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第39話 撫でたら喉を鳴らすのは……猫の方
丸くなったメイは目だけこちらに向けて、じっと観察している。俺がベッドに腰を下ろしたのと同時に、樹も当然のように隣に座った。
「……おまえ、図々しいな」
「え、俺ですか? 今日くらい甘えたってよくないです?」
そう言いながら、にこにこと笑って、距離を詰めてくる。
犬みたいなやつだと、時々思う。人懐こくて、素直で、感情が全部顔に出る。
「……まだ髪、濡れてんじゃねえのか?」
「さっき乾かしましたよー。ちゃんと」
風呂上がりの樹の髪に触れてみれば、確かにもう湿り気はない。でも、それを確認したところで、そいつはすぐ俺の肩に額を預けてきた。
「メイちゃん、見てますね」
「……知ってる」
「やっぱり怒ってるんですかね、俺が柏木さんとこんなに近くにいるの」
ちらりと視線を向ければ、メイは耳だけこちらに向けたまま、目を細めて動かない。怒っているというよりは――呆れてるような顔だ。
「猫って、意外と察するからな」
「うわ、怖いですね。それって、つまり……」
「……おまえが何考えてんのかも、バレてるかもな」
そう言うと、樹は「うっ」と短く詰まったあと、笑いをこらえるように口元を押さえた。
「そうだ、柏木さん。明日って、何か予定あります?」
「……夜、友達と会う約束してる」
「へぇ、珍しいですね。誰とですか?」
「大学ん時の同期。久しぶりに連絡きて、今東京に来てるって。明日だけ時間空いてるっつーから、飯でも行くかって話になった」
「……そっか。じゃあ明日は忙しいんですね」
微妙なトーンの返事に、何か言いたげな空気が混じってた。
……たぶん、一緒に出かけようとか、そういうのに誘いたかったんやろうな。
けど、俺の予定を優先して、黙って引っ込めた。こいつ、ほんま律儀やと思う。
「――それなら、今日は“そういう事”は無しにしますね」
「は?」
思わず聞き返すと、樹は軽く笑って肩をすくめた。
「だって、明日は友達と久しぶりに会うんですよね? ……俺なんかで、変な余韻残したら申し訳ないですし」
「……なんだよ、それ」
「たまには、そういう優しさもあるんです」
にやりと笑いながらそう言う樹に、思わずため息がこぼれる。
手を伸ばして、ベッドサイドの明かりをそっと落とす。
「……お前も疲れてるんやろ、早く寝ろ」
「じゃあ……おやすみのキスだけ、ください」
ゆっくりと身体を寄せてくる樹に、俺は息を呑んだ。
樹の手がそっと俺の頬に触れ、目を伏せたまま、俺の唇に口づけてくる。
ふれるだけのキスじゃない。
少しずつ深く、呼吸を奪うような、長いキス。
「……っ」
樹が、少し角度を変えて、もう一度ゆっくりキスしてくる。唇が重なる音が、やけに大きく聞こえた。
それだけ、部屋の中が静かだったのかもしれない。
「柏木さん……触っていいですか」
耳元に囁かれて、肩がぴくりと震えた。
樹の指先が、シャツのすそに触れる。だけど脱がせるでもなく、そのまま布越しになぞるだけ。くすぐったいような、もどかしいような……焦らされている気がした。
「……っ、」
「柏木さん……やらしい声、出そうになってません?」
「出してねぇよ」
「じゃあ、出るまで続けよっかな」
悪びれもしない目が、真っ直ぐにこちらを見ている。
反論しようとしても、言葉が引っかかって出てこない。体に触れているわけじゃないのに、熱がじわじわと上がっていくのがわかった。
「……なんやねん、おまえ……“今日はそういう事はしない"って、言ったよな」
「はい、言ってましたね。だからしません。でも……キスは、止められないです」
その言葉とともに、唇がまた重なり、今度はゆっくりと深く沈んでいった。
気づけば、背中がベッドに沈み、身動きがとれなくなっていた。
シャツの上から、指先がわざとらしく胸元をなぞる。
触れてるのは布の上からなのに、そこだけ火が灯ったみたいに熱くなる。
「……やっぱ、エロいな。柏木さん」
「バカ言うな……っ」
「バカじゃないです。本気で思ってますよ」
そう言って、またキスが落ちてきた。
深くない、けど重たい。ゆるやかなのに逃げ場がない。
――ようやく唇が離れ、しばらく静かな時間が続いた。
樹の息づかいが少しずつ落ち着いていき、重くなった瞼がゆっくり閉じられていく。
「……疲れたんやな」
囁くと、樹は小さくうなずいたように見えた。
俺の腕に身体を預けて、ゆるりと力が抜けていく。
「お疲れさま、樹」
樹が眠りにつくのを見届けて、俺の胸にはちょっとしたもどかしさが残った。
唇が触れ合っただけで、あんなに熱くなって、でもそこで止まる。
触れたいのに触れられない、近いのに届かない、そんな歯がゆさがじわじわと積もっていく。
「なんでだよ……」
あいつの挑発的な笑顔も、ちょっと意地悪な視線も、全部頭の中でぐるぐる回っている。
どうしてこんなに振り回されるんだろうって、自分でも呆れるくらいだ。
寝息が部屋に柔らかく響き、いつしか俺もその穏やかな空気に溶けていった。
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