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第27話 その誘いが、理性を削る
朝イチの会議を終えて席に戻ると、モニターには先週末のホストクラブ視察の報告書の下書きが表示されたままだった。
形式通り、スタッフの対応や演出のポイント、接客フローを淡々と記録していく。
文面は整っているのに、どうにも集中力が続かない。
「よう、視察どうだった?」
振り向くと、吉田がコーヒーカップ片手に立っていた。
「……普通に店見てきただけ。資料、共有フォルダに入れてある」
視線はモニターに戻して淡々と答える。
吉田は隣に腰を下ろし、カップを置く音もそこそこに、こちらを覗き込んできた。
「へぇ。普通に見てきただけ、にしては……なんか、打つの遅くね?」
「気のせい」
「いやいやいや、いつももっと速いじゃん、柏木。なんかあったっしょ。ほら、言ってみ?」
軽口めいた口調の裏に、微妙な勘のよさを感じてしまうあたり、こいつのこういうとこが油断ならない。
「……何もないって」
「そういう言い方が一番怪しいんだよ」
にやにや笑うその横顔を、横目で一瞥してから、手を止めずにため息ひとつ。
「マジなんもねえし」
「ほんとか~? 気になるホストができた、とかじゃねえの?」
さすがに噴き出しそうになって、俺はようやく顔を上げた。
「……は?」
「なんか“引っかかった”って顔してんのよ。わかる人にはバレるやつ」
まじまじと見てくんな。
ため息まじりに顔を戻したが、蓮の姿がふと脳裏に蘇る。
あの余裕、あの距離感、そして――
「……ねえっつってんの」
「うっわ、絶対あるやつだそれ」
ちょっと黙れって言いたいのに、言い返す言葉が見つからなかった。
*
帰り道。
繁華街にほど近い駅前を歩いていると、人波の中でふと視界の端に引っかかるものがあった。
……あ。
反射的に足が止まった。
ガラス壁の前、街灯の明かりを背にして立つ男――
視線の鋭さ、立ち姿の静けさ、そして、あの少し目を伏せるような笑み。
蓮だった。
黒のシャツに、細身のパンツ。
シンプルな服装なのに、妙に目を引くのは、きっと佇まいのせいだ。
隣にいるのは、可愛らしいワンピースを着た女性。
話している様子は穏やかで、時折笑い合っている。
……ホストとしての仕事。
あたりまえのことに、変にざわついた自分に気づいて、苦笑する。
気づかれないように通り過ぎようとした、そのとき。
「……澄人くん?」
名前を呼ばれて、思わず立ち止まる。
振り返ると、蓮が小さく手を上げていた。
女性はタイミングよくタクシーに乗った後だったらしい。蓮がゆっくりと歩み寄ってきた。
「偶然だね」
その声は、前に会った夜と変わらず落ち着いていて、どこか柔らかい。
「仕事帰り?」
「……ああ。そっちは?」
「これから出勤。少しだけ、お客さんと食事してた」
あっさりした答えに、逆に誠実さを感じる。
嘘も盛りもしない。そのままのトーンで話すのが、蓮らしい。
「澄人くん、今日もスーツ似合ってるね。目、すぐ行ったよ」
さらりと褒めてくるその口調は、あくまで自然。
甘さもあるのに媚びてるわけじゃない。
不意に視線が合った。
明るい場所で見ると、やっぱり樹によく似てる……けど、なんか違う。
「それじゃあ、行くね。……気をつけて帰って。澄人くん」
蓮はそのまま踵を返し、夜の雑踏にまぎれていく。
……やっぱり、ただのホストじゃない。
思わず、歩き出せずに背中を見送ってしまった。
引っかかった、どころじゃないかもしれない。
*
帰宅してすぐにスマホが震えた。
【蓮】
さっきは偶然会えて、嬉しかった。
今度、よかったら“店外”で会えないかな?
お茶でも、食事でも。澄人くんの空いてる日で。
文面は丁寧で、柔らかい。
なのに、“店外”という言葉が、変に意識を刺してくる。
ただの誘い……じゃない。蓮なりの、距離の詰め方。軽く見せて、ちゃんと響かせる。
指が止まったまま、スマホを持つ手が宙に浮く。
……どうする。
次に進むか、引くか。
それとも、もう少しだけ、揺れてみるか――
考えれば考えるほど、蓮の笑みが頭に残って、
俺はまた、ため息をついた。
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