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1-②.春彦の「無意識可愛い発言」について
――春彦のスマホに、誰かからの着信。
「はい」
電話に出ながら、春彦はベッドから離れ、キッチンに移動した。
『もしもし、剣持部長ですか?』
「宮島。なにかあったか」
宮島 奏。春彦の部下だ。
『なにかとかじゃなくて。亜紀さんは大丈夫ですか? 熱、高そうでしたが』
「…………」
前から不思議に思っているが、なぜこの男は亜紀のことだけ「主任」でなく「亜紀さん」と呼ぶのだろう? ほかの者は部長とか課長とかなのに。
「……部長? 聞こえてます?」
「ああ、すまん。さっき測ったら40度超えてた」
『やっぱり。ひとりで帰らせたんですか?』
「まさか」
コンロの近くに置いてあった煙草を手に取る。1本咥えて換気扇のスイッチを押してから、ライターで火を点けようとしてやめた。同じ空間に病人がいる。電話が終わったらベランダで吸えばいい。
「あんな状態の人間を激混みの中央線なんかに乗せられるか。金曜だぞ」
医務室や玄関での様子を思い出しながら、春彦はそう言った。
『じゃあ、どこに? 部長んち?』
「……うち。もう寝てる」
『ふうん』
「なんだよ」
『ついにお持ち帰り?』
「ついにもなにも、あいつはもう何度もうちに来てる」
『そういうことじゃないですよ』
「……よくわからんな、あいかわらずおまえは」
──ねえ、部長って亜紀さんのこと、よく「可愛い」って言うよね
そんな指摘をしてきたのが、この宮島という飄々とした男。
会社の喫煙室にて、少し前の話だ。
「可愛いって? 俺が? 亜紀のことを?」
「そーです」
正直に言えば、思うことはある。というか多い。でも口に出したりしていないはずだ。
「……そんなの、言った覚えがない。一度も」
そう答えると、宮島は「無自覚かよ」と自身の右横あたりの空間に向かって言った。なにについての無自覚なのか、春彦には全然わからなかった。
しかし、その時から考えるようになった。自分は亜紀に「可愛い」と言ってしまっていないか。
意識してみると、なるほど結構言っている。さっきはカワウソに助けられたが、危なかった。きっと本人にはバレていないので、このままなんとかしたい。あと2、3回はカワウソに助けられることになるかもしれないが、2、3回ならなんとかなる範囲だ。たぶん。
『──そろそろ切りますが……部長?』
宮島の声で我に返る。次の電車のアナウンスも聞こえた。
「あ……ああ、すまない。ぼけっとしてた」
『もしも亜紀さんが月曜に出社できないようなら、俺に連絡をください。熱は下がったとしても、調子悪けりゃ病院も行くでしょうし。いろいろ調整しときます。どうせなんだかんだと部長のとこにいさせるんでしょ?』
「亜紀は帰ると言い張っているけどな」
『それはよくないよ。ちゃんと見守らないと。大人として』
「…………」
『あ、落ち着いたときにまた熱がぶり返すようなことをしないでくださいね』
「なんだそれは」
『しばらく一緒にいればわかるんじゃないかな、と』
「……? ああ、酒か? まさか。呑ませない」
宮島が『じゃあ、それでいいです』と言った。じゃあそれでいいですってなんだ。
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