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2-③.裸のまま倒れて、その後
「――亜紀、」
呼ばれてまぶたを開ける。腹の下に春彦の腕がある。
そのまま、くいと抱き寄せられて、亜紀は春彦の胸のなかに収まった。
「平気か、亜紀」
「……………………」
「おい、なんか言え」
「ん……平気。でも、くらくら……する」
「意識はあるか、よし」
視界が落ち着かない。浮遊感も消えない。
けれど、春彦の腕にかかえられていることが、命綱的に安心をくれた。すごく頑丈だった。
「長湯しすぎだ。身体が温まりすぎると血圧が下がる。しかも食後だ、もう少しあとのほうがよかったかもしれん」
春彦は「身体は拭いてあるな?」と確認すると、ひょいと亜紀をかかえ上げた。
「うわ、え?」
「おとなしくしてろ」
「え? 俺、結構重いけど、え」
「……だな。筋トレが趣味なだけある。だが、別にイケる」
「ええ?」
亜紀は裸のままベッドに運ばれた。春彦は洗濯をして畳んであったタオルを一枚引っ張り出して枕の上に広げ、そこに亜紀の頭をのせた。
「下着も俺のやつでいいな。あとでちっちゃいのを買ってくるから我慢しろ」
春彦はさらりと失礼なことを言いつつも、要領よく亜紀の身体を左右順番にひっくり返して、前開きのパジャマを着せた。ボクサーパンツだけは太腿まで上げて、「おい亜紀、あとは引っ張れ」と言った。デリカシーに欠けるようなことをしない。
春彦の手を借りて一度起き上がり、水分を摂ると、ようやく人心地がついた。喉を圧迫していた吐き気のようなものも一気に消えた。ある程度落ち着くと、羞恥心というものがやってきそうな、やってこなさそうな、微妙な感じになってしまった。
「すまん、これじゃ看病どころか介護みたいな……」
照れ隠しのつもりで。
「──亜紀」
「……はい」
「冗談を言う暇があればもう目をつぶれ。寝ろ。すぐに薬が効いてくる。俺は買い物を済ませてくるから、すべてを放棄して死人のように寝ていろ。いいな?」
「……わかりました」
「ん、よし」
もう一度タオルの上に頭を下ろした。目を閉じると、まぶたの重みが確かな眠気を伝えてくる。その眠気を少しだけ弱めたのが、ドライヤーの音だった。熱風が頭にあたる。春彦が髪を乾かしてくれているのだ。さらさらと髪を指で梳られるのが心地いい。
面倒見がいい男だとは知っていたが(しかも想定より遥かに上のレベルだった)、責任感や罪悪感で彼にここまでのことをさせているのが、亜紀にはとても辛かった。だって、ウイルスじゃん。誰からもらったかなんて絶対に明言できない。春彦以外にも風邪をひいている社員はいただろうし、新宿のウイルスですらないかもしれない。
「……なあ、春彦」
ドライヤーのコードを片づけている春彦に声をかけた。
「ん」
「なんか……すっごいごめんな」
「発端は俺だ、何度言わせる?」
「発端じゃないかもしれないじゃん。立川のウイルスかもしれないじゃん」
「立川を悪者にするなんて、おまえらしくなさすぎる。寝ろ」
そこで、春彦のスマホが鳴った。5時だ。タイマーを掛けていたらしい。
亜紀が喋ろうとすると、春彦が先に言った。
「さっきの話はなかったことに」
様子見とか5時までとか、そのあたりの話をまるごと。
なんだか、胸がつまる。
「……はい」
「ふふ。普通に返事するな」
「うるさい。……おまえ……なんか、かっこよ」
実は、一度も言ってやったことのない言葉。でも言ってしまいたかった。スペックの話じゃないとしても、けっこう勇気が必要だった。なぜか。
けれど、春彦は肩をすくめただけでなにも言わなかった。冗談だと思ったのだろう。
そっと頭を持ち上げられたりタオルを取り替えられたりしているうちに、亜紀はまた眠りに落ちていった。
妙に安心した。最後に頬を撫でていった手のひらが、「マジで気にするな」と言ってくれているようで。
薬を飲まないと決めて以来はじめて、薬の眠気を素直に受け入れた。
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