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第29話 夜の駆け引き、いい感じ

今日もいつも通り支度を終えたあと、店に向かうまでの小一時間。 アイスコーヒーを片手にスマホを眺めていた。 ぼんやり浮かんだのは、あのクールでぶっきらぼうな男――柏木 澄人。 気づけば、指が動いていた。 "明日の夜、空いてる? ご飯でもどうかと思って" 送ってから、わりとすぐに既読がつく。 そして返ってきたのは、たった一言。 "なんで俺?" 思わず笑ってしまう。じゃあ――こう返すか。 "明日休みでさ、俺が澄人くんとご飯行きたい気分だから" 返事は、来ない。画面を見つめたまま、口の端を上げる。 ……さて、どう出る。 しばらくして、ぽんと届いた通知。 "場所は?" お、来た来た。……ってことは、つまりOKってことだよな。 こういう、素直じゃないとこ。――正直、俺、めちゃくちゃ好きなんだよね。 "駅近くに、いい感じの店があるんだ。詳しい場所はまた送るよ。19時でどう?" "了解" 短くて素っ気ないくせに、ちゃんと話は通じる。 ま、俺としては、そっちの方が助かるんだけど。 スマホを伏せて、ゆっくり背もたれに沈んだ。 会えると思うと、ちょっと浮ついた気分になる。 自分でも意外だ。たかが飯に、ここまで気を回すなんて。 ……けど、たぶんこの人とは、適当に済ますのはつまらない。 どうなるかは、明日会ってからの話だけど。 それでも、なんとなく悪くない夜になりそうな気がしていた。 *** 翌日。 駅近くの路地を抜けたところにある、ちょっと洒落たレストラン。 今日は澄人くんとの食事デートだから、シンプルに黒シャツとジャケットでまとめてきた。 スマホをいじっていた手を止めて顔を上げると、向こうから歩いてくる人影。 スラッとした長身と綺麗な顔、落ち着いた雰囲気。 「あ、澄人くん」 「……悪い、ちょっと迷った」 「大丈夫。ほら、こっち」 自然な流れで手首をとって、予約していた店内へと歩き出す。 「ごめん。待たせたよな」 「別にいいよ。待ってたって感じもしなかったし」 「……そうか、ならいいけど」 店員に案内された後、お互い席に着いて、澄人くんをじっくり見てみる。 黒のカーディガンに白シャツ。ラフなのに、妙に絵になる。 「似合ってるね、その服」 「……これ?とりあえず無難そうなの着てきただけ」 「俺、似合ってなきゃ褒めないから」 「ホストの言う事なんか信用できねぇ」 なんて言いながら、照れたように視線を外した横顔を見ると、耳のあたりがほんのり赤く染まってる。 たぶん、本人は気づいてないんだろう。 注文した料理が運ばれてきて、会話が途切れる。その静けさの中で、澄人くんがふと口を開いた。 「……意外と落ち着くな」 「意外と、って……俺と一緒なのが?」 「そういう意味じゃねぇよ」 「でも、嫌じゃないんでしょ」 軽く笑って言うと、澄人くんはふいにナイフを置いた。テーブルの上で静かに手を組んで、ぽつりと呟く。 「……お前さ、そういうの、サラッと言えるの凄いよな」 「澄人くんが、ちゃんと反応してくれるからだよ」 そう返すと、彼は何も言わずに視線を落とした。 俺はフォークを滑らせながら、ちら、と澄人くんを見る。 さっきから少しだけ食べるスピードが落ちてるのは、気のせいじゃない。 「……味、平気?」 何気ないふうに聞いてみると、彼は少し間を置いてから、低くぼそっと答えた。 「……ん、美味いよ。ちゃんと、味わってる」 「そっか。緊張してるのかと思った」 「ふはっ、してねえし」 くすっと笑いながら返してきたその声が、いつもより少し柔らかくて……思わずドキッとした。   「かーわい……」 「なんだって?」 「いや、なんでもない」 フォークを口に運びながらこっそり見つめてやると、彼は少しだけ眉を寄せて、指先でそっと自分の唇を拭った。 その仕草が、なんだか妙に色っぽくて―― 「……それ、拭けてない。……じっとして」 俺が身を乗り出すと、彼の肩がぴくりと揺れる。 「ちょ、なにすん――」 そう言いながらも、まるで逃げる気配はない。 「動かないでって。ほら」 ナプキンでそっと唇の端を拭うと、澄人くんがほんの少しだけ、目を伏せた。 「ん、ありがと」 「……素直だね」 そう呟けば、澄人くんが小さくため息をつく。 「……ほんと、蓮はホスト向いてるよな」 「でも今日は営業じゃないよ?」 「お前さ、マジでそういうの……軽く言うなよな」 低く呟いたその声は、怒ってるというより、照れを必死で隠してるみたいだった。 「じゃあ、軽くじゃなく言おうか?」 「は?」 「……俺、澄人くんのそういうとこ、好きだよ」 ささやくようにそう言うと、澄人くんは一瞬こちらを見て、すぐに視線を逸らす。 素直になれないその態度が、やけに可愛く見えて、俺はもう一度、笑いそうになった。

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