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君に捧げる千の花束 17

 呼び止める声にも返事をせず、喜蝶は手を振り払って立ち上がる。 「喜蝶くん! 待って!」  呼び止める声を積み重ねられても、喜蝶は振り返らなかった。薫の母親は慌てて支払いを済ませると、人混みに紛れようとする喜蝶に駆け寄って腕を引く。 「お願い! 待って!」 「おばさん、話は終わったよ?」  これが他の人間ならば喜蝶は乱暴に振り払うこともできたが、相手は薫の母親であり、幼い頃から放置されていた自分を何くれと気にかけてくれていた相手で……  冷酷に振り払いきれず、だからと言ってこれ以上薫のことで話し合うこともないため、喜蝶は困り果てて眉尻を落とす。 「これ以上話すのは……」 「違うのっ…………っ、これ、これを  」  手の中に押し込まれたのは小さな四角い紙片……名刺だった。  目を落として見ると、どこかで見たような名前が印刷されており、不思議に思って首を傾げる。 「以前、六華くんが怪我をさせた時に謝りに来た人、わかる?」  そこまで説明されて喜蝶は随分以前の記憶を掘り起こす。  高校時代、薫とよくいた六華に背負い投げされて怪我を負った時、親の名代として謝罪に訪れた人物だった。  ノリの効いたハンカチのような隙のない雰囲気の男だったと、喜蝶は掘り起こした記憶の中の姿の感想を思い出す。 「その人がね、喜蝶くんをスカウトしたいって」 「…………」  AVか何かに? と言いそうになって口を注ぐんだ。  その言葉を向けるには、相手はあまりにも真剣だったから…… 「怪しいって、おばさんも調べたんだけど、普通に芸能事務所だったから  っ」  グッと言葉を詰まらせ、薫の母親は頭を下げる。 「何をどう言っても一緒に来てはくれないでしょう?」 「…………うん」 「もしかしたら、この人なら喜蝶くんを雇ってくれるかもしれないって……思って…………」  言葉はゆっくりと萎んでいく。 「………………ごめんね、こんなことしかできなくて  」  無実の罪を被せたまま、差し出すことができたのは曖昧な就職への斡旋だということに、今にも崩れそうな体で謝罪を繰り返した。 「……ありがと。おばさん、これで十分だよ」  小さく唇の端に登った笑顔は少年の頃のままだ。  年相応とは言い難い、少し大人びたような笑顔だったけれど、今となっては逆にあどけなさを感じさせる表情だった。  再び振り解かれた手を、薫の母親は追いかけなかった。けれどその瞳には、今までのような揺らぎは見られず、代わりに確固たる意思が宿っている。 「喜蝶くん、無理はしないでね」  少し眉尻を下げて自分を見上げる姿に薫の気配を感じながら、喜蝶は微かな笑みを口の端に乗せて踵を返した。

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