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君に捧げる千の花束 83

「彼が、提供に応じてくれたんだ……! フェロモンの抽出に合意してくれた。これでようやく、中和治療ができる。君を苦しめていた呪いが、解けるんだっ!」  須玖里の歓喜の声に、薫のまつ毛が僅かに震えた。 「喜蝶が……?」    須玖里の震える声が鼓膜を震わせ、薫の胸に鋭い痛みが走る。  そんなはずはない。  あの日、あの場所で自分を組み伏せ、指を一本ずつ引き剥がして絶望を刻みつけたあの男の感触を身体は今も覚えている。  三人に蹂躙されたことを恋人に知られたくないと言った薫に、喜蝶はオレが襲ったと言えと自ら冤罪を被って…… 「そんな……もしかして……」  喜蝶はずっと、犯人を探してくれていた? 薫はそう悟った瞬間、目頭が熱くなった。  須玖里は薫の涙を喜びだと受け取り、「これで救われる」と涙を浮かべて笑っている。  その純粋な喜びが、今の薫には何よりも鋭い刃となって胸を抉った。 「  っ」    ふと、サイドテーブルに活けられた花束に目が留まる。  色とりどりの花の中に、一際異質な、深い焦げ茶色の花が混じっていた。 「……チョコ、コスモス……」    それは、ビターなチョコレートの香りがする変わったコスモス。  本来、療養中の病室に黒い近い色味の強い香りの花は避けられるはずだ。それなのに、サービスの体で届く花束にはいつも必ずこの花が……  ――――ほろ苦くも甘い匂いは、喜蝶のフェロモンを思わせる。 「あの、看護師さん……」 「はい? どうされました?」 「この花……いつ? 持ってきたのは、誰ですか?」 「ええ、サービスのお花屋さんがさっき届けてくれたばかりですよ。まだ廊下にいらっしゃるんじゃないかしら」  その言葉が終わる前に、薫は繋がれていた管を引き剥がすようにしてベッドを降りた。 「薫⁉︎」  須玖里が驚いて制止する声も、心音モニターが異常を知らせて鳴り響くアラートも今の薫には届かない。  心に一条の光のように差した「もしかして」に、縋るように足を動かす。  もつれる足で病室を飛び出し、白い廊下を走る。  曲がり角の向こうに、花束の籠を抱えた制服姿の背中が見えた。 「待って……っ! 喜蝶!」  息をきらして震える手でその肩を掴む。  振り返った人物、そこに慣れ親しんだあの無愛想で、けれど優しい眼差しがあることを祈って。 「――おっと。薫さん、危ないですよ。そんな格好で走ったら……」    振り返ったのは見知らぬ若い男だった。喜蝶ではない、どこにでもいるような穏やかな顔をした青年。 「あ、あの……喜蝶、は。この花をいつも届けてくれていた人は……?」  呆然と立ち尽くす薫に、青年は困ったように眉を下げて名札を指し示した。  「土岐」と書かれた名札の上には「フラワーショップ・フィンチ」の文字があり、薫はじっとそれに視線を落とす。 「ずっと自分が配達しています」 「じゃ……じゃあ…………依頼人を教えてください!」  配達人はちょっと困った表情をした。 「番破棄の関係で入院されている方に向けて花束のサービスを行なっているボランティアがあって、そこからの依頼なんです」 「え……あ、だから…………」  だから、ずっと花束が送られてきていたのかと、薫は途切れない花束の正体を知って疲れ果てたようによろけて壁に縋った。 「わっ大丈夫ですか?」 「…………はい、大丈夫です」

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