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第46話 ツンと甘さと君の温度

澄人くんの部屋を軽く片付けてから、寝室に戻ると、彼はちょうど体を起こそうとしていた。 「おいおい、まだ寝てなよ」 「……水飲みたかっただけ」 そう言って空のコップに手を伸ばそうとするけど、ふらついた拍子にベッドの端に手をつく。 反射的に支えた俺の腕の中で、澄人くんの体温がふわっと広がった。 「……熱いな、まだ」 「あんま顔近づけんなよ」 口調はいつも通りだけど、耳までほんのり赤くなっている。 たぶん、俺の手の位置とか、距離の近さを意識してるんだろうね。 「なんで? 嫌?」 「……別に嫌とは言ってねえ」 ほんの一瞬、澄人くんの視線が泳いだ。それだけで心臓が変な音を立てる。 「じゃあ、いいよね」 俺は意地悪く笑いながら、彼の額に自分の額を軽く当てた。 近づくと、弱った声で「……バカ」と呟かれる。 その声が甘すぎて、たぶん俺はしばらく忘れられない。 「水、持ってくるから待ってろ」 「……ありがと」 キッチンに行くと、メイが俺を見るなり、尻尾をゆっくり揺らして「にゃあ」と鳴く。 「お前、やっぱ俺の気持ち読んでんだろ?」 返事みたいにもう一度鳴く。 猫のくせに全部お見通しみたいな顔しやがって。 水を持って戻ると、澄人くんは毛布に包まって、少し眠たげにこちらを見ていた。 受け取ったコップを両手で持つ仕草が、妙に子どもみたいで――それがまた、俺をどうしようもなく惹きつける。 「……なんだよ」 「いや。そうやってると可愛いなと思って」 「……かわいくねえし。何言ってんだよ」 顔を赤くしてコップを置くその反応が、完全にツンデレだ。 わざとらしく咳払いをして、視線を逸らす。 「俺、そんな顔されたらもっと好きになるんだけど」 「……知らねえよ、勝手にしろ」 その言い方が、突き放してるくせに拒んでない。 きっと本人は気づいてない。無自覚に人を夢中にさせる天才だ。 毛布の端をそっと直すと、澄人くんが急に声をひそめて言った。 「……寒い」 少し震えているように見えて、俺はすぐに気づいた。 「もしかして熱、上がってきたんじゃない?」 心配そうに言いながら、そっと彼の額に手を当てる。やっぱり、熱が上がっている。 「よし、あたためてあげる」 そう言ってベッドに戻り、澄人くんをそっと抱きしめた。 「な、なにすんだよ……!」と、びくっとした彼の反応が可愛すぎる。 けど、次の瞬間、澄人くんは無意識に俺にぎゅっとしがみついてきた。 その瞬間、心臓がバクバクと音を立てるのが自分でもわかった。 「……あったけー……」 その呟きに、俺の胸の奥もじんわり温かくなる。 「なんか……蓮、ぬいぐるみみてぇ」 ふわっと漏れたその言葉に、思わず頬が緩む。 「ふうん……。まさか澄人くんって小さい頃、ぬいぐるみ抱いて寝てたとか? だとしたら、かわいいなあ」 からかうように言うと、「悪いかよ……」と、少し照れくさそうに返す澄人くん。 「え、マジで?」 「うっせえ……」 「じゃあ抱いてたのは、やっぱ猫のぬいぐるみ?」 「ちゃう……あらいぐま」 ……あらいぐま。 うわ、なんだよそれ、ますます可愛いじゃん。 首にそっと手を回すと、澄人くんは軽く身を寄せてきた。 体の温もりと息遣いが伝わってきて、俺の頭の中はぐちゃぐちゃになる。 そして何度も「好きだ」と繰り返してしまう。 でも―― ふと、あの会社名が頭をよぎる。 “ブルーム・プランニング”。 樹と同じ職場。樹が前に言っていた「気になる先輩」。 樹は、その先輩と一線は超えている。 ……先輩が澄人くんなら、樹と俺を重ねてたりして。 だから、俺の誘いを断れないのか? 胸の奥に小さな棘が刺さったみたいに、ズキリと痛む。 笑顔のまま、その痛みだけは奥に押し込めた。 「……なあ、澄人くん」 「ん?」 「今度、体調良くなったら……またデート、しよ」 不意打ちみたいに言ったら、澄人くんは一瞬ぽかんとした顔になった。 でも、すぐに口元を緩める。 「……ああ。今日の御礼もしなあかんしな。約束する」 その一言で、胸がじんわり温かくなる。 同時に、また別のざわつきも広がっていく。 もし、この約束を樹が知ったら、どんな顔するだろう――そんな想像が頭をかすめる。 「どした……?」 澄人くんは俺の方を見て、少し困ったように笑った。 その笑顔が、たまらなく愛おしい。 「あ、メイのお皿、洗ってくるね」 「……ん」 「ちょっと待ってて」 そう言って布団から出て、キッチンに行く前に無意識にしゃがみこんでしまった。 柄にもなく、胸の奥に込み上げてくる切なさに戸惑いながら肩を震わせている。 こんなの、初めてだ。 こんなに誰かのことを想って、こんなに胸が苦しくなるなんて。 メイがそっと暖かい体を寄せてきた。 小さく「にゃあ」と鳴きながら、まるで俺の気持ちを察したように静かに寄り添ってくれる。 その柔らかい重みと穏やかな鼓動に、胸のざわつきが少しだけ和らいだ。

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