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第41話 懐かしい顔と秘密のグッズ

樹を見送ったあと、部屋に静けさが戻ってきた。 軽く掃除をして、散らかっていた書類をまとめる。 いつもなら面倒で後回しにする家事も、今日はなぜか、手を動かしていた。 着替えを済ませながら、今夜の予定を思い出す。 「……あいつと飯、久しぶりやな」 ふと、大学時代のあいつの顔が浮かぶ。 バカみたいな話をして笑っていた、あの頃の記憶が、どこか懐かしく胸をくすぐった。 社会人になってからは、なんだかんだで疎遠になっていた。仕事ばかりで余裕もなく、連絡もだんだん途切れがちで。 変わったなって、思われるんだろうか。 何を話せばいいか、少し迷う。――けど。 ……楽しみなんよな。 なんやかんやで、会いたかったのかもしれない。 * 待ち合わせの居酒屋に少し早めに着くと、店内はあたたかい照明に包まれていて、ほどよい賑わいが心地よかった。 「澄人!」 聞き慣れた声が入り口から響いて、振り返ると、大学時代の友人が満面の笑みで手を振っていた。 「久しぶりやな」 「おお、久しぶり! 澄人、相変わらずイケメンやな。全然変わっとらんな!」 相変わらずのフランクなノリで肩を叩かれて、思わず笑ってしまう。 どこかで緊張していたのが、ふっと緩んでいくのがわかった。 「お前こそ、変わってへんやん」 そんな言葉を返しながら、胸の奥が少しずつほぐれていくのを感じていた。 「とりあえず、乾杯しよか」 グラスを掲げたあいつに笑って応えて、俺もグラスを合わせた。 どこかぎこちないけれど、あったかい空気がそこに流れていた。 「澄人、相変わらず仕事、忙しいんか?」 そう聞かれて、俺はグラスを置きながら苦笑した。 「まあな。忙しいっていうか……毎日なんとか生きてるって感じやわ」 つい、素直な言葉がこぼれる。 「そうか。でもな、澄人がそうやって頑張ってんの見ると、なんか安心するわ」 その言葉に、一瞬、胸が詰まった。 大学の頃とは違って、今は責任や現実がのしかかってくる。 笑えない日も増えた。でも――こいつの前だと、ちょっとだけ肩の力を抜ける気がする。 「それにしても、澄人が東京で頑張ってるって、やっぱすごいよな」 グラスを傾けながら、あいつがふいにそんなことを言ってきた。 「……なにが」 「いやいや、大阪出て、一人でやってくって簡単やないやん。俺には無理やわって思っとったし」 「……まあ、気づいたらなんとかなってただけ」 最初の数年は仕事と生活だけで精一杯で、孤独とか不安とか、飲み込む暇もなかった。 でも、いまさらそれを口に出すのも気恥ずかしくて、つい軽く返す。 「で、お前は? なんでこっち来てた?」 「あー、親戚の結婚式があってな。東京でやるって言うから呼ばれて。明日にはもう帰んねんけど」 「……で、今日だけぽっかり空いたんか」 「そうそう。東京着いて、ふと思い出したんや。“あ、澄人おるやん!”って」 言いながら、あいつは笑ってグラスを置いた。 「連絡してよかったわ。変に気ぃ使わんで済むし、気楽やしな」 「……ふはっ、おまえ、昔からそういうとこほんま変わんよな」 「変わらんままでおるヤツも、案外貴重やで?」 そう言って茶化すように笑う姿は、ほんとに大学の頃と変わらなかった。 「そういえば俺、最近転職したんやけどな」 「へえ、どこ?」 ビールを口に運びながら聞き返すと、あいつはやけに得意げな顔で言った。 「アダルトグッズのメーカーやねん」 「……え? マジで?」 思わず眉を上げた俺に、あいつは堂々と頷いた。 「マジマジ。企画とかプロモーションとか、結構いろいろやっとるわ」 あまりにも自然に話すもんだから、逆に俺のほうが気まずくなる。 「お前……あんなん扱えるタイプやったっけ」 「失礼やな。ちゃんと勉強してみたら面白いで? 真面目な商品多いし、ちゃんと向き合えば全然恥ずかしいもんちゃうぞ」 さらっと言われて、俺は妙に言葉に詰まった。 普通に“仕事”として語ってるのが、逆にまぶしい。 「……まあ、言ってることは正論やけどな」 そうこう話していたら、あいつが鞄の中をごそごそし始めた。 「でな、ちょうど今日サンプル持ってきたんよな」 「は?」 「これ新商品な? 真面目に作ったやつやし、良かったら彼女と試してみてや」 無地の小さな紙袋を差し出されて、俺は思わず少し身を引いた。 「……いや、いい!」 少し間があって自分でも語尾が強かったことに気づく。 「……彼女なんて、おらんし」 あいつは一瞬、目を丸くしたけど、すぐに肩をすくめて笑った。 「ほんまに? 意外やな。澄人みたいなやつが、彼女おらんとか信じられへんわ」 「いや……別におかしくはないやろ」 言いながら、グラスを口に運んだ。炭酸の刺激がやけに喉にしみる。 「じゃあ、そういう相手もおらんの?」 「おらんって」 ――“そういう相手”って何だ。 ぼんやりそう思った瞬間、不意に脳裏をよぎったのは、樹の真っ直ぐな目。 あの夜、ふとした瞬間に見せる余裕のない表情。 そして、蓮の、気まぐれみたいに見えて、本当は狙いすましたような手の動き。 どっちの時も、結局、俺は流されるばっかだった。 抗おうとしたはずなのに、主導権はいつの間にか奪われてて、気づけばあいつらのペースに巻き込まれてる。 ……思い出しただけで、変な汗がにじむ。 「なぁ、ほんまは誰かおるんちゃうん?」 冗談まじりの友人の声に、思わずむせそうになった。 「……おらんっつってるやろ」 自分でもわかるくらい、耳のあたりが熱くなっていて、 もう一杯、ビールを頼んで紛らわせようとした。 「おーおー、なんや照れてんなあ」 からかうような笑い声。うっとうしいと思いつつ、笑い返せる自分もいて、少しだけ救われた。 「てゆーか、俺に渡すなよ……」 「ええやん別に。感想くれる人、意外と少ないからな。澄人って、そういうの、真面目に言ってくれそうやん?」 「……いや、知らんけど……」 何にせよ、今の俺にはタイミング悪すぎるやろ。 ……なんて思いつつ、断りきれずに受け取ってしまう。 袋を鞄にしまう手元が、どこかぎこちなくなって、自分でも笑えてきた。 「それ……役立つ日が、案外すぐ来るかもな?」 ニヤッと笑うあいつに、ちょっとムッとしつつも―― この軽いノリと空気が、なんだか心地いい。 あいつは最後まで楽しそうに話していたけど、仕事への誇りがふとしたところから伝わってきて、少し見直した。 ……さて。 帰って、これをどこに隠そか……。

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