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Aria of Echoes 14

 美術室の隅の資料の間に挟まっていた一冊の本は、他の美術本とは違って絵本だった。 「ああ、これ……読んだことあるな」  保育園でも置かれていたし、病院などの待合なんかでも良く見かける絵本だ。  緻密なレースなどの装飾品が驚く密度で描かれたそれは、キラキラとしたものが好きな子供に人気のバース性を取り扱った絵本で、凪も幼い頃に読んだ記憶がある。  中学にもなって絵本なんて……と思いつつも表紙を開いてしまったのは、中に書かれている絵の美しさを思い出したからだ。  線一本一本を計算して配置しているのかと思えるほど巧みな技巧。  超細密画だというのに決して圧迫感がないバランスで描かれたそれは、この年になって読んでも引き込まれるものがあるほどだった。 「バース性の話なんだ……ふぅん……」  内容はあまり覚えていなかった。けれど、魂を燃やすかのように描かれた一本一本の線の美しさは幼い頃の記憶にしっかりと刻みつけられていて……  パラパラとめくる手がゆっくりとなり、やがて食い入るように見つめ始めるまで時間はかからなかった。  凪は次の日から、筆をとって真っ白だったキャンバスに向こうこととなった。  自分の引く一本の線がどれほど拙いか、思い通りの色が出ないことのもどかしさ、描きたいものを表現することの叶わない悔しさ、歯を食いしばるような気持ちを抱いたとしても、それでもなお「描いてみたい」という気持ちが湧き上がり、それがこんこんと溢れ続ける泉のようになるまではあっという間だった。  初めて打ち込めるものを見つけ、美術部の顧問に認められて褒められて、賞をもらうこともあり……家庭では感じたことのない承認欲求が満たされる感覚に、凪はやっと居場所を見つけた心地になる。  けれど、それも束の間だった。  潮がいつの間にか持ち出したスケッチブックやキャンバスを父の目の前にぶちまけ、勉強もしてないと告げ口をして……  父は、興味を持たないと思っていた。だから、スケッチブックを皺くちゃにした潮に怒りが湧く程度で収まる出来事だと凪は思った。  けれど足元に散らばった色とりどりのキャンバスや、投げ捨てられたスケッチブックを目にした父親は、凪を殴りつけた。 「こんなくだらないことをしていたのか!」  その瞬間の怒声を、凪は忘れることはないだろう。  いつもの業務報告のような平坦な声ではなく、感情を込めた侮蔑の叫び。  賞を獲った絵も、描き溜めたスケッチブックも、まるで意味のないチラシを捨てるかのように踏みつけ、破り、丸め、ゴミ箱へと投げ捨てた。  いや……それだけじゃなく、それらの入ったゴミ箱を庭に放り投げると、小さな箱を取り出して火を灯し……なんの躊躇もなく火を放つ。    

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