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君に捧げる千の花束 76
正臣の動きが止まった。喜蝶はその一瞬の硬直を見逃さず、息を切らしながら言葉を叩きつける。
「……黙りやがったな。選ばれたアルファ様でも、強姦の罪状は重いんだろ?」
喜蝶は痺れる腕を庇いながら、這いずるようにして距離を取ろうとする。正臣の背負う「優性」という看板が大きければ大きいほど、その裏に隠された醜聞は致命傷になるはずだ。
「あぁ?」
正臣は面倒そうにガリガリと頭を掻くと、スイッチが切り替わったかのように金属バットを振り回した。
ボストンバッグをかすめたそれは力強く、喜蝶の腕から盾を弾き飛ばす。
「はぁ? ははは……」
ゆっくりと顔を上げた正臣の瞳に宿っていたのは、焦りではなく、底冷えするような嘲笑だった。
突然、夜の闇を切り裂くような乾いた笑い声が上がる。正臣は腹を抱えるようにして笑い転げ、やがて涙を拭うような仕草で喜蝶を見下ろした。
「……で、それがどうした?」
「……何?」
「証拠は? 被害届は? ……ねぇんだろ? そんなもん。あのオメガどもが、自分から『無理やり犯されました』なんて公表できるわけねぇだろ。一生、俺たちの影に怯えて、壊れた玩具みたいに震えて過ごしてんだよ」
せせら笑うように言うと、正臣はゆっくりと金属バットを振りかぶる。
「バラしたところで、世間が信じるのは『大企業の血族で将来有望な優性アルファ』の俺と、お前みたいな『三流』、どっちの言葉だと思う? ……あぁ、そうだ。お前がそんなに正義漢ぶるなら、ちょうどいい」
正臣の威嚇フェロモンが、さらに密度を増して喜蝶を圧迫する。
「お前もその仲間入りをさせてやるよ。指を一本ずつ叩き折って、二度と奏朝に触れられないようにしてやる……。あいつは俺のもんだ。俺がどう犯そうが、どう壊そうが、外野のお前には関係ねぇんだよ!」
咆哮とともに、正臣がバットを横なぎに振るった。
空気を引き裂く凶器が、喜蝶の視界を埋め尽くす。喜蝶は咄嗟に腕をかざして防ごうとしたが、自分が選んだ金属バットの勢いは止まることなく、骨の芯まで届くような痛みが突き刺さる。
ジィ……ン と腕が痺れて揺さぶられた脳のせいか視界が歪んだ。
「……奏朝は、お前が、他のベータの首を噛んだことを知ったぞ」
「…………は?」
「お前が、自分と同じベータの頸を噛んで、番にした。奏朝はそれを聞いてどうしたと思う?」
今度は喜蝶がせせら笑う番だった。
明らかに動揺した正臣はブルリと震えるように体を震わせ……定まらない目で何かを探そうと視線を逸らした。
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