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第55話 胸の奥の小さな波
side 瀬川 樹
蓮のことも気になる。
けど――正直それ以上に、あれから柏木さんがどうしてるのかの方が心配だった。
メッセージを送ったら、「大丈夫だ」って、あの人らしい簡潔な返事が返ってきた。
……いやいや、簡単に信じられるわけない。
本当は、直接会って確かめたい。
でもまた家に押しかけるわけにはいかない――そう思うと、送信画面に打ち込んだ言葉を何度も消してしまった。
きっと柏木さんは、俺なんかよりずっと大人で、強くて、自分のことは自分でどうにかできるんだろう。
それでも……あの夜、体調不良で苦しそうだった表情が頭から離れない。
しんどくても無理して笑ってるんじゃないか。また、ひとりで色々と抱え込んでるんじゃないか。
考えれば考えるほど、不安で胸がざわついた。
――だから週末が過ぎるのが、やけに長く感じられた。
週明け、会社で顔を合わせたとき。
「……柏木さん! おはようございます、大丈夫でしたか?」
少し緊張しながら声をかけると、柏木さんはいつものクールな表情で振り返る。
「……おう、心配かけたな」
「本当に大丈夫なんですか?」
「当たり前やろ。それより、この後会議やから、しっかり話についてこいよ」
その声に、わずかに弾む笑みが混ざる。
……やっぱり、この人は俺の心を掻き乱す。
会議室に入ると、資料を並べながら柏木さんが淡々と言った。
「今日はこのイベントの企画を詰めよう」
イベント企画の打ち合わせが進む中、猫の着ぐるみ案が出た時のこと。
「……可愛いやろな」
柏木さんがぽつりと呟いた。その声が妙に柔らかくて、不覚にも胸が跳ねる。
思わず、誰にも聞こえないくらい小さな声で漏らしてしまった。
「可愛いのは……柏木さんの方ですよ」
「は?」
ちらりと振り返った柏木さんの顔は、ほんの少し赤く見えた。けれど、すぐに目を逸らして言う。
「……バカ言うな」
そのぶっきらぼうな反応すら、俺にとってはご褒美みたいなものだった。
「そういえば、メイちゃんは元気ですか?」
「……ああ。元気にしてる」
短い返事だったけど、さっきまでより少し距離を感じた。
ふと横顔を見てしまう。クールな表情のまま資料に目を落とす柏木さん。
視線がぶつかれば、わずかに顎を引いて「何や」と言わんばかりの目を向けてくる。
……そのたびに、俺の心臓は勝手に暴走した。
先輩後輩として自然に話せるはずなのに、どうしてこんなに意識してしまうんだろう。
会議の後、迷った末に思い切って口を開いた。
「あの、今晩、一緒に食事でもいかがですか?」
一拍の沈黙が流れる。
「……悪い、また今度な」
淡々としたその言い方に、胸の奥が冷たくなった。
――断られた。
笑ってごまかす余裕もない。
そして同時に――俺から距離を取ろうとしているようにも見える。その態度が何より苦しかった。
そのまま仕事を終えて家に帰る。
頭の中で「また今度」という言葉がぐるぐる回った。いつか来る「今度」なのか、二度と来ない「今度」なのか。
悶々としながら玄関を開けると、リビングのソファーに蓮が寝転がってスマホをいじっていた。
視線だけこちらに向けて、にやりと笑う。
「……おかえり」
その笑みを見た瞬間、柏木さんとの距離を誤魔化すように張り詰めていた気持ちが一気に揺らいだ。
「……ただいま」
声が小さくなるのを自分でも感じた。
蓮は画面から目を離さず、からかうように言う。
「“気になる人”と最近どう?」
「……余計なお世話」
「ふうん、振られたとか?」
「……っ、違うし」
「“何かあった”って顔に書いてあるよ」
そう言って、ようやくこちらを見てきた蓮の目は、妙に鋭かった。
胸の奥を見透かされたみたいで、言葉が詰まる。
――明日こそは絶対に、柏木さんと二人きりで話したい。
強くそう決意するしかなかった。
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