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Aria of Echoes 73

 思いの外軽い手応えで動いていく本棚。  隙間が大きくなるにつれてゆっくりとした空気の動きと、慣れ親しんだテレピン油やワニスなどの臭いが混ざった気配がはい出してくる。  凪は一度だけ、怯えたように足をサッと引っ込めた。  まるで地獄から這い上がってきた何かに足首を掴まれるんじゃないかという、荒唐無稽な創造に取り憑かれたからだった。  あの日、父に全てを燃やされて……助けることのできなかった作品たちが、この向こうにいたりしないだろうかと、ありもしないことを頭によぎらせながら、それでも中を覗き込んだ。 「……これは」  中に名画を隠しておいて欲しかった。  売れば何千、何億にもなるような、ある日有名美術館から忽然と姿を消したような煌びやかな経歴を持つ絵画がこの先に隠されていたら と、凪は夢想する。けれど目の前に現れたのは一人の人間が描かれた無数の絵だった。  デッサンもあれば、色を塗ったものも、額装してあるものもある。手前のイーゼルにかけられたものは未だ完成しておらず、柔らかな鉛筆の線が満面の笑みを除かせている。  狭い狭い部屋。  その壁に飾られた一人の人間の絵。  小さい作品が多い中、真正面に飾られた絵はサイズも大きく…… 「赤ん坊を抱えた………………………………汐音?」  ここで口に出すことはないと思っていたために、凪の言葉は随分と間が空いた。  凪はそろりと小さな部屋に足を踏み入れる。そうすると一際きつく油絵の具の香りが鼻をつき、凪の正気を引き戻す。  壁の絵に描かれているのは……汐音だ。  繰り返し触れて、繰り返し描いた。  間違えようがなかったが、奇妙なことに全ての汐音は今よりも随分と若く描かれている。 「若く……」  呟き、それが示すことを思いつく前にサッと部屋を見渡した。  必要最低の油絵の具の道具と壁一面の汐音の人物画。そしてなけなしの、コーヒーを置くために使ったらしい小さな小さな棚が置かれていた。凪はそこの上に置かれている書類を手に取った。 「オレ……の、遺伝子検査結果?」  堅苦しい文面の中には、父と自分とを親子だと証明するという一文がしっかりと書かれている。 「…………は?」  繰り返し視線を滑らせても同じことが書かれ、他にどう読み間違うこともできない状態だ。凪は母親が言っていたように叔母がふらりとつれてきた子供ではなく…… 「父親と、おばさんの……とか?」  しっくりくるのは二人の道なさざる関係だったが……「いや」と言葉を区切って顔を上げた。  目の先にあるのは一番大きな絵。  たおやかに首を傾げながら赤ん坊を抱いて微笑む汐音だ。  

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