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君に捧げる千の花束 79

 正臣が苛立ちを露わにし、バットを再び振りかぶる。その影が喜蝶を飲み込もうとした瞬間、喜蝶はさらに声を張り上げた。 「死なせない……。薫を、お前なんかの身勝手な欲望の犠牲で終わらせてたまるか! お前が地獄に落ちても拭いきれない罪を、少しでも償え! あんな……寂しい目をして萎れていい奴じゃないんだ!」 「あははは! 寂しい? 萎れる? 笑わせんなよ。ベータが番の絆だの愛だの、一丁前にオメガみたいなことほざいてんじゃねぇよ!」    正臣の哄笑はもはや理性の介在しない獣の咆哮だ。  彼はバットを投げ捨てて喜蝶の懐に飛び込むと、血まみれの拳で喜蝶の頬を殴り飛ばした。 「っぐ……はっ!」    喜蝶は横倒しになりながらも、食らいつくように正臣の足首を掴んで引き倒す。二人は泥と血にまみれたアスファルトの上で、醜くもつれ合った。  殴り、蹴り、指を突き立て、髪を掴む。  「優性」という高貴な肩書きも、「冷静」という喜蝶の仮面も、今の二人には欠片も残っていない。ただ、一人のβの命をゴミのように扱った男と、その命を救えなかった己を呪う男の、地獄のような泥仕合。   「薫は……っ自分を噛んだのが誰かも知らない……」  喜蝶は正臣の猛攻を顔面で受けながら、隙を見てその背後に回り込んだ。折れかけた腕を酷使し、正臣の太い頸に腕を回して絞り上げる。  しっかりと喉元に入った腕は、しっかりと押さえ込まれて暴れた程度では外れる気配を見せない。  脳という最も重要な器官の一つに血液を送る首を絞められ……正臣は脳みそが痺れるような感覚に陥る。   「っ、ぐ……がはっ!」 「あいつは、ただ訳もわからず……っ冷たい暗闇の中で震えてるんだ! 誰を憎めばいいかも分からず、ただ自分が汚されたという絶望だけで、消えていこうとしてる……!」  喜蝶の目に、熱い涙が滲む。  あんなに強かった薫が、あんなに優しかった薫が。今は一人きりで、自分という存在が摩耗していく恐怖と戦っている。救いを求めることさえ許されず、身体の奥底から込み上げる「番」への渇望に、心を蝕まれて。 「お前にとっては娯楽でも! 薫にとっては人生の終わりなんだよっ! お前のその汚い手で! お前のその身勝手な欲望で! あいつの心を、あいつの未来を、これ以上汚させない……っ‼︎」 「が……き……さ、ま……っ」  正臣が藻掻き、喜蝶の脇腹に向けて何度も肘を振り下ろす。肋骨が悲鳴を上げ、視界が真っ赤に染まっていく。  それでも、喜蝶は腕を緩めない。 「苦しんでるっ! あいつは死ぬほどの寂しさの中! 幾ら家族に囲まれてても感じる寂寥感に……お前の残した呪いみたいな『番の痕』を抱えて、泣いてるんだ!」  喜蝶の叫びは、夜の闇に吸い込まれていく。

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