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君に捧げる千の花束 28
自分自身はともかく、薫はこういった普通の生活を送れるはずだった……と、喜蝶はマッチの火の中の光景のように眺め続ける。
須玖里に対して嫉妬はするだろうが、それでも薫は笑えていたはずだ。
薫は、笑えてた。
胸中で繰り返した苦い思いをすり潰しながら、バイトを終わらせて歩き出した後藤の後をそっとついていく。
人通りがあるうちは後をつけるのも容易だったが、家に近づくにつれて閑静な場所にあるせいで人通りがなくなってしまう。
不用意に距離を縮めることもできず、喜蝶は影に潜みながら後ろを振り返る。
ここよりは、少し手前の街灯のない場所の方が良かったかもしれない……と思っていると、サッと傍を誰かが通り抜けていく。
ただの通行人かと思いきや、その青年は後藤に抱きついて親しく話し始めた。
絡められた腕を眺めて……喜蝶はこの二人の関係が恋人か、もしくはそれに準じるものだとあたりをつける。
二人は何事か言い合いながら、和気藹々とアパートへと入っていった。
男だからと油断はあるのだろうが、後藤の部屋は一階だ。
「……裏から回れるか?」
部屋に電気はつけられておらずアパートは静まり返っていたが、安普請のおかげか中の声はわずかに外に漏れ出している。
人の情事を盗み聞く趣味はなかったけれど、藁にもすがる思いだった喜蝶は窓の下にうずくまり、できるだけ周りから目立たないようにと気配を消す。
ギシギシと響く音。
はずむ息とそれと共に漏れる喘ぎ声。
甘ったるい睦事。
閨事は漏れ聞こえてくる方がよりすけべったらしく聞こえるのはどうしてだろうと、喜蝶は他に気を遣る場所もないせいでぼんやりと考える。
「あっ あはっあ! ちょっと……、ま 噛ん !」
きゃあきゃあと甘い言葉で喋っていたのに、突然恋人の方が声を上げた。
――――噛んだ?
「だ て、昔、ベータ て言い ってる奴のく 」
――――βと言い張っている奴の首を、噛んだ?
今までの凪いだ心が一瞬にして嵐に変わる。
後藤は、以前にβだと言い張るΩを無理やり犯して噛んだ、その時の興奮がいまだに忘れられず、つい関係のないバース性相手でも噛み付いてしまう時があるのだ と。
「えー? で? そ 子は?」
「 れが、 型つい ゃって」
焼けた火箸でも握り込んだかのようにざわりと身体中が総毛立った。
後藤が誰のことを行って、何の犯行のことを語っているのかははっきりしている。
もしこれが薫のことでないとしても、こういった男は必ず犯罪を繰り返す。
「まぁ、俺たちはドロンでおしまいだけどな」
あはははは! という笑い声と共に聞こえてきた最後の言葉はやけに大きく聞こえた。
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