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Aria of Echoes 11
「はは、わかった」
年上の余裕を見せる時もあるというのに、汐音はほとんどの時間、年齢差を感じさせないほど無邪気だった。
凪はまだ微かに赤い汐音の耳を軽くくすぐると、慈愛を込めた微笑を浮かべて再びキャンバスに向き直る。
そうすると、凪の視線はもう揺らがなかった。
凪が家に帰ると部屋の中は静まり返っていた。
寝室とリビングしかない狭い間取りのアパートで、汐音を探すのに苦労はいらない。
凪はソファーで小さく丸まって眠っている汐音を見つけて、うっとりとした笑みを浮かべた。
自分のパーカーにくるまって健やかな寝息を立てている様子は、まるで巣作りをしているようだ と、止まらない笑みを誤魔化すために咳払いをする。
「本当に、小さな子供みたいだな」
机の上にはコーヒーを飲んだカップや読みかけの本、それから特別講義のための資料が散らかっていた。
汐音が来るまでは病的とも言えるほど整然としていた凪の部屋は、暖かな蝋燭が灯されたように人間味を感じさせる場所になっている。
「ちっせぇのに存在感半端ねぇ」
嬉しげに漏らして頬をつついてやろうと指を伸ばした時、青い絵の具が落としきれずに先端に残っているのに気づく。白い肌に青い色がつくのは映えるだろうと思いながらも、汐音を汚したくない凪はぎゅっと手を握り込んで洗面所へと向かった。
リビングのように散らかされてはいないとはいえ、汚れ一つないそこもどこか今までのような無機質さはない。
むしろ気にしていなかった柔らかな石鹸に匂いが漂い、ふわりとした温かさを感じさせる。
それが、くすぐったい。
凪は自分のやに下がった顔を鏡で睨みつけてから、絵の具を洗ってしまおうと手を伸ばしかけた。
――――……――――……
尻ポケットからの振動に思わず取り上げる。
「――――――チッ」
先ほどまでの気分が台無しになった気持ちで通話を押すと、こちらが声をかけるよりも早く甲高い怒声が耳を貫く。
『凪! あなた何をしてるの⁉︎』
「……手を洗おうとしていました」
この一言が電話向こうの女性の神経をどれだけ逆撫でるかわかっていながら、凪は口を紡ぐことができなかった。
『あ、あ、あなた っ』
直接目で見ていなくとも電話向こうの女……叔母の海乃がブルリと体を震わせたのがわかる。
彼女はいつもそうだった、凪が自分の望んだ答えとはまったく違う言葉を返すと、そうやって苛立ちを露わにするからだ。
『今日が何の日かわかってて言っているの⁉︎』
何の日……と問われても、汐音と夕飯をとる約束をしている以外には予定らしきものは何もなかった。
念の為に携帯電話を耳から離してスケジュールを確認してみるも、いつも通り何事もない平凡な一日だ。
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