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第28話 甘さと嘘の境界線
side 瀬川 蓮(れん)
客がいないときの 店内 は、ただの箱。
でも灯りが入って、人が集まれば……ここは“夢を売る場所”になる。
ヘルプに軽く視線を送って、俺はいつもの足取りでソファー席へ向かう。
指名の客がすでに通されていて、俺の顔を見た瞬間、ぱっと花が咲いたみたいに笑った。
「蓮くん! 待ってたよ」
「俺もね……さっきまで、ずっときみの顔が浮かんでた」
口調も、表情も、仕草も、自然に切り替わる。
スーツの襟元に指をかけながら、いつもの“蓮”になる。
「研修、昨日までだったよね。疲れてない?」
「覚えててくれたの? うん、もうヘトヘト。でも、蓮くんに癒されたくて頑張ったの」
「じゃあ、頑張ったきみに、特別サービスしなきゃだね」
そう言いながらソファーの端に腰を下ろす。
距離はぎりぎり、触れそうで触れないところ。
こういう時は、肌ではなく、“空気”で誘うのがコツだ。
「蓮くん、今夜って……空いてる? アフターいい?」
「空いてなかったら、今すぐ空ける。……頑張ったきみのために、ね」
笑顔も言葉も、もはや呼吸と同じくらい自然に出てくる。
売れっ子なら期待には応えるべき――それが、この世界のルール。
「蓮さん、六番にご指名です」
「はい、行きます」
「蓮くん……行っちゃうの?」
「ちょっと待っててね」
ボーイに案内され、視界に入ってきた男に……一瞬、思わず足が止まった。
黒髪。端整な顔立ち。白い肌に、スーツの着こなしも抜群。
……間違いない、この前、姫との店外デート中にすれ違った男じゃん。
あの日は一瞬だったし、向こうは気づいてなかったみたいだけど。
しかもこうして見ると、……悪くないな。いや、かなり、いい。
こっちはバッチリ覚えてるけど、向こうからすれば初対面ってことになる。
タブレットで適当に選んだだけだろうに、まさかの指名。
「初めまして――“蓮”です」
男が顔を上げた瞬間、あからさまに動きが止まった。その目に、明らかな“動揺”が走ったのを見逃すはずがない。
見た目はクールなのに、目が正直。
いいね、こういうタイプ。顔もスタイルも俺好みだし、遊ぶにはちょうどいい。
「……蓮、って言った?」
「うん、蓮。レンって呼んで」
自然に身を乗り出してみる。距離が近づく。だけど、この人は引かない。
というより、戸惑いながらも視線はちゃんと俺を追ってる。
「どうしたの? 緊張してる?」
「……いや。ちょっと仕事の延長みたいなもんで」
「仕事?」
聞けば、視察らしい。会社の企画で“非日常感”をテーマにしてるとか。
「じゃあ……俺、しっかり“非日常”、感じさせないとね」
微笑みながら答えると、相手のまなざしが、また少し揺れた。
名前を訊くと、少し間があって答えが返ってきた。
「……澄人」
「澄人くん、か」
名前を口にしてみる。思った通り、響きがいい。
それだけで、妙に距離が縮まったような気さえした。
「今日はいい夜になるといいね。俺としては、出会えてちょっと嬉しい」
そのあとも、会話を重ねながら思った。
他のホストたちとは違って、俺はテンションを上げない。煽らない。
でも澄人くんは、それでもちゃんと反応してくれる。視線も、仕草も。
「……距離詰めんの、うまいんだな」
「んー……どうだろ。気になった人には、近づきたくなるの、当たり前じゃない?」
半分冗談で、半分本音。
でもその言葉に、澄人くんがまた少し動揺したのを俺は見た。
真面目そうで、でも案外、こういうのに弱いかもしれない。
「……澄人くんさ」
「……ん?」
「なんか、“壁”あるよね」
「……は?」
「ごめん、悪い意味じゃないよ。すごく“ちゃんとしてる”人だなって思っただけ」
普段の俺とは違うやり方でアプローチをしてみた。静かに距離を詰めながら、探る。
「でもその“ちゃんと”の裏に、なんか、ずっと気を張ってる感じがする。それがクセになってる人って、いるよね」
彼の“完璧さ”の裏にあるもの。
それをちょっとずつ暴いていくのは――正直、楽しい。
静かにスマホを取り出して、さりげなく仕掛ける。
「ねえ、澄人くん。連絡先、交換しとこうか」
「は?」
「今日は”視察の顔”だったでしょ。……次は、素の澄人くんに会ってみたいな」
「……考えとく」
「楽しみにしてる」
そう言って席を立つとき、もう一押しだけ加えておく。
「……澄人くん、“非日常”って、案外……身近なとこにあったりしてね」
背を向けながら、心の中で軽く笑った。
***
数日ぶりに、澄人くんを見かけたのは、駅前の交差点。
仕事終わりらしいスーツ姿で、少し疲れた顔をしてたけど、それでもすぐに目が行った。
相変わらず、目立つ人だ。
今日は姫と軽くご飯に行って、これから出勤。
澄人くんが視界に入った瞬間、空気の温度がほんの少しだけ変わった気がした。
なのに――彼は気づかないフリをして通り過ぎようとする。
……ああ、そういう感じか。
その背中を見送るのも癪で、名前を呼んだ。
「……澄人くん?」
振り返った顔は、やっぱり少し驚いてる。
今にも逃げそうな猫を追い詰める気分で、ゆっくり歩いて、澄人くんの前に立つ。
「偶然だね」
この間と変わらないトーンで言うと、彼は少しだけ肩の力を抜いたように見えた。
「仕事帰り?」
「……ああ。そっちは?」
「これから出勤。少しだけ、お客さんと食事してた」
変に取り繕って誤解されてもめんどくさいし、言い方はストレートにした。
ちゃんと“仕事です”ってわかるように。
澄人くんは、特に顔をしかめることもなく静かに頷いた。
警戒心はあるくせに、拒絶しない。むしろ、話してるとたまにスッと距離が縮まる瞬間がある。
本人は気づいてないんだろうけど。
「澄人くん、今日もスーツ似合ってるね。目、すぐ行ったよ」
そう言うと、一瞬目が合った。ちゃんと拾ってくれたみたいで、少しだけ頬の筋肉が緩んだように見えた。
……でも、この人は追いかけすぎると逃げる。
「じゃあ、行くね。……気をつけて帰って。澄人くん」
名前を呼んで、その場を離れた。
俺のこと、気になってるはず。
でも、まだ「気づきたくない」段階なんだろう。
*
店に着いて、着替えながらスマホを開く。
通知は、別に待ってたわけじゃないけど――
メッセージは来てなかった。
代わりに、こっちから送る。
【蓮】
さっきは偶然会えて、嬉しかった。
今度、よかったら“店外”で会えないかな?
お茶でも、食事でも。澄人くんの空いてる日で。
文面は、わざと丁寧に。
でも、「店外」って言葉ははずさない。そこは、ちょっとしたフック。
客としてではなく、都合がいい時に会えればそれで十分。
……これからじっくり遊ばせてもらうよ、澄人くん。
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