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君に捧げる千の花束 56

 傷の上にさらに傷を……その自傷する姿は何かに傷つきくたびれ果てているように見えた。 「でも、君なら抵抗できるだろう?」 「…………なんの話を……」  この世の中で、番しか見ていなかった両親のことを思い出して、喜蝶は完璧な番の輪からこぼれ落ちた子供の惨めさを思い出して狼狽える。 「ご両親は、運命で結ばれたそうですね」 「…………あんなもんは、自分とどれだけ遺伝子が遠いかってだけの話だから  」  バース性の研究ではそう言われている。  運命の番と言う、一目会った瞬間にわかり、お互いを惹きつけ合う存在は遺伝子の補完機能からなされたものだ と。  そう定義されてはいても、実際に運命で結ばれた番を見ていると、それだけじゃないのだと、頭ではなく心で理解するようになる。  離れようとしても離れられず、嫌いと思っても恋焦がれて仕方がない。  繁殖のためと割り切るにはあまりにも心を支配するそのシステムが……それだけではないことを………… 「普通のアルファはあの子の前で身を縮めておくしかできない」 「オレだって、隙を見て逃げようとしたさ」 「逃げなかったでしょう?」 「…………」  けれど、あの男の前から消えようとしたのは事実だった。  あれほどのフェロモンを放つαにレイプされて、薫がどれほどの恐怖を感じたのか理解してもなお…… 「僕は、正臣を捕らえたいんです」 「……はは、じゃあ警察の出番だ」 「   ……」  そんなことできないことは百も承知だった。  製薬会社だけでなく、関連する会社は多岐にわたるクロノベルグループのCEOの弟が連続強姦魔だった、なんてスクープを漏らせるはずがないのは、喜蝶でも理解できることだ。 「あの子がこれ以上罪を重ねるのなら、いくら優性の強いアルファだとしても時宝に損害しか与えないでしょう。取り返しのつかないことをする前に    っ」  どん! と喜蝶が壁を殴りつける音が響く。 「取り返しのつかないことを、奴はもうしている」 「  っ、」 「そんな綺麗事は、何か起こる前にしておくべきだった」 「そ れは……当然のことです、アゲハさんの怒りはよくわかるし……」  奏朝はますます手首を掴む手の力を強めたらしい。  突き刺さった爪が血管を傷つけて赤い血が滴り始める。 「  あっ、すみません。お見苦しいものを見せてしまいました」  そう言うと、奏朝は慌ててハンカチを取り出して手首に巻き付けようとする。  けれど片手ではうまくいかないのか、ハンカチはクルクルと回って傷口の上を滑るばかりだった。 「貸して」  見かねたわけではなかったけれど、話を進めるためには手を貸すしかなかった。

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