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第47話 愛しさの余韻と、突きつけられる現実

夜中、ほとんど眠れなかった。 澄人くんの熱っぽい声や、ふと漏れた弱い息遣いが、何度も頭の中で再生される。 ベッドに行けば一緒に寝られる距離にいるはずなのに、俺はソファーに寝転がって天井を見つめ続けた。 ふと、隣にいるメイがそっと俺の腕に体をすり寄せてきた。「にゃあ」と小さく鳴くその声に、思わず俺は笑みをこぼす。 「お前、俺が心配なのか?」 メイはまるでわかっているかのように、じっと俺の顔を見上げてくる。 「……かわいいな、お前。ほんっと、飼い主そっくり」 小さく呟いたら、メイがまた尻尾をゆっくりと揺らした。 外がうっすら白み始めたころ、諦めて起き上がる。 澄人くんが食べやすい朝ごはんを作ろうと、キッチンで鍋を火にかけた。 生姜を刻んで、鶏ガラスープに米を入れる。コトコトと音を立てる鍋の中から、やさしい香りが広がっていく。 ふと寝室をのぞくと、澄人くんが毛布から片腕だけ出して寝返りを打っていた。 額にはまだ熱の余韻が残っているようで、頬がほんのり赤い。 ……寝顔まで可愛いってね。 そのまま手を伸ばしそうになって、慌てて鍋に戻る。できあがった中華粥をお盆に載せてベッドへ。 「おはよう、熱は?」 声をかけると、少し掠れた声で「おはよ……」と返ってくる。 「ほら、お粥あるよ。少し食べよう」 ベッドの上で毛布に包まったまま、スプーンを受け取る澄人くん。 湯気の向こうにとろっとした中華粥。 食べやすいように、ほんの少し塩を控えめにして、仕上げにごま油をひとたらし。 「あついから気をつけて」 「ん……」 半分寝ぼけた目で俺を見上げ、器を受け取る手が、思った以上にあたたかい。 ひと口、ふうっと息を吹きかけてから口に運ぶ。 「……うま」 その笑顔、ほんの数秒なのに、胸をぎゅっとつかまれたみたいになる。 「そっか。じゃあ俺の作戦成功だな」 「作戦?」 「澄人くんに“美味い”って言わせたら、今日は勝ち」 「はあ……」と呆れたように言いつつ、もう一口食べる。 スプーンを口に運ぶたびに、まるで俺の心臓を揺らすみたいだ。 器を持つ手がふらついた瞬間、俺は反射的に支えた。指が触れ合う。その短い一瞬がやけに長く感じる。 気づけば、俺はベッドに片膝を乗せていた。 毛布の上に手をついて、彼の顔へと自然に身を乗り出す。 「おい……」 スプーンを置いた澄人くんが、わずかに身を引く。 ゆっくりと顔を近づけ――触れる寸前、澄人くんのスマホの通知音が割って入った。 澄人くんがちらっと画面を見て、「やべ……」と小さく呟いた。 焦ったように毛布を整えながら、俺の方を一瞬見る。 「どしたの」 「……後輩から」 でも、その一瞬のためらいが俺には見えた。 ……たぶん、樹だろうな。 喉の奥に、小さな棘みたいな感覚が残る。 「なんかあった?」 「いや……俺のこと、心配してるらしい」 淡々とした声なのに、落ち着きがない。 俺は何でもないふりをして笑った。 「そっか。優しい人だね」 「あ、うん……いや、あのさ、」 澄人くんが何か言いたげだ。横顔を見ながら、胸の奥がまたざわつく。 それでも――今は、この距離を手放したくない。 「……全部食べられそう?」 俺が尋ねると、澄人くんは小さく頷き、またスプーンを口に運んだ。 熱のせいで動きがゆっくりなのに、その一つひとつが丁寧で、なぜか見入ってしまう。 ふいに、俺の方を見て言う。 「……あったかいよな」 「お粥が?」 「いや……蓮が」 そんなこと、さらっと言うなよ。 心臓が跳ね上がる音が自分でもわかる。 「……澄人くん、そういうの自覚して言ってる?」 「してねぇよ。思っただけ」 「もう一回言って」 「やだよ」 子どもみたいに口を尖らせるその顔が、またたまらない。 このまま押し倒してしまいたい衝動を必死で飲み込みながら、空になった器を受け取って立ち上がる。 「下げてくるから、ちょっと横になってな」 「……お前、なんでそんな優しいんだよ」 「好きだからに決まってんだろ」 不意打ちみたいに返すと、澄人くんが一瞬固まった。 顔が赤いけど、熱のせいなのか照れなのか、俺にはわからない。 そのとき、枕元で短くスマホの通知音が鳴った。 澄人くんは反射的に手を伸ばし、画面を一瞥して小さく息を呑む。 「……あと十五分くらいでこっち来る……」 俺はベッド脇に腰を下ろし、毛布の端をそっと持ち上げて彼の肩までかけ直す。 「じゃあ、起き上がらなくていい。俺が対応する」 「いや、でも――!」 「いいから。大丈夫だよ」 そう言って、まるで庇うように彼の肩を押し、ベッドに戻す。 「ほら、布団の中で大人しくしてて」 「……あのさ、蓮……!」 カーテンの隙間から差し込む朝の光が、澄人くんの髪に触れて柔らかく揺れていた。 「……どうしたんだよ」 「俺、お前に黙ってたことがある」 澄人くんは視線を少し落として、毛布の端を指でつまんだ。 その仕草が、熱のせいじゃない落ち着かなさを物語っている。 「……気になる奴がいて」 ――その一言で、頭の中が一瞬真っ白になった。 耳の奥で、自分の鼓動だけがやけに大きく響く。 何を言えばいいのか、何を考えればいいのか、全部そこで止まってしまう。 澄人くんは続けようとしたみたいだったけど、俺は動けなかった。 笑おうとした口元は固まり、返事を探す言葉は出てこない。 樹のこと……だよな。 ……気になる、って、どういう意味だよ。 ただの先輩後輩? それとも―― 気づけば、俺は視線を澄人くんから外していた。 けど、手はまだ、彼の肩から離せなかった。

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