16 / 28
5-①.どう都合よく考えても、自分に勃起するような相手を「友人」とは言わない
日曜日の昼前から夕方/春彦視点
数時間前。春彦は新宿駅からJR中央線の中央特快に乗り、立川に向かった。さすがに通勤ラッシュ時ほど混んでいないが、座れるほどは空いていない。ドアの前に立ち、窓の外を見ながら友人との出会いを思い出していた。
隙のないレポートを発表していた期中入社の同僚、それが亜紀。まだ話をしたこともなく、どんな人間かは知らなかった。かなり背が小さくて、全体的にきゅっとした印象で、なんだか妙に可愛い。ただ小さいだけでなく、雰囲気ごとコンパクトでもろもろ整っているのだ。男性だし「キュート」などの表現を使うのがいいのかもしれない。小動物的な?
しかしながら、その外見とは大きく印象が異なる、的確な発言と、スマートな話し方。手元のレポートはほとんど見ていなかった。読むというより、その場で考えたことを話しているような。ボリュームのあるレポートの内容が、完全に頭に入っているのだ。
研修メンバーのなかで、唯一「やるな」と思った人間。
その彼が、喫茶店で空気を読まない感じで寄ってきた。春彦はこのことに結構がっかりした。おせっかい系だったか、と。どうせ「少しは態度をよくしろ」とか、そんなことを言うに決まっている。
ところが、その予想は外れた。彼はただ本当にちょっと話したかっただけのようだ。
9割の人間が言う「かっこいいね」とか「身長何センチ?」とか「出身はどの国?」とかいうセリフが一切ない。春彦という名も知っていたのに、カタカナじゃないんだとか、似合わない名前だとかもなく。普通に呼んだだけだった。
赤の他人からどう見られているかなんてどうでもいいし、慣れてもいいはずなのに、春彦にはそれができなかった。苛立ちをかき集め、特殊な容器に入れてどこかに保管しているんじゃないかと思うほど消えてくれない。薄れてくれない。そしてその苛立ちは、新しい人間と出会うときにとくにピークを迎える。
俺が選んだわけではない外見にとやかく言うな。
外見だけで中身を決めつけるな。
──ただそれだけのことが、どうしてこの令和にできない?
しかし、亜紀にはその苛立ちの材料がこれっぽっちもなかった。これっぽっちもだ。なにか思うところはあるはずなのに(自分だってこの男に「なんか可愛い」と思ったくらいだし)、びっくりするほどなにも言ってこない。
それから、自分の気持ちにも驚いた。この男が「春彦」と呼んでくれたのが嬉しかったのだ。初めて友達ができたときみたいにわくわくした。
「壁」がないのだ、この男には。油断も隙もないのに、壁がない。不思議な男だ。例えるなら、超一流の忍者やスパイのような存在?
オフィスに戻ると、教官に「余り者ふたりで組んでくれるか」と言われた。
「いいよな、亜紀」
100%、断られないとわかっている提案。亜紀は「もちろん」と答えた。それが「茶番」だとわかっているのは亜紀と自分だけ。知らない種類の優越感だ。
研修後の飲み会では亜紀の隣に座れなかったので、三次会の移動前に声をかけた。
『──亜紀。抜けよう』
彼は「ん?」という顔をしてしばらくこっちを見つめていたが、
『了解。でも、まだ呑むなら店じゃなくて河原とかがいい』
……と答えた。やはり変わっている。けれど、それがなんだかひどく心地いい。
『河原? なんでもいい。疲れたんだ、俺は』
本音だった。評価され続けるには、それなりのパワーがいる。
『……疲れてんのに、俺と呑むの? てか、河原でいいのかよ』
『ああ。いい。バレないように行こう』
彼女と会わないの? とか、そういう実のないありがちな質問を、亜紀はしてこない。一緒に呑むと言ったら呑むし、河原に行くと言ったら行くのだろうと思ってくれる。
さりげなく集団から離れ、新宿駅まで行った。春彦が「そういえば、河原ってどこだ」と訊いても、彼はにやりとするだけでなにも言わない。黙って着いていくと、15分ほど小田急線に乗って登戸駅まで移動し、コンビニ経由でまあまあ歩いて多摩川の河原に出た。
春彦には亜紀がそんなにも河原を求める理由がわからなかったが、なんだかハイになっていて、なんでもよくなってしまった。
そうして、始発までふたりで呑んだ。河原で呑んだことなどなかったが、公園のように整備されていて灯りもあったし、なかなか気持ちがいい。誰もいないという感じではなく、少し離れたところからは何人かの楽しげな声が響いていた。そういう穴場なのかもしれなかった。
そのときの写真もある。なぜか甥がひどく気に入っていて、遊びにくるたびに見る。
だから記憶は薄れることがない。あのときの心地よさを思い出すたびに、心の底から深呼吸できる。
──亜紀は覚えているだろうか?
改札を出たが、すぐに亜紀のアパートへ向かう気にはなれず、カフェに入った。コーヒーを数口飲んだところで、LINEの通知。亜紀からのメッセージが続く。冷蔵庫の中身のこと、着替えのこと、持ち運びするためのバッグのありか。今回のことに対する謝罪と、謝礼。
『ありがとう春彦
借りは必ず返すから、なにかあったら必ず言ってよね』
メッセージの終わりには、スタンプ。目の大きな黒猫が「ありがと!」と言っている。春彦がプレゼントしたスタンプだ。この黒猫、おまえにそっくりだ、と言って。
なにかあったら必ず言ってくれ?
それが、「俺のそばにいてくれ」という願いだったのなら、彼はどう思うだろうか?「友人として」という言葉がなくとも、叶えてくれるのだろうか? だって、どう都合よく考えても、自分に勃起するような相手を「友人」とは言わない。言えない。
しかし、亜紀のことだ。困った顔はしても拒否せず、そばにいてくれるかもしれない。これまでの付き合いでよくわかっている。あの男は、とても優しい。きっと、態度を変えずにいてくれる。無理をしてでも。
だが、その関係のありかたは、自分が望むものではない。
ならば、答えはひとつ。いまの関係の維持に全力を尽くす。とりあえずはベッドに入らなければいい。それで最大のリスク回避ができるのだから些細なことだ。
よし。
これ以上の感情は、絶対に抑える。潰す。潰せる。
なによりも恐ろしいのは、もっとも慕い、信頼している友人を失うこと。
仕事においても、亜紀の存在を超えるパートナーはいない。ほかのチームに彼が引き抜かれそうになったときも、理屈と理論を並べ立ててその話自体を握り潰した。で、宮島に「必死すぎ」と言われた。宮島は部下のくせにときどき見事なほど敬語を忘れるが、言うことが的確すぎて春彦でも反論できないことがある。
──よし(2度目)。
宮島の顔を思い出したらなんだかイラっとして、むしろ冷静になれた。
それはそれとして、宮島はちょっと亜紀と親しすぎだと思った。なぜあのように「亜紀さんの前世からくっついてきました」みたいな顔をしているのか。まあ、気のせいなんだろうが。
コーヒーを飲みながら頭を整頓し、春彦は自分を立て直した。こういうのは得意だ。整理し、洗練させ、実行する。
いままでもそうしてきた。
これからもできるはずだ。
ともだちにシェアしよう!

