6 / 12

5.欲が絡むとなにもかも予定通りにはいかないことを思い知る

──研修1日目の昼すぎ/春彦視点 「……いーよ。キスくらい」 亜紀がそう言った。自分に組み敷かれている状態で。春彦が押し倒したときに肩を掴んでそのままだが、それだけ。亜紀は逃げられるのに、逃げない。 これまでは、違った。 亜紀に関わる自分以外の誰かに対し、嫉妬心などなかった。 まるでなかったとは言わないが、気にするレベルではなかったはずだ。宮島がちょっと気になる程度で、それだって流せる程度。 緒方専務が来ていることは、連絡をもらっていたから事前に知っていた。緒方からでなく、新宿本社にいるレイラからだ。 『専務だけならどうでもいいだろうけど。関原心寧も一緒だから念のためね』 メッセージでなく、電話。 『なぜその組み合わせなんだ? 心寧はもう社員じゃないだろ。独立してる』 『詳しくは知らないけど。あのふたり、同期と言えば同期だからね。引っ張られて入社したのが同じタイミングだし、どうせ研修とかで仲良くなったんじゃない』 そのレベルの人材にも等しく「研修」などやってしまうのがこの社だ。無駄に仲良しが発生して、「実はそこが繋がっていました(研修から)」というのはものすごく多い。冗談みたいだが本当だ。春彦と亜紀のように。 『なるほど。ま、社外だろうとプロジェクトに関連していれば不思議はないか』 『要件はそれだけ。今度なんか奢ってよ』 『……わかった』 レイラは春彦が心寧と顔を合わせたくないことを知っている。 しかし、春彦は元恋人である心寧よりも、緒方のほうが気になった。以前なら確かにどうでもよかった。いまは違う。緒方は亜紀の元上司で、少々クセのある男。 すばり言ってしまうが、おそらく「亜紀好みの人間」なのだ。 口が悪かったり態度がデカかったり。人々が一歩引くようなそういったクセのある人間に、むしろ一歩踏み込むのが亜紀だから。春彦にもそのクセがある人間であることは自覚済みである。恋愛に発展する可能性は低いかもしれないが、相手が異性だったらわからない。いまは、特になにが起こるか、わからない。 異性じゃなくても油断はできない。 全世界に向けて警戒しないと気が済まない。 ……どう考えても、まともな心境ではない。 短時間でもこの男から離れて冷静になるべきだと思っていたのに、たったいま、とんでもなく近くにいる。組み敷いている。キスのチャンスまでやってきた。 もし冷静であったとしても、「いや、嘘です。しなくていいです」なんて言えるわけがない。 「……? しないの」 亜紀がきょとんとした目で訊いてきた。 「………………」 「……春彦?」 どう答えていいかわからない。 したいし、したくない。きっと、するべきではない。 「うん、すごい戦ってるのはわかるんだけどね?」と、亜紀。「でも、させてほしいって言って、上着まで脱がせといて、なんか……そこまでした上では不思議な……」 「いや、ごもっとも。本当にそう。矛盾もいいところだ」 「ね。矛盾してるよな。まあ……俺もそうだから、なんか言う権利なんかないけど」 少し前、亜紀が夕食のおかずを届けに春彦のマンションまで来てくれたときの話だ。 (※同人誌1巻書きおろし参照) 亜紀は春彦に全部を許せないながらも、わざわざ自分からふたりきりになるような行動を「矛盾している」と言い、それがイヤだと言っていた。春彦を振り回し、イヤな思いをさせることになるから、と。春彦はその矛盾を歓迎すると答えた。 しかし実感した。 矛盾は、自分自身が抱えるとなるとかなり違う。 「いいんじゃない。美味しかったサンドイッチのお礼……とかってことで」 「俺がつくったわけじゃない」 「君がつくったわけじゃないウイルスの責任は取ろうとしたでしょ」 「……わからん……それを同じものとして扱っていいのかどうかがわからん……でも突然の君ってのは新鮮で実にいい感じがする」 「ん。そういうこと言い出すのがまさに春彦。じゃあ、はい、どーぞ」 亜紀が目を閉じた。目を閉じると、幼い顔がさらに幼く見える。さらさらした黒髪がベッドに落ちて広がっていて、あの晩のことを思い出してしまう。 引き戻れなくなるのが怖い。 ……でも、唇を付けるだけのキスならいいのでは? ……いや、そこでやめられるのなら苦労しないだろ?   またこれだよ。天使と悪魔の言いたい放題。 ……だけど、早くしないと亜紀の気が変わる。せっかくのチャンスなのに それは、そう。第2回据え膳大会が実施されている。

ともだちにシェアしよう!