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4-②.突然訪れた女性。子どもたちはなぜか自分を知っていた
女性。喋っているのは日本語じゃない。
彼女はかなり早口で捲し立てている。ドイツ語、というのはわかった。あと、「ハル」と言っているのもわかる。でも理解できるのはそれだけだ。
落ち着け。これは高確率で宅急便ではないです。
……となると、この女性は? 春彦に恋人がいるとは聞いていない。
で、恋人とは決まっていないのに、微妙に前倒しのショックを受けている自分がいる。
ショック? なんでだ?
そうだ、こんなに他人のお世話ができるんだから、「世話してもらった経験」か「世話した経験」があるに決まっている。その相手がいることに?
いや、そんな相手がいるのを教えてもらえていないことに?
熱のせいなのか、頭のなかがぐるぐる回る。女性はまだなにか言っている。
亜紀はとりあえず英語で喋ってみることにした。
「失礼……、英語か日本語は話せますか。家主は不在で、私は友人です」
『……えっ、わあ、ごめんなさい。お友達ね?』
声の主はすぐに日本語に切り替えた。発音も完璧だ。なんのクセもない。
「はい。すみません。春彦じゃなくて」
『私は、春彦の姉なの』
「──えっ、お姉さん、ですか」
ほっとする。ほっとしすぎて、逆に心臓がぐぎっとなった。なんなんだ。
『そうよ。……困ったな、あんまり説明しているヒマがなくて。うちの子を預かってほしいの。2時間くらいでいいのよ』
確かに、離れたところから幼い声が2種類聞こえる。ハル! ハル! と叫んでいるようだ。
そうだ、おぼろげながら聞いたことはある気がする。幼い甥と姪がいて、たまに世話を任されると。ただ、詳しくは知らない。少なくとも、会社で話していたことはなかった。
「春彦に電話してみますか?」
というか、まずそれからじゃないかと思うのだが。しかし……
『ダメ。絶対帰れって言われる。それに本当に時間がないの』
春彦姉はそう言った。なんだか結構強い。さすが春彦の姉という気がする。
「いや、まあそれは……でも俺、見ず知らずの人間ですし」
『ハルが部屋に他人をあげてる時点で見ず知らずなわけないわ。ねえ、とりあえず子どもにトイレを貸してくれないかな?』
「ああ……それはもちろん……ハイ」
エントランスのロックを解除。マスクがないのでタオルで口元を抑え、玄関に行った。風邪をひいていることを先に言えばよかったかもしれないと思いつつ。
亜紀が玄関のドアを開けると、幼稚園児くらいの男の子と、それよりも2つか3つ年上の女の子が入ってきた。ふたりとも瞳の色が春彦と同じ! 男の子は見事に「ミニ春彦」だ。
「本当にごめんなさいね。私はマナ。それから、エミリアと乙彦。8歳と5歳」
マナはモデルのように背が高く、その上、ハイヒールを履いていた。春彦と同じ色をした髪を腰まで伸ばしている。彼女の瞳の色も同じだ。彼の血族であることに疑いようがない。
と、そこで。
「……ほんもののアキだ」
そう、乙彦が言った。でっかい眼でこちらを見上げながら。3組のサファイア・ブルーの瞳がここに揃っている。亜紀は「こんなに綺麗な瞳がこんなにいっぱい存在するのか……」など思っていたが。
「──え?」
いま、名前を呼ばれた? なぜ知っている?
「タオルどかしてみて。かお、ぜんぶ見せて」と、乙彦。
「いや……でも、おじさんは風邪をひいていてね」
「やだ。おじさんって歳じゃないでしょ」とマナ。「ねえ、もしかしてハルから移されたの? だとしたらこの子たちが移した風邪だし、気にしなくていいわよ。熱は高めに出てしつこく下がらないけど、喉はあまり痛くないでしょ? だいたいそんな症状」
マナは悪びれる様子もなく説明した。
「いや……まあその通りですが」
「だけど、さらに元を辿ればエミリアの学校で流行してた風邪だからね? この子たちの責任じゃない。こんなにありふれた病気に責任もなにもないでしょうけど」
「そんなのはもちろん」
その責任を取ろうとしてるのがあなたの弟君なのだが、と亜紀は思ったが、言うのはやめておいた。このひとに言葉では勝てない、と本能が言っている。
「ねえ、アキくんって言うの?」
「そう……はい、一ノ瀬 亜紀って言います。この子たち、なんで俺の名前……」
「──名前まで知ってるなら、余計に見ず知らずもなにもないわ。お願い、子どもたちは勝手に過ごすから、置くだけ置かせて。ね?」
速い。会話のテンポが誰かさんよりも速い。
「いや……でも」
「ありがとう! 本当に助かる」
「えええ……」
マナは子どもたちに「いつも通りいい子にしていて、ごめんね」と言うと、とっとと去っていった。玄関の戸が閉まり切るまで、ヒールが外の通路を叩く軽快な音が響いていた。
「マジかよ……えっと……とりあえず、トイレ?」
残された子どもたちに聞く。こちらを見上げてちょこんと立つふたり。にこにこしていて、悲壮感もなにもない。
「トイレなんか行きたくないよ、ぼくもおねえちゃんも」
「そう。だって、ここに入れてもらうためのズルだもん」
「えええええ」
「だいじょうぶ」と、エミリア。「ママは嘘つきだけど、本当に2時間くらいで戻ってくるから。イベントに顔を出さなくちゃいけなくて、でもそれだけでなんとかなるって言ってたわ。ママね、私たちには嘘をつかないの」
真剣な表情でそう説明してくれた。
「でも、ハルにはウソばっかつく」と乙彦。楽しそうに「きひひ」と笑った。
まあ、罪のない嘘というか。春彦も許容できる範囲なのだろう。
「そうなの。だから問題ないわ。わたしたちにかまわずアキは寝ててね。お熱で気持ち悪いでしょ? わたしもそうだったからわかる」
「はい……じゃあ、そうさせてもらいますね……」
よくできた8歳だ。亜紀はリビングに戻りベッドに入った。
確認したいことはまだあったが、力尽きてしまった。
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