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第25話 “非日常”に、ペースを奪われて
グラスを手に取って、酒をちびちびと口に運ぶ。
氷がカランと鳴った音が、やけに耳に残る。
……なんとなく、落ち着かない。
ビジュアルの良さは――まあ、一旦置いておくとして。
正直、ホストなんてどいつも似たようなもんだと思ってた。
だけど、蓮は、なんだか違った。
おしぼりを渡すだけ、名刺を差し出すだけ。
その一つひとつの動作も妙に丁寧で、目が離せなくなる。
それに、他のホストたちに比べると静かだ。軽口も少なめ。笑い声も作ってない。でも不思議と、それが心地いい。
「どうしたの?」
ぼんやり見とれているのに気づいたのか、蓮が首をかしげてこちらを見た。
「いや、動きがすごく綺麗で……」
素直にそう言うと、蓮は一瞬だけ目を丸くして、ふっと笑った。
「ありがとう」
手元のグラスからゆっくり水をひと口飲むと、少しだけ目元が柔らかくなった。
「視察なら、騒がしいよりこういう落ち着いた感じの方がいいだろうね」
「……そう、だな。少なくとも俺は、その方が助かる」
「あは、よかった。それじゃあ俺、ちょっと“視察向け”にシフトしてみようかな」
そう言いながら、蓮は背筋をしゃんと伸ばし、ほんの少し真面目な顔を作る。
「本日はご来店いただき、誠にありがとうございます。蓮が担当させていただきます」
「……なんか、ちょっと固いな」
「でしょ? じゃあ、ここから先は“蓮らしく”接客するね」
「“蓮らしく”って……どうするんだよ」
「んー、たとえば――」
蓮はテーブルの端に置かれたメニューカードを指先でくるくるいじりながら、視線だけを俺に向けた。
「“無理して盛り上げない”とか。ちゃんと相手のテンポに合わせる、とか」
いたずらっぽく微笑むその顔に――
なぜか、頭の片隅で“アイツ”の姿が、ふっと重なった。
「あとはね……もっと自然に距離を詰める感じかな。無理に飾らず、でも心はちゃんと伝えるみたいな」
その目は、クールでありながらもどこか甘さを含んでいる。
「だから澄人くん、変に構えずに俺と話してみてよ。せっかくの非日常なんだからさ」
俺は少し戸惑いながらも――蓮の声、仕草、香り、
全部がどこか“非日常”で、俺のペースをじわじわと乱してくる。
似てる。けれど、絶対に“あいつ”じゃない。
わかってるのに目が離せない。
「……やっぱ、慣れてるんだな。人の懐に入り込むの」
皮肉のつもりで言ったのに、蓮はさらりと受け流す。
「それ、褒めてる?」
「どうだろうな」
そう答えながらグラスを傾けると、今度は蓮が少し身を乗り出してきた。
テーブル越し、距離がまた一段近づく。
「じゃあ、もっと近づいたら、褒めてもらえる?」
その声は柔らかくて低い。
空気がふっと熱を帯びた気がして、思わず視線を伏せる。
「……その手口、何人に使ってんだ」
低く返したつもりの声は、ほんの少しだけ、掠れていた。
蓮はにこっと笑って、指先で自分のグラスのふちをなぞる。
「数えてない。でも……澄人くんには、特別多めに仕掛けてるかも」
この空気は、どこか危うい。
自分の中の“日常感覚”が、じわじわと溶かされていく。
「……澄人くんさ」
「……ん?」
「なんか、“壁”あるよね」
「……は?」
唐突なその一言に、思わず眉をひそめる。
「ごめん、悪い意味じゃないよ。すごく“ちゃんとしてる”人だなって思っただけ」
「……」
「でもその“ちゃんと”の裏に、なんか、ずっと気を張ってる感じがする。それがクセになってる人って、いるよね」
言われたくないことを、言い当てられた気がした。
何が“非日常”だ。
まさかホストに、自分の生活の姿勢まで見透かされるとは思わなかった。
「……悪いけど、俺が分析されに来たわけじゃないんで」
「うん、わかってる。でも、たとえばその“壁”のせいで、視察してるはずの“非日常”を、あんまり楽しめてないなら……」
「……なんだよ」
「もったいないな、って思っただけ」
静かな声で、真正面から言われる。
たしかに。今の自分は、何かと距離を取ろうとしてる。
“これは仕事”って言い訳を、盾にして。
……てゆーか、俺は今、信じられないくらい感情を引き出されてる気がする……。
俺の反応を見て、蓮はグラスを置いてスマホをポケットから取り出した。
「ねえ、澄人くん。連絡先、交換しとこうか」
「は?」
「“視察レポート”とか、あとで補足が必要かもしれないし。ね?」
取り繕った理由はついているが、それがただの方便だってことくらいわかる。
わざわざ俺の名前を登録しながら、「“くん”付けでいい?」なんて聞いてくるあたり、あざといくらいだ。
でも――断る理由も、見つからない。
「……ああ、別に」
「ありがと。じゃあ、ちゃんと“澄人くん専用”で登録しとくね」
さりげなく俺との距離を更に詰めてきた。
近い。だが、それが“わざとらしい近さ”にならないのが不思議だった。
「あとさ、今日は”視察の顔”だったでしょ。……次は、素の澄人くんに会ってみたいな」
「……考えとく」
俺がそう答えると、蓮はにっこり笑った。
「楽しみにしてる」
その笑顔に、どこか知らない感情が揺れた気がした。
「失礼します。蓮さん、二番にご指名です」
「はい、行きます。呼ばれちゃったから行くね。今日はありがとう」
蓮は立ち上がると、姿勢をわずかにかがめ、俺の目をしっかり見て言った。
「……澄人くん、“非日常”って、案外……身近なとこにあったりしてね」
言葉を返す前に、蓮は静かに微笑んで去っていった。
残された俺は、少しだけ深く椅子に背を預けた。
……視察、だったな。
誰かに報告書を提出する前に、まずは自分自身の“想定外”を整理しなきゃいけない気がしていた。
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