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障子のうち
濡れ縁を進むたび、蒼色 が傍らを離れずに追いかけてくる。
咽せを仕向けないほどの旺盛な生命力が散布され、そこに広い日本家屋の木材の薫りが調和し、澄んだ吸気に濾過され鼻から肺に取り込まれていく。
透の父が大学で人文学系の教鞭を執っているのは知っているが、病死した母も土地の名士の家柄であったらしく、この週末は母方の親族の諸用で関東と中部の県境にある別宅 に滞在するからと、自分も招きに与った訳だが、
まさに俗世から浮き出たような。日頃世間やひとと密接に関係し、汗にまみれて体を動かしている身としては、思わぬ心身の保養に連れてきて貰えたなと、
日頃明かされない透の家系的背景を改めて実感、感心したようで、
透の顔を見てじっくり話したい、が勿論念頭にあったが、当の本人は眼下に黒い絹のような後頭を揺らめかせ、ひたすら己れの手を引いている。
これからの成り行きは彼に任せて、彼の周辺環境に目を遣るゆとりを朔は選んだ。
鉤形の角を幾つか過ぎ、奥まった一間が控えていると思しき障子を透が開ける。
来客用、というよりは着替えなどの小用に使う控えといったような、玄関のようにモダン調の改装が施されている訳でも、取り立てた家具も配置されていない比較的簡素な六畳ほどの小部屋だった。
障子のうちに招じられ、閉ざされた室内を見渡すうち、透が振り返る。
「良い、ところだね……」
環境も、屋敷も。招かれた礼を改めて告げようと透の顔を覗こうとすると、
その句も継がせない、聞く耳も持たないといった気色で、
透は朔の二の腕を掴み、再会の挨拶も不発のまま、逆光で遮られた朔の全身をつぶさにせんと言わんばかりに、陽の光のもとにその長身を傾がせた。
「…………似合うね。和装も」
渋みの効いた紺地が添う肉体を眺めおえ、満足したように、うっとり呟く。俺が選んだんだ。ぽつりと零れる一言。
色柄のことかと、寛げるから、着いたら着替えるようにと勧められたそのままに袖を通した訳で、その心遣いも思い出し、
「有難う。サイズもばっちり。どう? ちゃんと着られてる?」
右前にしてるだろ? とおどけて両袖を広げてみせたら、
その右前の、衿がぐいと引かれて、通常よりやにわに胸のはだが曝けだされて、
え、という声が漏れる隙間もなく、切実な透の呼気が、熱い湿り気を帯びてその胸に塗り広げられてきた。
「ああ……、」
唇と吐息は熱いのに、なだらかな円みを帯びた、横長に広がる台形状の筋肉の彫りを辿る指は、懐古する切なさをあらわすように、どこか震えていた。
「朔さんの体だ……。 朔さんの、匂いだ……」
すん、と小動物のような鼻先が胸の溝の奥へと潜り込む。
「二十日もあえなかったんだよ……? ……狂いそうだった」
レポートで、ごまかしてたけど。
卒論を見据えた課題 の提出、中間テスト。そして朔は、晩夏に開催される消防士の技術大会に向けた訓練がやがて本格化するため、ふたりの余暇はまたかちあわなくなる。その、束の間の狭間の重なり。
そうだったな……と、透の渇望がようやく呑み込めた気がして、胸に蹲る手の甲に触れようとしたら、
その手がずれて、さらに衿を暴き、と同時に反対の手の、単衣を纏める腰帯の結び目を掴み、引きずり上げられる感触が朔を貫いた。
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