……うるさい。寝るぞ、もう」
照れ隠しに背を向けた。視線の先で、メイがベッドの上に飛び乗る。
樹と猫の“場所争い”が、今夜はちょっとした攻防戦になりそうだ。
……。
「……なあ」
「はい?」
「……おとなしく寝るんじゃなかったのか」
「寝てますよ?」
そう言うくせに、ぴとっと背中にくっついてきて、温もりが伝わってくる。
「柏木さん、いいにおい……」
「っ……バカ、お前、何言って……」
「や、ほんとに。落ち着くっていうか……好きなんですよね、柏木さんの匂い」
心臓が跳ねた。声が近すぎる。
背中にあたる胸元、手首、脚、全部がまとわりついてきて――
「……今日は、ちょっとだけ甘えたいんです」
「……」
「だめですか?」
返事ができないまま、俺は枕元の明かりをパチンと消した。
暗闇の中、そっと布団の中に潜ってきた腕が、俺の胸元に回される。
「……しゃあないな」
「ふふ、でも、怒ってないですよね?」
「……」
「怒ってたら、触らせてくれないですもん」
その手が、背中から腰へ――
触れるか触れないかの甘さで、俺の温度がどんどん上がっていく。
くそ……おとなしく寝るどころか、これじゃ、眠れるわけがない。
ともだちにシェアしよう!

