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君に捧げる千の花束 84
ふらつきながらも顔を上げた薫は、探るように土岐を見上げ、そして辺りを見回す。
「…………いるわけない のに。すみません……お騒がせしました」
駆け寄った看護師に支えられ、薫は力なく病室へと戻っていった。その背中を見届けた土岐は、一つ深くため息をつくと足早に病院の駐車場へと向かった。
並んだ車の中に、一台の白い業務用バンが停まっている。
土岐は運転席に乗り込むとバックミラー越しに後部座席へ声をかけた。
「……今回のミッションも完了したぞ。あんなに慌てて飛び出してくるなんて、よっぽどこの花の香りが気になるんだな、あの子は」
配達用の色鮮やかな花々に埋もれるようにして、後部座席の影に座っていたのは喜蝶だった。
頭には痛々しく包帯が巻かれ、片腕はガーゼで白く膨らみ、反対側は石膏テープで固定されている。正臣との死闘でボロボロになった身体を無理やり動かしているせいか、その表情は酷く不機嫌だ。
「……余計なことは言わなくていいです。ちゃんと渡してくれたんですよね?」
「毎回、ちゃんと渡してるよ! 新しいのを持っていくたびに、嬉しそうにしてるって看護師さんが言ってたよ」
土岐の報告に、喜蝶は鼻を鳴らして視線を逸らす。
ボロボロになった身体を横たえ、窓の外にそびえ立つ病棟を見上げた。
最上階に近いあの窓。
今頃は、須玖里が持ってきた「吉報」に安堵し、喜蝶が送った花の香りに包まれているはずだ。
周りが自分を犯人だと思い込んだままでもいい。
正臣のフェロモンが「喜蝶のもの」として投与され、それで薫の命が繋がるのなら喜蝶にとってはそれ以上の報酬はなかった。
「……なぁ、喜蝶くん。本当にいいのか? 冤罪を被ったままで。今なら犯人も捕まっているんだし、全部を明るみに出したら堂々と花を届けることができるんじゃ……」
「……うるさい。オレの勝手です」
喜蝶は痛む腕を庇いながら、肩をすくめた。
自分が愛した人が隣に望んだのは、自分ではない。
けれどあの時、薫が頼ったのは、自分だった。
須玖里ではなく、自分。
それだけでいい。
薫に選ばれたことが大事で、それ以外は喜蝶にとってどうでもいい話だった。
「次も……よろしく、土岐さん。次は、もっと香りのいいやつを」
「いつもとびきりいいものを用意してるよ。なんたってあんたは、俺たちの命の恩人なんだから」
バンのエンジンが静かにかかり、ゆっくりと滑り出していく。
去りゆく車窓から見上げた病室の窓には、微かに花の影が揺れているようだった。
END.
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