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Aria of Echoes 12
『今日は潮の誕生日でしょ!』
言われて、視線をもう一度携帯電話のスケジュールに滑らせる。
スピーカーからはギャアギャアと文句をいう声が聞こえていたが、凪には何も響かなかった。
海乃が電話をかけてきた理由は潮……凪の弟の誕生日だからというわけではない。潮の誕生日を祝えという催促とは真逆の、どうして邪魔をしに行かないのか責め立てるものだった。
『ぼやぼやしてたらあの親子に一ノ瀬のものを全部持って行かれてしまうのよ⁉︎』
一際、キン……と耳に響く声で叫ばれ、凪は慌ててスピーカーを切って携帯電話を耳に当てる。
すぐそばで喚かれるのは気分が悪かったが、それでも汐音に聞かれるよりはいいと判断したからだった。
『聞いてるの⁉︎』
「聞いています。今日が何の日か、覚えてなかったので……覚える必要もないでしょう?」
少し斜に構えたような声音で返すと、海乃は少し気分が良くなったのか必要もないのに怒鳴ることをやめる。
『あの親子、図々しくも華流水で食事しようとしてるのよ! 子供の誕生祝いにあんな高い料亭に行くなんて!』
「…………」
したければ、させればいいじゃないか という言葉を飲み込んだ。
自分にとってどうでもいいことを喚き、家庭を壊すための槍にしようとしているけれど、それでも親族の中で唯一自分を気にかけてくれているのは海乃だけだった。
残されたわずかな憐憫を必死にかき集めて、凪はそんなことには興味持たなくていいじゃないかと諭す言葉をかけた。
『あなたはそれでいいかもしれないけれど、私には父母から受け継いできた大事なものだという自覚があるの!』
再び火力を増し始めた怒声に、凪は説得するのを諦めて「家に行くよ」と弱々しい声を出す。
そうすれば祝いの席は気まずいものになるだろう……それだけで、海乃は満足するのだから。
眠っている汐音が起きていないのを確認して置き手紙を書く。
名残惜しくてたまらないけれど、キスを頬に軽く落としてから部屋を出た。
洗いそびれた青い絵の具が指先に残っていたのに気づきながら、どうしようもできないまま凪はバスに乗り込んで適当な席に腰を下ろす。
ゆっくりと夕暮れていく街を眺めていると、思い出されるのは中学生時代の記憶だった。
「あの頃は……つまらなかったな……」
バスの窓の端にはぁっと息を吹きかける。
冬ではなかったから真っ白にはならなかったけれど、それでも指で絵を描くには十分な曇りができるから、凪はそれに五枚の花弁の花を描く。
絵を描き始めた当初、凪は幼稚園児が描いたような、こんな絵しか描けなかった。
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