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地の声に耳を

 黒い斑ら模様の乳牛をともなう牽牛の目は、傍らのおおらかな生きもの同様、誰へもに等しく注ぐ、いつも温和な眼差しで満たされていた。 「お産が近く気が立っていて、天の川に映る銀河を見せに来たんだ」  はじめの頃から牽牛は、翠流の涙や失意の理由を無闇に明かそうとはしなかった。  彼も、母なる大地に足を着け、ひたむきに息づく生命(いのち)とともに、日々生きていく厳しさをその身に沁みて知っていたから。  自分の道は、自分で拓いていくことでしか叶わない。  雌牛は緩やかに横臥し、零れ落ちんばかりの星彩の囁きに安堵したのか、やがて静かに瞑目した。  翠流は、許しを得て彼女の隣に並び、まだ見ぬ命の眠る腹にそっと手を添え、天人の務めである祈りを、こころをこめて捧げた。  どうか、良い仔がうまれますように。  天人でありながら、躊躇いもなく家畜に、自分の家族に手を触れてくれる翠流の横顔をしばし見つめ、牽牛は天空の大河を仰いだ。 「私たち地上の民にとって、天界の輝きはまさに奇跡の賜わりものなんだ。祝福や祈り、万物の尊びの結晶が、あの宙の深淵にある。 ……もし天と近すぎてその声が聞こえないのなら、どれだけ私たちが天上に焦がれているのか、そちらの声にも耳を傾けてみたらどうかな」  地の声を、聞く?  天人であるなら、掬いとりもしなかった想いだ。……でも。  翠流は腰を下ろしていた叢の繁りをかき分け、底に拡がる大地へ、その仄白い頬ごと埋ずめようとした。 「翠流……、しまった、天人が土に顔を触れるなど……! 星翁様にお前がお叱りを受けてしまう……っ」 「…………いいの。……大丈夫」  天からの恩恵を授かり、温い湿り気と、種々の埃の匂いにまみれていたが、そこには、宿命のように帰結の、無数のいのちの気配がはらんでいた。  土に掌と頰をつけ、瞳を閉じる翠流の耳許で、青々しさを撒布する草陰から現れ、鈴鳴虫が弧の字形に跳ねた。 ……温かい。  ずっと。  ずっと、こうしてみたかったの……。  天にかざしたこの掌に、想いをこめて。  そして授けられた瞬きを胸に抱きこみ、 地に還すように、指先までをしならす。    天からの恵み、祝福を余すことこなく地上に(そそ)ぐ。  その民の、そのいのちの、幸福と希みの(きわ)までの充足を深く、 深く、願いながら……。

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