4 / 7

ほころぶ *

 汲んだつもりで、まるで不充分であったらしいことを、保身のように巻いた胴の白茶の帯が解け、 途端にはだけた、浴衣のうちに空気やら透の情念やらが一気に押し寄せる心許なさから、朔はたじろいで実感した。 「おい、透……!?」  慌てて首を屈めるも、透はむき出しになった胸板に数回唇を押しつけ、繊細に彫り分けられた石細工のような腹筋、そこに包まれた臍まで伝い降りていき、 下穿きが引っ張られて、普段触れられることの少ない外気に皮膚と体毛がひくと震えたのも束の間、 「……っ!」  たちまちに温かな、池のなかに取り込まれる感触に包み込まれてしまって、 反応するまでもなく、そんなことをしているのにじいっと、黒い繁り越しに、透が平素の奥二重の上目遣いで見上げてくるものだから、 「……こらっ、待て! 透、待て!」  押し寄せる透を防ぎきれずに後退していて、小さな円窓のある壁際まで追い詰められていき、どたと倒れ込んだ。  薄紙から差す陽の光に、きっと(ほこり)だろうが、夢のように雲母(きらら)がちらちらと舞っていて、 その粒子のなか、白い細面の、面相筆ですっと()いたような、不浄とは一見無縁の清廉な貌が口端から漏れたらしい唾液をつっと拭って、何でもないような無表情で見下ろしている。  年齢も体格も、一回り以上若いそんな存在に馬乗りにされて、開かれた単衣に肩口から腿まであらわであるばかりか、下穿きまでずり下げられた状態に、 それでもそっと紺のアンダーアーマーを引き上げた朔から漏れるのは、苦笑しかなかった。 「…………もう」 「……」 「折角用意してくれたの、着たのに……」 「……どうせすぐ脱ぐんだから、良いじゃん」 「透は? 透の浴衣姿は、もっと見せてくれないのかよ……」  見上げた黒髪が溶けるような薄鈍の織地に、たゆとう青磁と淡藤の鯉が遊泳していて、 若衆の雛人形が浮き出たように綺麗だと、来た時から、ひそかにこころ攫われてたのに……と袖越しにその細腕の皮膚を撫でる。 「じゃあ、俺は着たまんまで」  呆気なく言い、それでも透は、ふっと綻んだ唇とともに、ほんの少し淡灰の布と白の肌の境い目である衿元を寛げて、 そこから、彼から立ち昇る燐光のようなものを朔は見た気がした。  障子を隔ててもなお透かされる緑蔭(みどり)の気配。家屋を浮遊する陽と埃のまろやかな沈殿。清潔な糊の効いた麻地。そこに虫除けなのか、鎮静をもたらす香も畳の編み目伝いにじり寄っていて、 それらの混在する臭気のなかで、透が放つ、自分だけに放たれる、 一目では大人しやかな黒漆の瞳。乳白の肌。頸筋に浮かぶその黒子からでさえも匂いたつ、 自分への焦がれ。執着。代えをきかせない情愛、苦しさと捻り合いそれでも滲み出る愛おしさの、 蜜のような絡めとりが、朔には、何よりも異種だった。  ほろ、と声のない音をたてて、香木がその薫りの源泉を無数の粒子とともに、身をひらかせて溢れさせたような。  それに、自身を縛る理性、社会と繋がるため構築してきたかも知れない誠実が、やさしく剥奪されていくのを、 甘い諦めの楔として、朔は受け止めていた。  束の間、彼におちていた。  それを知らない(わか)い、蜜のような楔の指が頬を辿り、自分だけへの甘えと膨れ面も連れて、ぽふと首筋に落ちてきた。 「残念だよ。……いつも狂ってるのは、俺ばっかりみたいで」 「そうでもないよ」  陥落を証すため、猫のように伸びているその雛の肢体を、朔はいじけごと雄々しく掬い上げた。 「キスもまださせてくれないのに、あんまりだからだ」  雄の起爆が点火され、そこに移行されたのをその眼で知り、透の頬と奥二重にあざやかな煌めきが走る。  楓ちゃんが、起きるよ。  大丈夫。消防士さんが、巧く寝かしつけてくれたから。  最早答えを求めない最終確認を交わし、まだ余裕と生意気がない交ぜなその唇も、舌も、ついに掬いとると、 「ふ、あ」歓喜の濡れ息が透の唇から零れ、その腰骨は甘い痺れの予感にひそかに震える。それを大きな手のひらが優しく宥めた。  目の前の愛おしい、懐かしく熱い舌のざらつきにとろけ、縋りついてもなお崩れない雄々しい幹にしがみつき、世界のしあわせな反転におとされながら、 透の唇は、この瞬間(とき)心底ほころんだ。

ともだちにシェアしよう!