270 / 293
Aria of Echoes 28
飛び上がった凪が教壇で頭を打ちつけるハプニングはあったものの講義は滞りなく進み……
「どうしてまだ涙目なの?」
芸術棟前のベンチに座り込む凪の前に、にまにまと笑顔を浮かべた汐音が立つ。
「恋人が鬼畜すぎて泣けてんの」
「僕? こんなに優しいのに? あ。さては二股? それとも……一週間で他の人のものになっちゃった?」
ふざけていても言っていい言葉と悪い言葉がある と凪は怒りそうになったが、目の前で長いまつ毛をくりんとさせながら上目遣いに見つめられると、そんな気持ちはあっという間に霧散してしまう。
良くも悪くも、汐音は自分のことをよくわかっているのだと、凪は拗ねた顔のままベンチの背もたれに体を預けた。
「そんなわけないだろ、MANOTO先生」
なけなしの抵抗とばかりに読んでやると、今度は汐音の方が表情を崩す番になる。
「そうやって呼ばれたくないから、隠してたのに」
呻くようにいうと、汐音はカーディガンを引っ張って顔を隠してしまう。けれどはみ出ている耳たぶが……真っ赤だ。
「そんな苦手なのに、なんで講義を引き受けたりしたんだ? これで正体バレたぞ」
「うーん……」
汐音はやはり唸り、凪の隣に腰を下ろすとなんの遠慮もなく寄りかかってくる。
明らかに他人の距離ではないそれは、二人の関係をはっきりさせるには十分な親密さだ。
「受けた時は……受けたら、それを口実に君に会えるかなって。それに、最初は覆面予定だったんだ」
「じゃあ、なんで……」
「君があんまりにもすごいすごいっていうから、バラしたくなったの」
「なんだ、それ」
「これから社会に出ていく君が恥ずかしくない、そんな……恋人、で、いたかったりしたりなんかしたらか」
「語尾下手くそすぎ」
「うるさいな! でも、僕がMANOTOだってわかって……嬉しくない?」
汐音はちょんと唇を尖らせると、少し悲しそうな顔で凪の胸に飛び込んだ。
久しぶりのお互いの匂いが立ち上り、意識が酩酊するような心地のいい揺らぎをもたらす。
「嬉し……くないわけじゃないわけでもないんだけど」
「言葉下手くそすぎ」
投げ返すことのできた罵倒に満足したのか、汐音は満足そうな顔をして凪の胸に顔を埋める。
「……嬉しいとかの前に、手を出しちゃいけない人に手を出した罪悪感がある。だって、MANOTO先生なんだぞ? オレの絵を描くきっかけだし、模写もしたことあるし、憧れて……目指していた部分もあるし……そんな神様みたいな人にオレ……っキスマークつけまくっちまった!」
「そこぉ⁉︎」
「歯形もだし、……ず、ずっと孕ませるって言い続けてるんだぞ!」
「じゃあやめる?」
「やめるわけねぇだろ!」
ともだちにシェアしよう!

