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落ち穂拾い的な 大神の言葉 6

 もしこれが自分の自意識過剰な反応だったら恥ずかしいとは思いつつ、セキはどうしても目の前の存在に近づいて欲しくなかった。 「ああ、そのようだ。ミスター大神が随分と念入りにマーキングをしているようだ」  肉厚の唇が笑みを作る。  魅力的な笑顔なのだろうとセキは思う。けれどそれだけで、大神が唇の端を歪めた瞬間を見た時のような心踊る感覚はない。  王の笑みだとしても、セキには無意味だった。 「  ふ」  漏れた笑い声はおかしくてたまらず吹き出したようだ。 「自分の愛人を私に贈るとは、ミスター大神の肝も太いものだな」 「…………なに?」  再び一歩進まれて、セキは怯えたように下がり、その足はとうとうバルコニーの床を踏んだ。  涼しいと思っていた風が髪をかき混ぜるとどうしようもない怖気が足元から這い上がって……  セキは飛行機の中でのクイスマの言葉を思い出し、それでもそれを否定するために首を振った。   「私は多くのものを持っている」  広げられた腕は大きく、世界を包み込めそうな雰囲気を漂わせている。 「ミスター大神は、その中のどれが欲しくて君を引き換えにしたと思う?」  ぶる とセキの肩が震えたのを見て、アルノリトはわずかに手をあげた。  そうすると今まで誰もいなかったはずの部屋の隅からクイスマがするりと現れ、肌触りの良いショールをセキの肩へとそっと被せる。  砂漠の国で、ふわふわとしたショールの温もりを感じながら、セキはまっすぐに顔を上げた。 「大神さんはオメガで商売をする人じゃないです。欲しいものがあるとしたら、泥だらけでも、傷だらけになっても、自分の力で掴み取る人です」 「目の前に材料と手段があるのに?」 「そんな楽をする人じゃないです」 「楽は堕落か? 困難は美徳か?」 「いいえ、大神さんを信じているだけです」 「はは、随分と信頼しているな」  セキはクイスマがかけてくれたショールをギュッと胸の前で握りしめた。 「愛してますから」  はっきりと告げられた言葉にアルノリトは一瞬面食らったように目を見開き、小さく皮肉のような笑みを作る。 「なるほど、ではミスター大神のマーキングが消えるまでは我慢しよう」  ゆっくりと細められた赤い瞳は肉食の獣のようだ。  ひたりとセキを見据えて獲物だと認識しているそれは、逃れられない檻に突き落とされたのだと証明しているようだった。  画面の中にいる小さな生き物にセキはホッと溜め息を漏らす。  立体的に見えるその画像の中で、小さな手がわずかに動いたりする様子は生命の神秘を覗き見ている気分だった。

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