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第44話 好きな人には、優しくする
side 瀬川 蓮
仕事を終えて、いつものように軽く片付けをしてから澄人くんに送ったメッセージ。
ほんのひと言、「今日もおつかれ。無理すんなよ」――それだけのつもりだった。
返事が来たのは、少ししてから。
画面を開いた瞬間、思わず眉が上がる。
“体調が思わしくない。俺が寝てる間、メイの様子を見に来てやって欲しい”
……マジかよ。
あの澄人くんが、そんなこと言うなんて。
あの人、よっぽどじゃないと人を頼らない。ましてや俺なんかに。
だからこそ――心配と同時に、胸の奥がじんわりあったかくなる。
素直に頼ってくれた……ってことか。
いや、嬉しがってる場合じゃない。まずは看病だ。メイの世話もあるし。
幸いアフターは入れてないし、明日も休みだから、一日中澄人くんに付き合える。
タクシーで行く前に、まずはコンビニに寄る。
ポカリ、ゼリー、レトルトのおかゆ。
熱があるかもしれないから、冷却シートと栄養ドリンクも。とりあえず必要なものをかごに突っ込む。
今日はお菓子の手土産はいらないな。弱った体が受け付けそうなものを優先だ。
商品を選びながら、ふと頭をよぎる。
――この前の猫型焼き菓子、食べてくれたかな。
仕事前、どうしても顔が見たくて、10分だけ寄ったあの日。
差し入れのお菓子を渡して、キスして、すぐ帰った。
あれ、まだ家に残ってたりして……なんて。
そういえばこの前、出張から帰ってきた樹がやけに嬉しそうに言った。
「なあ、蓮。このお店知ってる? 猫型の焼き菓子、かわいいだろ。お前、こういうの好きそう」
……知ってるに決まってる。
店も、猫型がかわいいのも、全部わかってる。
樹がどこで手に入れたかは分からないけど、俺は澄人くんにあげたくて、並んで買った。
そんなこと思いながら会計を済ませて、コンビニ袋ぶら下げて外へ。
タクシー止めて、運転手に澄人くんの住所を告げる。
窓の外、夜の街が流れていく。
早く着いてくれ――そんな気持ちを押し隠すように、スマホを握り直した。
*
タクシーが停まり、料金を払って外に出る。
とにかく今は早く会いたい気持ちが勝っていた。
エントランスを抜け、インターホンを押す。
しばらくして、かすれた声が聞こえた。
「……蓮か?」
「うん、俺。開けて」
ガチャリ、とオートロックが外れる音。
ドアを開けた瞬間、室内の空気がふわっと流れてくる――少し熱っぽい匂いがした。
「……悪いな」
声は掠れていて、目元が少し緩んでる。
俺を見て安心したのか、それとも熱のせいか。
「ううん。頼ってくれて嬉しいよ」
額に手を当てると、指先がじんわり温もりを吸い取っていく。
熱は高め。たぶん、本人が思っているよりずっと悪い。
「病院、行った?」
「……行ってねぇよ。寝りゃ治る」
「それ、倒れるやつだろ」
軽く言っても、内心ではため息が止まらない。
この人はほんと、ギリギリまで人に頼らない。
俺が来なかったら、きっと明日の朝まで何も食べずに寝てるだろう。
「そのまま座ってて。全部俺がやるから」
足元にメイがそろそろと寄ってきて、しっぽを立てながら足首にすり寄る。
「お、久しぶり。いい子にしてた?」
「……お前にはすぐ懐くんやな」
澄人くんが苦笑するけど、その声もまた掠れている。
買ってきた袋をキッチンに置き、まずはポカリをコップに注いで持っていく。
差し出すと、ゆっくりと両手で受け取り、少しずつ口をつけた。
「……あー、ちょっと楽になった」
「まだまだ。ゼリーもあるし、おかゆも作れる。何か食べられそう?」
「……ちょっとだけなら」
その素直さが、逆に照れ隠しのように見える。
俺を頼ったことが、まだ気恥ずかしいのかもしれない。
キッチンで簡単なポタージュを作り、温かいうちに運んでベッド脇に腰を下ろす。
「食べられる?」
「……うん」
「無理しなくていい。でも、口に入れなきゃ薬も飲めないし」
スプーンを持たせようとしたが、手元がわずかに震えている。
俺はそのままスプーンを取って、差し出した。
「俺にだけは、ちゃんと甘えて」
「……だから、調子乗んなって」
「乗ってない。俺、こういう時のためにいる」
それは本音だった。信じてもらえなくても、からかわれても――呼ばれたら来るし、支える。
それくらいは、俺の勝手な役目だと思ってる。
「……だったら、黙って食わせろ」
「了解」
一口、二口と飲むたびに、少しずつ顔色が和らいでいく。
「えらい」って思わず出た言葉に、眉を寄せられたけど、それも悪くない。
「……蓮」
「ん?」
「お前って、優しいよな」
「好きな人にはね」
視線が合った瞬間、自然に出ていた。嘘をつく理由なんて、どこにもない。
俺はただ、この人を逃したくないだけだから。
「今日はもう、何もしないで寝て。メイは俺が見とく」
「……ありがとな、蓮」
「どういたしまして。……ほら、横になって」
澄人くんは少し落ち着いた顔で目を閉じる。
その横で俺は椅子に腰を下ろした。
――しばらくは、この静かな夜を、二人と一匹で過ごすつもりだった。
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