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3-②.意外性の高い勃起
深夜の1時。
眠くない。全然眠くない。
眠くないのは当然だった。昨日は午後3時すぎまで亜紀と一緒に寝ていたからだ。寝不足など完全に解消されている。布団も毛布も自分には暑すぎたので、結局ほとんどを亜紀に乗せ、自分には端っこをちょこっと腹に掛けている。「人間湯たんぽ」としてベッドに入るべきと思ったが、いらなかったかもしれない。
少し、春彦の部屋について説明すると。
間取りはファミリータイプの2LDKだが、春彦は(キッチン、バス・トイレ関連を除き)リビング・ダイニングだけで一通り過ごせるように物を配置していて、ベッドもリビングにある。2LDKなのに1Kみたいな使い方をしているのだ。
リビングは18畳あるから広さに問題はない。ほかの部屋には読み終えた書籍やスキー用品くらいしか置いていなくて、姪っ子と甥っ子が好きに遊んでいる。生活する上で無駄な移動はしたくない。運動は運動として行う。生活に必要なものはひとめで把握できるようにしたい……春彦はそういう性格だ。ある意味ではミニマリストかもしれないが、一般的なミニマリストの皆さんとはたぶん方向性が違う。
だが、こういう状況は想定していなかった。看病するにしてもされるにしても、適した環境とは言いにくい。さすがに寝室を別にしておくべきだったかという気持ちにもなってくる。別れた恋人が「ちゃんと別に寝室をつくったほうがいいんじゃないかな」と言っていたのは、そこまで考えてのことか? だとしたらすごい。頭のいい女性だとは思っていたが、緊急時のデメリットまで配慮していたのだろうか。
考え始めたら余計頭が冴えてしまった。なかなか眠気が来ないので、春彦は熟睡している亜紀の耳たぶをもちもち弄っていた。目の前に亜紀の顔があるのに。泣きぼくろもくっきり見える近さなのに、「これはマズい、やめておこう」と思えない。
だって、見事に起きない。くすぐったがりもしない。微動だにしないのだ。どうせ起きない、という確信も邪魔して、やめるにやめられなくなってしまった。どうにもこの感触はクセになる。あくまでもそっとやっているし、寝る邪魔にはなっていないはず。
「だって、びっくりするくらいもちもちしてるからさ……」
春彦はすぐそばにあったボックスティッシュにそう言い訳をした。
比較のために自分の耳たぶも摘まんでみたが、なんか変に大きいし、ひどくつまらなかった。
「(あ、き)」
小声で呼んでみる。囁く程度。
わかっていたが、反応はゼロ。
改めて、本当に深く眠るのだなと感心する。実験的に、ちょっと痛いんじゃないか、というくらいの強さで揉んでみたが、起きなかった。たぶん、耳たぶをもちもちする程度では絶対に起きないし、もう少しやらかしても起きない。たとえば、耳たぶを噛んだって。
ん? 噛んだって?
マズい好奇心に気付いてしまった。
それで、亜紀からよく言われることを思い出した。
『おまえって、思いついたことは結局やるよな。まあ、おまえが思いつくくらいのことだからだいたい正解で、だから文句も言えないんだけどさ』
昔からそうだ。思いついたら、結局やる。「やらない」という選択肢に行きあたらない。
『だから、おまえの好きにしろよ。春彦』
それはあくまでも仕事についてなのだが、そこだけが繰り抜かれて頭に響いた。そのせいで、「思いついたら結局やるし、亜紀が嫌がらないなら(寝てるから)いいじゃん」という、よくわからない勇気が湧いた。
そして、耳たぶを噛むことを考えているあいだ、耳たぶをもちもちするだけに飽き足らず、耳の奥まで指を突っ込んでさわさわしていた。春彦の指が太いので、もちろんすごく奥には入り込めない。小さなパーツだなと感心する。
こんなに小さくても音を聞き分けることができるのか? そりゃそうだ、できないわけがない。可愛くても耳は耳だ。それにしても小さい。赤ちゃんみたいな耳だ。乙彦(5歳)だってもうちょっと立派な耳をしていたような気がする。この男はもう大人なのに、大人にしてはいろいろ小さすぎやしないか。個人差か。そうか。可愛いな。(※ここまで3秒)
そのうち、「そんなに深く考えることか?」までになってしまった。
……そうなると、もうほとんど迷いがない状態と言える。
横向きに眠っている彼に覆い被さるようにして、耳たぶに口を近づける。それほど厚みのない部位だが、歯で挟み込むと「ふに」と確実な歯応えがあった。軟骨が唇にあたる。
亜紀は身動きすらしない。続行。
くに、とか、ふに、とかいいそうな歯応えを楽しみ、当然の流れとして耳の穴に舌を差し込むと、さすがの亜紀も少し身じろぎした。まずい、と顔を離すと布団まで引っ張ってしまい、亜紀の胸から上が外に出た。
「すまん、寒かったな」
忘れていたが、亜紀にはまだ38度を超える熱がある。彼は寒くて震えたのだ。
湯たんぽ役が患者の身体を冷やしてどうする?
亜紀に毛布と布団をしっかり掛けてからベッドを抜け出し、冷凍庫で冷やしていた保冷枕を取り出す。比較的新しいふわふわしたバスタオルで包み、亜紀の頭の下に入れた。後ろから肩を抱くようにして腕を回すと、さっきより寝息が穏やかになったような気がした。
歳のわりには幼い額。つい、髪を撫でた。黒髪が指のあいだから流れ落ちる。何度も。
「……可愛いな……あっ」
そうだ、「可愛いって言うの・思うの禁止令」の発令後だ。
ところが、言ってしまっていた。さっきも思っちゃってた。禁止令を守れていない。息をするかの如く言葉が出ていた。カワウソが出る幕なんて全然なかった。自分に呆れる。
宮島がどう思おうと周囲がどう捉えようと正直どうでもいい。だけど亜紀自身が気を悪くしていたら大問題だ。明日、きちんと確認したほうがいいかもしれない。
引き続き黒髪を撫でていると(それはやめない)、ふわりと彼の匂いが広がる。汗の匂いも混じるが、またそれが妙に惹かれる。もう一度匂いを確認したくなる。火照った肌のせいで、より香り立つような気がする。
それで気がつく。
自分は、勃起している。
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