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6-②.キスはやっぱり夢だった、のに。この変な生活の終わりが見えて
ぼんやりと視界が開け、徐々に意識がクリアになる。
自分の部屋とは違う天井。
横を向くと、春彦の肩が見えた。
ベッドに寄りかかっている。本のページを捲る音がする。スマホじゃなくて紙で読んでいるのは珍しい。
「はるひこ」
呼ぶと、すぐに振り返ってくれた。
「起きたか」
「ん。またすっごい寝た気がする」
「いいさ。寝れるってことは、寝たほうがいいってことだ」
「……それ、エミリアの台詞」
そう言うと、春彦は目を細めた。
「あの子たちのことをおまえに詳しく話したことはなかったな。驚かせて悪かった。なにがあったかは姉から聞き出した」
「全然悪くないよ。マナさんて、ほんと春彦の姉さんって感じだな。強い」
さっきとは一転し、春彦は眉間に皺を寄せた。
「あんまり嬉しくない」
「いいじゃん。俺、さすがに今回は初対面で慌てたけど、ああいうタイプって嫌いじゃないんだよな。なにをしたいのかくっきりしてて。まあ、そういうのも……おまえに似てるよ」
「……そう、か」
「またエミリアと乙彦に会いたい。すげえ頭がよくて、すげえ可愛かった」
「ああ。その手紙もあるし、そうなることになると思う」
手紙。枕元を見ると、ちゃんとした画用紙に、色とりどりの色鉛筆で、「アキ また元気なときにあおうね。ぜったいに。」と描かれたものがある。
「エミリア」の隣にはミミズみたいなにょろにょろ線があるが、たぶん乙彦のサインだ。「おとひこ」と書いてあるのだろうと思えば、ちゃんと「おとひこ」っぽく見えた。絵も描かれている。ベッドでにこにこしている人物。
「……へへ。たぶんコレ、俺よね。目のとこのほくろまであるよ」
おまえも可愛いって言ってた……とは、言わないでおく。
「だな。そういう手紙とか絵、たぶん100枚くらいしまってあるんだ。なんとなく捨てられなくてさ。厳選しているが、今後もきっと増える。見たかったら見せるよ。とりあえずなにか飲んでから風呂に入れ。長湯はするなよ。着替えはあの紙袋に」
「おまえ、いま帰ってきたばっか?」
時計の針は午後5時半を指している。
「……ああ、いや、結構前かな。時間は見ていなかった。おまえは熟睡していて、俺がなにをしても起きなかった。さすがだ」
「全然気づかんかった。とりあえずトイレとシャワー借りたい」
「ああ。で、熱はどうだ? 歩けるか」
春彦の手が肩に触れる。下手をしたらそのまま抱き上げる勢いだ。
「歩け、る」
そう言いながら、春彦の手を反射的に押しのけてしまった。
「……あ、ごめ。マジで汗がすごいし、触んないようがいいよ。シーツも濡れたかも。すまん」
間違えた。
──あれは夢だ。
現実のこいつには関係ない。
「ほんと、ごめ」
もう一度謝る。
春彦にはわからないだろうが、汗のことじゃない。
「いまさらそんなこと気にするなよ。一緒に寝てるんだから」と、春彦が笑う。
「や、それを言っちゃったらねえ……」
いつもの調子で応える。なんとか、ごまかす。
「ところで、あのおかず、ホントに食っていいんだよな?」
「あ、いい、いい。むしろ早いうちに食っちゃわないと」
「よかった。実はいくらかつまみ食いした」
亜紀のおかげで今日はまともな飯だ、と春彦が嬉しそうに言った。食欲が戻っていたので、亜紀も一緒に食べることにした。ダルさが激減していて、いつもの感覚に戻っている気がする。熱はもう下がったのかもしれない。
「マジでありがとな。本当に助かった」
改めて亜紀は言った。これだけしつこかった発熱だし、無理をしていたらもっと長引いていただろう。正しい休息の威力だ。
「……春彦的に、お礼ってなにがいい?」
「礼? なんの」
「今回の全部の、だよ。おまえの連休をまるごと奪っちまった」
「奪われてない。俺にはもともとなんの予定もなかった。こんなにうまいツマミにもありつけるし、得をしている。悪いが、俺は遠慮せず呑むからな」
「もちろん。どーぞどーぞ」
亜紀は普段から晩酌をしない。酒を呑むのは、仕事絡みで必要なときだけだ。酒は嫌いじゃないけど飲み会というのがどうにも苦手で、春彦がいなければ適当に逃げてしまう。春彦がそばにいると、勝手に奪ってくれて、呑みすぎたり食べすぎたりしなくて済む。この男の陽気な呑みっぷりは、見ていてすごく楽しい。
春彦の隣は「特等席」なのだ、と思ったことは、ある。何度も。
「風邪が治ったら、もっとちゃんとした料理をつくる」と亜紀は言った。「それで礼の代わりになるならちょうどいいし……」
「ああ。おまえがそれでいいなら、そうしてくれ」
「ん」
「すごく楽しみだ。そんなご褒美があるなら、おまえの熱があと1週間下がらなくてもいい」
春彦はそう言うと、亜紀の頭にぽんと手をのせた。
亜紀はなにも言えなかった。ひでえな、とか、そんなのヤだよとか言えばいいのに。
そう言い返せる心境じゃなかったのだ。「この生活が続いたらいいのに」という思いがあることに気付いてしまって、それを全然否定できない。
おかしい。
顔が熱い。もう熱は下がってきたはずなのに。
「……冗談だ。早くよくなれ」
おまえがいない会社はきっとつまらないから。春彦はそう呟いて、微笑んだ。
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