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いばらの虜囚 34
そのこともあり、直江は大神から任された数々のプロジェクトの中で特にこれに力を入れていた。
「店を出てすぐに天野社長から、今回の契約は白紙にして欲しいとの連絡も入っています」
大神が会社を離れる直前まで事細かに調節して用意させていたプロジェクトだ。
特別な何かが起こらない限り、相手がこんなに唐突に裏切るような真似をするがずがなかった。ましてや相手は大神の会社で、天野建設からしてみれば今度のことを考えても、絶対に手は組んでおきたい相手だったはず。
だから直江はこれ以上事態が悪化する前に と大神に連絡を入れざるを得なかった。
「背後関係は?」
「天野は、元は地方の一本独鈷で大きな組との絡みも確認できません」
まったくないわけではないですが……と言葉が続くが歯切れが悪く、他のヤクザが絡んで利害がややこしくなった状態ではなさそうだ、と暗に言葉に込める。
大神はゆっくりと息を吸い込んで肺を膨らませた後、携帯電話を少し遠のけてため息を吐いた。
「天野が受けた電話の相手を確認しろ。情報のことなら黒犬に手伝わせるといい」
直江は大神が告げた情報担当者のことを考え、先ほどの大神とは違い、ひっそりと心の中でため息をつく。
「俺は心当たりをあたってみる」
「はい?」
てっきり自分と黒犬にすべてを任せてしまうのだと思っていただけに、直江は大きな声をあげてしまった。
「話は?」
「以上です」
です を言い終わるか終わらないかのタイミングで通話は切られ、直江はその行動から大神の焦りを垣間見た気がした。
大きな体は一歩も大きいせいかどすりと鈍い足音も同じように大きくて、傍を通りかかったものを自然と威圧した。
けれどそんなことには脇目も振らず、大神は真っ直ぐに悟の部屋へと向かっていく。
呼ばれない限り訪れることの許されない部屋の前に立ち、引き戸に手を伸ばそうとした瞬間、「あ 」と小さな声が漏れ聞こえてくる。
それは、大神が聞き馴染んだものよりも掠れて低く、途切れ途切れだった。
「親父。失礼します」
躊躇は一瞬で霧散した。
大神は微かな返事を聞き取ると膝をついてサッと引き戸を開き、頭を下げる。
部屋の中は真っ暗で、開けられた戸から入る一条の光だけが光源だった。
「お話があります」
「話?」
はは と笑う声に大神は無反応のままで、顔を上げることもしなかった。
けれど、視線の先にはやっと爪が剥がれ落ちた爪先が、ヒクヒクと小刻みに踊っている。
「無粋なやつだな。人がせっかくセキに天国を見せてやっているのに。ほら、気持ちよさそうだろう?」
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